罪が積まれ詰みました

池田蕉陽

罪が積まれ詰みました


 男は公園のベンチで貧乏ゆすりをしながら、隣のアパートからある女が出てくるのを待ちわびていた。時刻を確認しようと男はポケットからスマートフォンを取り出し画面を開こうとする。しかし充電が切れていたことを思い出し、またポケットにしまった。頭の中でだいたい十九時くらいかと予想し、それから約五分が過ぎた頃、ようやく女がアパートから出てきた。


 女はベージュのコートという出で立ちだった。ハイヒールの音を立てながら、そのまま男がいる公園を通り過ぎ行く。その様子を男は横目で窺っていた。夜勤に向かうのだなと男は思った。


 女の姿が見えなくなると、男はベンチから立ち上がった。公園を後にして、女が出てきたアパートへと入って行く。錆びた階段で二階に上り、一番奥の部屋まで移動する。そこが女の部屋だった。


 扉の横に『平井』と書かれた表札が掲げられているのを男は確認する。


 泥棒仲間の情報通りだった。


 さらに仲間によると、ここの女は一人暮らし。つまり今この部屋には誰もいないことになっている。


 男は半信半疑でドアノブに手を伸ばしてみた。ドアは簡単に開いた。これも情報通りだった。最初は信じられなかったが、このご時世、平井という女はほとんど戸締りもせずに外出をするようなのだ。なんとも馬鹿だなと男は薄ら笑いを浮かべた。


 男は部屋に痕跡を残さないためゴム手袋をはめ、靴をリュックサックに入れてから家に上がった。


 女の部屋は1LDKだった。キッチンを抜けた先にリビングがある。そこは意外にも片付いていて、至って普通の部屋という印象を受けた。戸締りもしない女なので中は散らかっているに違いないと期待していたのだ。もしそうなら男が痕跡を残してしまった場合でも都合がいいのだ。


 まあそれは仕方ないかと思うことにして、男はとりあえず部屋の電気をつけた。それから部屋を見渡す。あるものを探すためだった。そしてそれは簡単に見つかった。奥のテラスの右横にベッドが配置されていて、その壁側にそれはあった。コンセント差込口だ。


 男は金品を盗むために不法侵入した訳ではなかった。男はいわゆる電気泥棒という現代的な犯罪者だった。彼の場合、風呂に入るためとスマートフォンを充電するために不法侵入したわけだ。家の電気代が払えなくなり、悪友に相談したところ、最近ネットカフェみたいに快適でいい場所を見つけたんだ、とここを紹介されたのだ。友人はここを何回か使ったことがあるらしいが、一度もバレていないらしい。


 男は早速充電しようとリュックから充電器を取りだしコンセントに差し込んだ。ポケットから出したスマートフォンと接続し、無事画面に光が宿った。


 友人によると、女は朝の五時までは帰ってこないらしく、それまでなら家に滞在しても大丈夫とのこと。まだあと九時間もあった。そう思った時、男の腹がなった。そう言えば昨日から何も食べていなかったことを男は思い出した。風呂に入る前に飯でも食おう。


 男はキッチンの方に向かい冷蔵庫を漁った。しかし、大してこれといったものはない。食べれるものがあるとすれば魚肉ソーセージとチョコレートくらいなもの。若い女の一人暮らしとは思えなかった。


 仕方なくそれらで腹を満たすことにし、男はリビングのソファにどっぷりと尻を沈めた。目の前のテーブルにリモコンがあるのが目に入る。男が躊躇いなくそれでテレビをつけると、ニュースが流れていた。


 最近、女性の下着を狙った泥棒が近辺で出没しているという報道だった。既に多くの被害者が出ているらしい。男はくだならないなと思う反面、泥棒にも色々な種類があるもんだとつくづく思った。


 男は何か面白い番組がないかと、再びリモコンに手を伸ばした。


 しかし、その拍子に男の手からチョコレートが転げ落ちてしまった。そのままベッドの下へと入り込む。放っておこうかとも考えたが、どうにも気になってテレビに集中できそうもない。男は億劫になりながらもソファから立ち上がり、ベッドの下を覗き込んだ。


「うわあああ!!!」


 男は叫んだ。尻餅をついたままガクガクと震えている。


 見てはいけないものを見てしまった。そんな心境だった。まさかベッドの下に人がいるなんて思いもしない。男はホラーの類がまるっきりだめだった。


 逃げようか、どうしようか、そうこうしているうちにベッドの下から腕が伸びてくる。


 男は震えた足で何とか立ち上がり、後ずさりをする。その間、ベッドの下からは既に胴体が見えていた。男が壁まで下がってもう後がないとなった時には、もうその者は起き上がるところまで来ていた。


 性別は男のようだった。三十代半ばと言ったところか、男より明らかに歳は上だ。グレーのシャツにグレーのズボンを履いている。果たして、こいつは生きた人間なのか。


「お、お、お前ミキちゃんの何なんだよ」


 男の思考が一瞬停止する。言葉の意味を探しているのではない。言葉を発したことに男は驚いていた。どうやら生きてはいるようだった。


「み、ミキちゃん? てかあんたこそ何なんだ、いきなりベッドの下から現れやがって」


 男の声は僅かに震えていた。まだ動揺を抑えきれていないのだ。


「お、俺はミキちゃんの将来の旦那さんだ」


「だからそのミキちゃんって誰なんだ」


「とぼけやがって、お前ミキちゃんのストーカーなんだろ!? 勝手に家に入ってきやがって」


 そこまで聞いて、ようやくミキちゃんが誰なのか男は把握した。この部屋の住人のことを言っているのだろう。


「俺は別にあの女のストーカーなんかじゃない。てかあんたさっき、将来の旦那さんとか言ってたけど、婚約者か?」


 すると、その男は口を紡いだ。それから苦しげにこういった。


「ち、違う」


「じゃあ彼氏か?」


「違う……そもそも喋ったこともない」


 なるほど、と男は得心した。どうやら立場は似たようなものらしい。


「なんだ、お前がストーカーなんじゃないか」


「違う! そんなキモイやつらと一緒にするな!」


「てか、一回も喋ったこともない相手をどうして好きになる」


「道端ですれ違った時に一目惚れしたんだ」


「それで後をつけたのか」


「後をつけたなんて言い方はやめろ! 見守っていたんだ!」


 ストーカーの顔は真っ赤だった。


 それより、男はとんだ偶然に鉢合わせたものだなと思った。泥棒がたまたま侵入した部屋に住人のストーカーがいる。これも女の不用心さが産んだ始末というわけか。


「まあ正直そこんとこはどうでもいい。別にあの女と俺はなんの関係もないしな。何ならあんたと一緒で喋ったこともない」


「そんなの信じねーぞ。じゃあなんでこの家に」


「俺は泥棒だ」


 隠す意味もないと思い、男は明かした。このストーカーだって不法侵入をしているのだ。問題はないだろう。


 ストーカー男は「ど、泥棒!?」と目を丸くしていた。しかしただそれだけで、逃げ出す素振りは見せなかった。


「泥棒にしてはやけにくつろいでいたみたいだけど」


 ストーカー男が疑いの目を向けてくる。


「俺は泥棒でもただの泥棒じゃない。電気泥棒だ」


「電気泥棒?」


 訝しそうにする。それは聞き慣れない単語を聞いたからか、まだ疑っているのかどっちかだった。


「そこにスマホが充電されてるだろ。あれは俺ので、ここの電気を勝手に使わせてもらってるわけだ」


「そんなの自分の家ですればいいだろ」


「あいにく電気代が払えなくなってな」


「コンビニにでも行けばいい」


「風呂はどうする」


「水で我慢しろ」


「まてまて話がずれてる。もう泥棒だって信じてくれたろ、ほら手袋だってしてる。疑う余地はないと思うけどな」


 ストーカーはまだ完全に腑に落ちた様子ではないが、とりあえず一旦信じてくれたようで警戒心を解いたようだった。かと思ったら。


「だとしたら、出ていってくれないか」


「なに?」


「ここは彼女の家だ。俺の立場からして黙って泥棒を入れたまんまにする訳にはいかない」


「正気か? あんたはどうなるんだよ。あんただって不法侵入と変わらない」


「だから俺は……」


「ストーカーじゃないって言うんだろ? でもほんとに自分でもそう思ってるのか?」


「どういう意味だ」


「あんたは俺がこの家に入ってきた時、あの女が帰ってきたと思ったからベッドの下に隠れたんだろ? でも自分がストーカーじゃないと堂々と言い張るなら、その行動は矛盾してないか?」


 ストーカーは痛いところをつかれたようで下を向いた。


 男が論破してやったと気分を良くしてると、突然、ストーカーの男が勢いよく顔を上げた。そこには焦燥の色が浮かび上がっていた。


「どうしたんだ」


 男は聞いた。


「帰ってきた」


「え?」


「ミキちゃんが帰ってきた」


「嘘だろ?」


 ストーカーの男は静かにしろと唇に人差し指を添えた。男が耳をすませてみる。アパートの廊下で女の声が響いていた。しかも女だけではない。もう一人、男の声も混じっていた。会話の内容は聞き取れなかった。


「夜勤じゃなかったのか?」


「夜勤は金曜、今日は木曜だ」


 ストーカーの男はテレビと部屋の電気を消しながら言った。


「そんなの聞いてないぞ」


「それより早く隠れないと」


 ストーカーの男は既にベッドの下に潜り込もうとしている最中だった。


 男も慌てて隠れ場所を探す。幸いにも後ろにクローゼットがあった。男は急いでその中に入る。クローゼットが閉まるのと同時に、玄関扉が開く音がした。


「だから浮気なんかしてないってば!」


 女の声がよく聞こえてきた。


「だったら俺が前に見たおっさんは誰だったんだよ 間違いなくこの部屋に入っていったぞ!」


 そして男の声。どちらかが電気をつけたようで、クローゼットの僅かな隙間からちょうど玄関の様子が丸見えになっている。どうやらホスト風の男と平井が喧嘩していて、男の方は熱くなっていた。


「だからそんなの知らないって、ケンくんの見間違いでしょ?」


「だから見間違えじゃねーよ! 今まで俺を部屋に入れてくれなかったのは本命の男と同棲してたからだろ!?」


「だから違うってば……なんで信じてくれないの?」


 ついに女の方が泣き出した。


「浮気してないって言い切るなら、この部屋徹底的に見てもいいよな? 男の私物なんてないんだよな?」


「してないって言ってるじゃん……」


「だから見ていいか聞いてるんだよ!」


「もう好きにすればいいじゃない!」


 女がその場にしゃがみ込んだ。嗚咽までしている。


 一方、クローゼットに隠れている男の方は汗が止まらなかった。無論、暑いからではない。展開がまずい方へと行ってしまったからだ。


 今ホスト風の男はタンスの中から平井のものであろう下着を乱暴に出しては漁っている。ベッドの下はないかもしれないが、このままクローゼットを開けに来るのはごく自然な流れだった。


 ホスト風の男がタンスを探し終わる。男はこっちに来るな、こっちに来るな、と心の中で唱え続けた。


 しかし、それは無意味となった。ホスト風の男がクローゼットの方に体を向け、歩いてくる。目の前までやってきて、クローゼットの引き戸に手を伸ばした。男は目を瞑った。


 終わりだ。


 そう思った瞬間、ピロンと聞き馴染みのある音がした。ホスト風の男の手が止まっている。


 助かった。そう安堵したのはほんの一コマで、またすぐに男は焦燥に駆られることになる。男はスマートフォンを充電していたことをてっきり忘れていた。男は自分で自分を憎んだ。


