せんせい

「わたしね、おとなになったらさどせんせいとけっこんするー!」



 ――懐かしい夢を見た。6歳か、下手したら5歳か……幼稚園に通っていた頃の記憶だ。とにかく物怖じしない、というか、まるで恥ずかしげのなかった私は、よくそう公言していたものだった。優しい先生で、そうなのね、楽しみにしてるよぉ、と、からかうこともせず、目を見て笑ってくれた。

 あんなに大好きだった佐渡さど先生とも別れ、確か卒園式の日は大泣きしていたと思うが、記憶も薄らいできている。既に彼女と連絡を取る手段もない。自宅の電話番号も携帯のそれも、母にしつこく言ってメモに取らせていたが、数年経ってかけてみてもこの番号が使われていないことをお知らせする電子音声が流れるのみだった。

 泡沫うたかたの、一時の熱を帯びた、あるいは児戯の一種だと、割り切って、水に流した。


 ……ただ、本当に好きだという気持ちに嘘はなかったまでのことだ。





 大学2年になって訪れた企業の合同説明会で、その先生と再会した。

 私のほうは姿形もかなり変わってしまっていたようだが、私は一発で彼女を見分けることができた。食品メーカーの営業職に就いているという。

「もう何年になる? 10年? もっとかしら」

 40を過ぎ、それでも先生は若々しく。一方で落ち着いた雰囲気の素敵なおとなになっていた。小じわは増え、ほうれい線は濃くなっていた。それでも、かつての私が惚れ込んだ美貌と、物腰の柔らかさは健在だった。

「ごめんね、連絡つかなかったでしょ? 私。ちょうど恋人と別れて、ないーぶになってた時期だったの」

「恋人さんが?」

 胸の中に、どよりと薄暗いものが渦巻く感じがした。思えば昔も、そういうものだとわかっていても、他の子と遊んでいる先生に文句を言ったっけ、と、なにやら同時に懐かしくもなった。

「女の子よ。それも年下の」

「ええっ!?」

 意外だった。大人同士の恋愛だとばかり。

「ま、火遊びだよね……親御さんにバレてひどい目に遭った」

 あはは、と笑う先生に、彼女の意外な一面を見た気がして、ほんのちょっとだけ、嬉しくなった。

 そして、私はまだ……未練が胸中に残っているんだと自覚した。


 目の前の彼女は魅力的だった。幼稚園の先生だった経験が生きていて、人の興味を引くような話し方も上手かった。

 再会は偶然だったけど、電話番号を交換するだけで終わらせたくはなかった。説明会が終わったあとで、帰ろうとする彼女を呼び止めた。


 ――もう一度だけ、そしてこれからずっと、私の先生になってください。

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