砂時計

 砂時計が落ちるまでの3分間、わたしはいろいろなことを考える。

 友だちのこと。家族のこと。仕事のこと、住んでいる賃貸マンションのこと、今日の晩ごはんのこと、この間オープンした美容室のこと……浮かんでは消える思考がわたしをかき乱し、ときに冷静にしてくれる。


 落ち着きたいときにこうしている。良い結果になることも悪いほうに転ぶことも、どちらもあるのだが、それでも。

 じっくり考えたいことっていうのは、やっぱり、ある。対人関係……とりわけ色恋沙汰ともなれば。


 いちじょう冴香さやかとの出逢いは偶然だった。社員食堂で、サイフ忘れたからお金貸して! と言われなければ彼女とこんなに親密になることはなかっただろう。そのときに冴香にBランチを奢って以来、わたしたちは休日によく出かけたり、互いの友人を紹介し合ったり、または互いの家に行ったりする仲になった。

 そういう付き合いを続けていくなかで、わたしは彼女に惹かれ始めていた。


 茶髪のショートボブは快活な印象を与え、休日の私服は目まぐるしく変わるけれどボーダーのシャツに赤いパーカー、それとくるぶし丈のパンツを合わせた元気印のようなスタイルが、わたしにはない爛漫さを持っていて好きだ。外出するときはコンタクトで、家の中では縁ありの眼鏡をかけている。某社のポテトチップスとウイスキーをこよなく愛し、目指すは年収600万! という野望に燃える女でもある。

 そんな冴香が好きだった。想うだけで、名前を呼ぶだけで呼んでくれるだけで、身体の内側を快感が駆け上がっていくような感覚に襲われたものだった。

 独身だと言っていた。結婚する気はないとも。だったらわたしと付き合ってみる? その一言は、それでも言えないままで。



 砂が落ちきった。たまらずスマホを起動し、冴香にメッセージを送る。

〈今何してる?〉

 少しあって、返事が来た。

〈神田川のお店で呑んでるよ〉

 ビールの絵文字が添えられている。実際はウイスキーだろう。

〈え〜いいなー! 今度わたしと行こーよ!〉

 キラキラの絵文字を添える。今度は即レスだった。

〈もち〉

 サムズアップの絵文字。具体的な日取りもこの場で決めてしまおう。今度の日曜日、お昼過ぎから贅沢に……段取りを組み終わって、スマホを閉じて。


 たまらず、砂時計をもう一度ひっくり返した。

 3分ある。

 3分で決めるにはあまりにも性急だが、きっとこの3分で決めなければ一生決められない。

「冴香っ」

 半ば祈るように、砂粒を見つめて好きな人の名前を囁いた。

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