 ホスト風の男はクローゼットを引き返し、音のする方へと歩いていく。そこはもちろんベッドの横で男のスマートフォンが置いてあるところだった。


「これ誰のだよ」


「……え?」


 女が涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げる。


「これ誰のだよって聞いてんだよ!」


 ホスト風の男が勢いよくスマートフォンを引っ張り、その拍子にコードが抜けてしまう。


「し、知らないわよ! そんなスマホ私知らない!」


 当然、女が必死にそれを伝える。


「知らないわけないだろ、現にここで充電されていたんだ。男と同棲してるんだろ? やっぱり浮気してたんだな!」


 ホスト風の男が手に持っているスマートフォンを女に向かって投げつけた。それから女に襲いかかり馬乗り状態になる。ホスト風の男が女の顔を殴りまくる。殴り続ける。



「やめて……お願い……ケンくん……ごめん……ちが……」



 ドン……ドン……ドン……ドン……ドン……。



 鈍い音が部屋の中でなり続けている。かれこれ、もう三十回は殴り続けている。


 ストーカー男は一体どういう心境でベッドの下からこれを見ているのだろうか。恐らく、ホスト風の男が言っていたおっさんとはストーカー男のことだろう。ちょうど不法侵入するところを目撃されたに違いない。自分のせいで惚れた女がこうなってることに責任を感じているはずだった。今にも止めに、ベッドから登場するかもしれない。


 しかし、中々ベッドから出てこないとなると、鬼となった男の迫力に臆しているのかもしれなかった。


 やがてホスト風の男の息が上がり始め、そのペースは落ちていき、ついにおぞましい音が止む。


 ホスト風の男の拳は血だらけとなっており、床にそれがポタポタと落ちている。下敷きになっている女の顔は、もはや原型をとどめていないほどむごいことになっていた。


 ホスト風の男は自分の赤い拳と赤い女を交互に見ている。かつて好きだった女の変わり果てた姿を目の当たりし、彼は冷静さを取り戻したようで、己がしてしまったことに気づいたようだった。


 ホスト風の男は小さな悲鳴をあげながらキッチンの方へと走っていく。しかしすぐに立ち止まり、また戻ってきた。何をするつもりだろうか。部屋をキョロキョロと見渡している。やがて視線が定まり、そこはベッドの下へと向けられていた。


 男はまさかと思った。そしてホスト風の男が取った行動は案の定だった。死体を隠そうと、それを押し出すようにしてベッドの下に入れ込もうとし始めたのだ。そこに人が潜んでいるのも知らずに。


「くっそ、何で入らないんだよ!」


 苛立ちを吐き、その原因を確かめるベく、彼はベッドの下を覗き込んだ。


「うわあああああ!!!」


 ホスト風の男が吹っ飛ぶようにして尻餅をつけた。体は小刻みに震えている。男は昔の自分を見ているかのような感覚に陥った。


 ストーカーの男は死体があるのでさっきのように出るわけにはいかず、前の方から脱出を行った。それからストーカーがとった行動は、女の死体にしがみつくようにして、ただただ泣き続けるだけだった。


「ミキちゃん……ミキちゃん……ごめんよ……俺が不甲斐ないばかりに……」


「ふんっ」


 そう鼻で笑ったのはホスト風の男だった。


「やっぱそうだ。男が隠れていたんだな。前に見たおっさんもやっぱお前……いや……違う。お前じゃない……」


 何だって。そう男の口から零れそうになった。


「ミキちゃん……ごめん……やっぱり俺がやるべきだよな……」


 ストーカーの男は覚悟を決めたような目付でキッチンの方へと走っていく。数秒後、またリビングの方に戻ってきた時には手に包丁が握られていた。


「お、おい……なんなんだよ、なんなんだよこれ!」


 ホスト風の男は訳も分からずただ怯えている。


「おいやめろ!」


 男はほぼ反射的にクローゼットから飛び出していた。


「落ち着けよ。これ以上死体を増やすのは色々とまずいんじゃないか」


「だまれ! ミキちゃんが死んでしまった今はもう何もかもどうでもいいんだよ! お前も殺してやる!」


「誰なんだよお前! なんでもう一人男が出てくるんだよ!」


 その時、突然、玄関扉が開く音がした。その場にいた全員が口を開けたままの状態で静寂している。目だけは皆、玄関の方に向けられていた。


 そこにはキャリーバッグを手に、そして女の下着を頭に被った初老の男が目を真ん丸にして立っていた。


「き、君たち、僕の家で、いったい何をしているんだい?」

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