「寂しくなったらいつでも帰ってきなさい」

 家出同然に家を飛び出したというのに、姉はあの優しい微笑みでわたしを送り出してくれた。



 7歳も上で、両親が共働きだと、しぜん、姉が保護者としてもっとも距離の近い相手となろう。事実わたしは姉にとてもよくなついていた。

 ときには喧嘩もした。ただ、わたしがどれほどひどいことを言ったとしても、姉がそれ以上を言い返してくることはなかった。決まって悲しそうな顔になって自室へと引っ込む。そんなに広い家ではなかったから姉妹共用で、寝る場所も二段ベッドだったから、そんなことがあった後に部屋に行っても下の段で姉が寝ているばかりで、やりきれない気持ちのまま上の段に上がるけれど……結局姉はいつでも起きていて、「ごめんね」「こっちこそごめんね」を交わし合って眠るのだ。有り体に言えば、姉は「人間ができていた」のだと思う。


「家を出たい?」

「うん」

 不況のおりから父親がリストラされ、家が手狭になったと感じたわたしは、姉に相談した。元々父が買った家だったといえど、毎日毎日飽きもせずに今のテレビを占領し、姉に家事のほぼすべてを任せきりの父に嫌気が差したのだ。母も家に帰ることが少なくなっていた。

「いいよ、あんたがそうしたいってんなら、あたしはいくらでも応援してあげる」

 そう言って姉はわたしの頭を撫でた。当時高校生だったわたしは、子ども扱いしないで、と少し憤慨したが、でもやっぱり嬉しかった。

 父親には猛反対された。おれの蓄えじゃ不満か、なんて身の程をわきまえていないにもほどがある発言も出た。本当はわたしも姉と暮らしていたかったが、父に居場所を荒らされているような感覚は耐えがたかった。


 かくしてわたしは、姉に見送られ上京、大学に通いながらひとり暮らしをすることになった。

 姉と、たまにだが母もわたしに「応援」をくれた。母には家庭を半ば捨てたという負い目があるみたいだったが、わたしからすれば偽善でしかなかった。

 ひとり暮らしは寂しくもあったがおおむね楽しかった。就職もそれなりにはうまくいった。日々は充実していた。



 姉が倒れた、と報せを受けるまでは。










 過労が原因で、ここのところろくに休めていなかったという。救急でICUに運ばれた姉は、少し見ない間に随分老け込んでいた。先に病室にいた両親をなじった。謝るばかりでなんの役にも立たなかった。


 姉を守れるのはわたししかいなかった。姉が元気になり次第、東京に連れて行こうと思った。

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