帰る場所
紫垂
本編
仕事帰り。コンビニでビールと弁当を買って小さなアパートに帰る。そんないつも通りの午後十時。
「ただいま」
それはもう癖だった。誰もいない自室に響くはずだった声。けれど、それはいつもと違った。
「おかえり!こんな時間まで仕事?大変だね。心配しちゃった」
返ってきたマシンガントークに動揺が隠せなかった。返ってくるとは思ってなかった。ましてや、コイツがいるのは想定外。
「……なんでお前がいるんだ?」
「来ちゃった」
意味が分からない。なんでいる。いつ戻ってきた。知りたかったことは結局何一つ分からなかった。
「ねぇねぇ、ご飯にするの?お風呂にするの?」
「帰れよ」
「えー!せっかく来たのにひどいなぁ」
そう言って笑うコイツを無視して通り過ぎ、キッチンの冷蔵庫にビールを入れてからリビングのソファに腰を下ろしてテレビの電源をつけた。そして、買ってきた袋の中から弁当を開けて、つつき出した。
「うわっ…コンビニ弁当?体に悪いよー。優くん器用なんだから作ればいいのに」
「んな気力残ってねぇよ」
仕事で疲れ果て、そんな余裕は無い。最近は少し精神的に衝撃を受けたこともあり、仕事の効率は下がっていた。だから、勤務時間が長くなり、必然的にこういう食事にもなる。明らかに悪循環だ。
「優くんには長生きしてほしいから、いいもの食べてほしいのになぁ」
スッと隣に座って、俺の顔を覗き込んで目を合わせてきた。その目がやけに真剣で、気まずくなって目を逸らしてしまった。
「………善処する」
その言葉しか出てこなかったが、コイツは満足そうに微笑んで頷いた。少し気まずくなり、誤魔化す様に弁当を口へ掻き込んだ。
「あっ…」
「どうしたの?」
「風呂洗ってねぇや」
「シャワー?」
「そうなるな…睨むなよ。仕方ねぇだろ」
「もう…風邪ひいちやったらどうするのよ」
頬を膨らませて言う。さすがに今から洗えとまで言うつもりはないようだった。目はありありと訴えていたが。
「……シャワー浴びてくるわ」
「うん。いってらっしゃい」
ニコニコと手を振るコイツを視界の端に映しながら、脱衣場のドアを開けた。
そう長くないシャワーを浴び、浴室から出た。アイツが帰っていることをにわかに願いながら。
「あっ、おかえり」
「……帰んねぇの?」
「こんな時間にか弱い女性を独りで帰すなんてモテないぞ」
「別にいい。もうそんな年じゃねぇし」
「もう。素っ気ないなぁ」
クスクスと楽しそうに笑うアイツの隣に、冷蔵庫からビールを取り出して座る。カシュッと心地よい音がして、缶が開く。風呂上がりの一杯。至福だ。
「髪より先にビール?珍しいね。いつもは怒るほうなのに」
「……最近はずっとこうだ。それどころじゃねぇから。んな些細なこと気になんなくなった」
「ふーん。そういうもんなんだ」
「そういうもんだよ」
「ちょっと残念。優くんのそういう所好きだったのにな」
寂しそうに言う。俺が変わったのが心底残念であるかのように。
「…んなこと今まで一回も言わなかっただろ。どうしたんだよ」
「んー?なんか言わなきゃいけないなって」
「いまさらか?」
「うん。いまさら気づいた。それにもう今しかないから」
今しかない。その言葉が胸に突き刺さった。
「お前…いつまでいる気なんだ…?」
さっきまでが嘘のように言葉を発さなかった。何かを堪えるように歯を噛み締めて俯く。
「お前がどうやってここに来たかも、なんで俺に見えるのかもわからん。けど、そう長くないんだろ?」
「……うん」
なんとか絞り出したような声には、悲しみ、痛み、苦しみ、いろんな負の感情が渦巻いていた。
「お前は…もう…」
それが俺にも移ったのかもしれない。俺の声は震えていた。彼女が苦しそうな顔で俺を見つめる。
テレビはいつの間にかニュース番組になっていた。
――二週間前より捜索されている……の日向海咲さんの行方は未だわかっておりません。警察は…… ――
「………お前…どこから来たんだよ」
「峰樫山」
「峰樫山って…」
「うん。あの奥の山」
ちょうどテレビに行方不明者を捜索している山の引きと共に移った。
「そうか…なんだ、そういう事か…どうりで見つかんねぇわけだ…そうか…峰樫山か…」
思わず乾いた笑いが漏れた。俺が今まで信じていたことは間違っていた。全ての前提条件が違っていたわけだ。それがわかった今、今までの緊張感がすべてどこかへ吹き飛ばされたようにホッとした。
「……なぁ、海咲」
「ん?」
「…俺、お前の飯が食いたい…」
「うん」
「……帰ったらお前が風呂入れてくれてるのもすげぇ嬉しかった…」
「…うん」
「………お前の髪…手触りがよくて、乾かすの…嫌いじゃなかった…」
「……うん」
口から零れ落ちたのは、どれもとても些細な事だった。だけど、今まで一度も言ったことがない言葉だちだった。
「もう…終わりなんだな…」
「……ごめんね…今までありがとう…」
「それは俺の台詞だ。最後までありがとな。お前に言えるとは思ってなかった」
もう全てが終わったと思っていた。伝えそびれたことが多くあることを後悔した。その一部でしかないけど、伝えられるとは思っていなかった。
「優太」
「ん?」
「私ね、意識が途切れる寸前に浮かんだのが、優太だった。お母さんでも、お父さんでも無くてね」
「……そうだったのか…」
「それがね、嬉しかった。けど、同時に悔しかった。死ぬ間際になって、あれもこれも優くんにしてあげられてないなって。まだまだ一緒にいて、やりたかったこといっぱいあったなって色々思い浮かぶの。怪我をした足の痛みも、空腹感も何も感じなくて、ただ後悔ばかりが積もっていくの。だから、こうやって、戻ってこれてよかった。よかったのに、何を言えばいいのかよく分かんないの。だからね、これだけは伝えなきゃって思ってるんだ」
覚悟するように、深呼吸をする。海咲の昔からの癖だった。テストの前、大事な試合の前、俺に告白する前、いつも大事な時にはゆっくりと息を吸い、吐いた。そして、まっすぐ前を見つめる。
「私、優太の彼女でよかった。優太の事が好き。大好き。世界で一番愛してる。優太は間違いなく私の王子様だったよ。ありがとう。ずっとずっと、幸せだった。優太にね、覚えておいてほしいの。全てをかけて山城優太を愛し、幸せな人生を送れた、日向海咲という人物がいたことを。たとえ世界の全ての人類があなたの敵になろうとも、私は絶対に味方だから。私はあなたの心に生き続ける。だから、永遠の別れなんかじゃないよ。本当に本当に大好き。ありがとう。またね」
自分の言いたいことだけ言って、海咲の体が消えていく。
「海咲!俺も、お前のこと愛してる!世界で一番愛してるから!」
なんとか消える寸前に口から飛び出した言葉に、海咲は一瞬驚いたような顔をしたあと、今まで見たことないぐらい嬉しそうに笑った。
三日後、警察の手によって、峰樫山から海咲の遺体が発見された。腐敗した彼女の手には、俺との写真が力強く握られていた。
帰る場所 紫垂 @syoran
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます