恋と変は紙一重 ~過ぎる男女の恋愛相談所~

水樹

第壱話 知らない方が幸せな場合もある

「おい凪崎なぎさき。だからどうして“へん”にルビを振るのだ?」


「まぁ……親切心というか、癖なんですよねぇ」


 呆れ顔で答案用紙を煽いでいるのは、クラスの担当教師だ。ムッチリとしたボディーと大人の色気。切れ長の釣り目で視姦されたいというのは、男子生徒一同のスローガンになりつつある。


 現在、職員室に呼び出された俺は、眉間に皺を寄せる美女木びじょぎ先生の威圧に平伏している。美女だからこそ、絶妙に苗字がややこしい。


「全教科の先生から疑問の声が挙がっているのだ。テストの答案用紙に懇切丁寧にルビを振る生徒がいる、と。テストは小説の投稿か? 実に下らない質問ではあるが、一応真意を聞かせてはくれまいか?」


「真意と言っても癖ですからね。俺にとっては、目薬する時に口を開けてしまうこととイコールです。別に解答にルビを振ってはいけないとは、書いてないでしょ?」


「本当に減らない口だな。……『突然へん異』『確率へん動』『可へん抵抗器』『桜田門外のへん』。おいおい、音楽まであるのか……『へんト長調』。全教員を代弁して言わせてくれ。ルビ振らずとも分かるし!!」


「分かりました。今度からは全部にルビを振ります。これで良いですよね?」


「良くねぇし!!」


 美女木先生は怒りのボルテージが上がると、口が悪くなるのが癖だ。

 元レディース総長が更生して、先生になったようだが、内に秘めた捻じ曲がった性格は一生モノらしい。結婚を拗らせているのも、これが原因なのだろう。


 放課後の職員室――。

 いかにも些末な問答が繰り返されていた。


 そんな独身教師を査定しながら、窓の外を眺める俺。

 視線の先には、学生カップルが仲睦まじきと下校している。


 学び舎に咲くのは、いつでも恋の華。学業という理念を建前とした劣悪な環境がここだ。学生諸君にとっては、勉学は土か肥料ぐらいの扱いなのだろう。


 俺にも恋という幻想に浮かれた時期はあった。


 あれは小学生の時。


 机の中から算数セットを取り出す際に、一枚の紙がぽとりと落ちる。ピンク色の手紙だ。中はこのように綴られていた。


 『あなたは私にとっては恋人です』


 ――はい、キタよこれ。


 ただ、他人のズボンを降ろしだけで、爆笑する幼稚な時期だ。自在箒でスカートを捲り上げただけで、大喜びする時期だ。悪戯の可能性は高い。


 手紙には差出人が書いてある。先月、引っ越してきたばかりの可愛い転校生リカちゃん。小洒落た服装のリカちゃんだ。書道硬筆四段、毛筆五段の達筆な字体が滑らかに澱みなく書かれている。


 ――はい、キタよこれ。


 都会から来たという響きだけで注目されるのに、可愛いが加算されたら人気の的になるのは至極当然の話。故に給食では、彼女の机にカップのデザートが積まれていた。田舎っぺの子供が考える嗜好品だ。


 そんな彼女からの一発告知。

 いわゆる、ラブレター。

 すなわち、恋文。


 俺の中の幸せが弾けた瞬間だった。表情筋の崩壊と共にニヤニヤが止まらない。優越感に浸りながら、どうやって付き合っていくか、学校の奴等にはどのタイミングで公表するべきかな、などと数年後の未来まで構想する。


 日頃から少し意識はしていたが、この日を境にして、彼女に夢中になった。告白から数日経ってもアクションを起こさない彼女は照れ屋さん。そんな性格も好きだった。


 そして、痺れを切らした俺は、ついに彼女と接触を図る。誰もいない教室。普段取り巻きに囲まれている彼女なので、願ったりのシチュエーション。


「こ、この前はサンキューな! かなり嬉しかった」


「――――えっ!?」


「この手紙の返事を伝えようと思ってさ」


 貰った手紙を見せると、リカちゃんはバサッとそれを奪い取った。なにやら様子がおかしい。


「…………有り得ない、有り得ない、有り得ない、有り得ない、有り得ない、有り得ない、有り得ない、有り得ない」


 血相を変えるリカちゃん。

 急に怨念を払うかのように、憎悪を孕んだ言葉が連呼される。


「リカちゃん……どうしたんだよ!?」


 急に手紙に何か書き込んだと思ったら、俺を睨みながら語気を強めた。


「いっつも、いっつも私の顔をジロジロ見ててさ。ブルマ履いてる時の体育とかマジで鳥肌立つわ。本当にキモいんだよ! ブルマ着た日は給食も苦手な食べ物多く入れるし、なんなのよ!」


 予想外の展開に俺は硬直してしまった。


 一体何が起きている? 手紙の内容と現状が乖離しているのはなぜだ?


 だけど、文句に対して返したのは、幼稚なガキ相応の言葉。冷静に対処できるほどのコミュニケーション能力は持ち合わせていなかった。


「お、お前のブルマなんて見てねぇし! てか、大きいケツなんて見たくもねぇし!」


 体育の日はお腹が減ってるだろうと、給食増し増しアピールをしたのは事実だ。後、リカちゃんのお尻が大きいことも。断じて言うが、ジロジロなんて見ていない。自然的な視線ナチュラルルック――俺は潔白だ。


 怒り心頭で赤面するリカちゃんは手紙に何かを書き加え、机を全力で叩くと無言で教室を後にした。


 机に置かれた手紙。

 ある一文字に赤ペンで×印がつけられ、下段に一文字加筆されていた。


 『あなたは私にとっては×です』

            変


 「…………」


 ふ、ふ、ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!

 

 書道少女の癖に“恋”と“変”を間違えるか!? 清書前に見直ししろや! 人前で添削入れるなや! てか、なんだこの告白は!!!! そもそも手紙で変人とか伝えるなよ。変文へんぶみとかいらねーわ!


 心の中は罵詈雑言の嵐だったが、実際は会心の一撃を喰らった後の祭り。憤慨とは裏腹に、心はへにょへにょだ。

 

 女性不信になった瞬間である。


 以降、人生の教訓。


 ・女性はジロジロと見ない。勘違いされるし、へん態の烙印を押される。

 ・女性の臀部は決して評価しない。口にも出さない。

 ・妹のリカちゃんドールハウスに八つ当たりをしない(母に説教された。妹は絶対に大事にする)。


 そして――、


 ・“こい”と“へん”の文字には百万倍慎重に対処せよ。


 まず、見た目が似ている。パッと見で間違える人間は必ずいる筈だ。しかも、人間は無意識に楽観的な言葉を連想するらしい。思春期の学生においては、脳内の大半は“恋”で埋め尽くされているのは言うまでもないだろう。


 紛らわしいこの漢字達。上側部分の旧字体は“らん”と読むらしい。“げん”を左右に挟んでいるのは糸の象形。神への誓いの言葉を飾る象徴。


 つまり、恋も変も、神に伝えるぐらい神々しい言葉なのだ。

 恋文こいぶみ変文へんぶみを書く自体がそもそもの過ち。叡智の果てに生まれた伝達能力――言葉で伝えることの偉大さを舐めるなよ。


 ただ、共通する上側の部首に下側がガッチャンコしただけで、ここまで意味が変わってくる点は解せない。


 被害妄想だが、神の陰謀とさえ罵っている俺は、恋愛に関連する全ての事象をこじらせ、これでもかと言うほど拗らせて、結果的には“拗らせ童貞”を貫いている。


 清く穢れを知らないその素体は、まるで生まれたての赤ちゃんのよう。


 彼女を作るための甲斐性の欠落。モテるための努力は一切していない。童貞モノ注意のシールが貼られているのか、女性からのアプローチなし。接触の機会は、挨拶だけ。


 俺の青春は何処吹く風という感じで何もない。砂埃も舞わないので、本当に笑える。


 そんな廃れきった青春に一陣の風が舞い込んだのは、この後の出来事だ。



 美女木先生から一頻り説教を喰らった後だったので、教室にバッグを取りに戻る事さえ億劫だった。放課後の廊下はいつも以上に閑散としている。


 教室内のドアを思いきり開けた。


 誰も居ないと思っていた矢先だったので驚いた。


 夕焼けが差し込む窓際に屹立していたのは、学年トップの綺麗所――恋乃籤こいのくじ 雨音あまねだった。


 腰まで伸びた綺麗な黒髪が風で靡いている姿を見ると、清楚という表現が良く似合う。少し吊り上った切れ長の目。美しく澄み切った白肌。百六十五センチ近くある身長は、彼女のプロポーションの良さを更に底上げしている。


「凪崎君。こんな時間まで居たのね。部活とかやってたのかしら?」


「ちょ、ちょっと美女木先生に呼ばれててね」


「もしかして、中間赤点?」


「赤点じゃないけど、色々と諸事情があってね。酷く叱られてしまった」


「いくら席が後ろで好条件だからって、カンニングとかしちゃダメよ?」


「――いやいや。し、してないからな。勝手に妙なレッテル貼らないでくれよ!」


「完全に犯人特有のどもり方よね……」


 ここ数週間の中で、女性と一番長い会話のキャッチボール。女性耐性ゼロだからこそ、ボールを落とさないようにと、迫るプレッシャーが手に汗握る。


 そんな心境など露知らず、恋乃籤は夕日をバックに余裕ある微笑みを浮かべる。


 その時だ――清楚な彼女から奇怪なワードが飛び出したのは。


「一つ伺いたいのだけど……凪崎君って、わっぱかしら?」


「――んっ? わっぱ?」


 なんだ? わっぱって。ワッパーか?


「世間一般で言う童貞って意味よ」


 なっななななななな――今なんて!?


 思わず咳き込んでしまった。驚きと戸惑いであたふたする俺。


 学校内で最も清楚と可憐が似つかわしい彼女から。あのミスコン優勝時に校長の総評で、清楚と言う単語が二十八回も使われた彼女から。とんでもなく品がない単語が飛び出す訳がない!! きっと“同程”とか“道程”の方だろう。


「『まだ異性と性的接触をしていないこと。また、その人』って意味だけど伝わらないかしら? もっと詳細に説明するべき?」


「紛れもなく童貞の方かよ! てか大河ドラマじゃないんだから、わっぱとか言うなや!」


「あら。日常生活では、なよなよとしている割には突っ込みの才に長けているのかしらね。その挙動から判断して、童貞確率120%強と言った感じね」


「……勝手に判断するなよ」


「なら経験あるの?」


「……少々なら」


「その調味料みたいな答えは心外だわ。手だけは繋いだことあるから、数%の童貞成分は消化しているみたいな解釈だと思うけど、見栄は日本人で一番恥じるべき行為よ。正直に言いなさい」


 猛禽類のような鋭い目で睨まれたので、つい屈服してしまった。


「……一点の曇りがないぐらい、清々しいぐらい生粋の童貞っす」


 溜息をつく恋乃籤。やはりね、といったジト目を俺に送っている。一方の俺はたじたじだ。


「『まだ異性と性的接触をしていないこと。また、その人』としても別に恥じることでもないでしょ?」


「もう言い直さないでくれ! あ――。学園の憧れ、マドンナ、女神の印象が崩壊していくぅぅぅ」


「勝手な印象が定着するのも心外ね。ならわっぱを見込んで、お願いがあるのだけど――」


 恋乃籤は癖もない真っ直ぐな黒髪を整えながら、スクールバッグを肩にかけた。ちょうど夕日と彼女の体が重なって、光と影のコントラストが背後に生まれている。


「私と付き合ってくれないかしら?」


「…………えっ?」


 ……おいおい、マジかよ。


 “らん”という語源には、もつれた糸を解こうとしても解けないさま、という意味もあるらしい。果たして乱れるのは、“恋”か“変”どちらなのか。


 この時、恋に対しての教訓が一つ増えた。


こいへんは紙一重である》

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