189.-Case三郎-攻防
「……わかった。僕はどうすればいい?」
「背中向けて後ろから襲われないようにしててよね、お姫様!」
結城が最低極まる冗談を口走る。
彼は謎の高揚をしていたようだ。
同時に、三郎が雄たけびをあげて突進してきた。
地面を蹴って1歩の踏み込み。
それだけで3メートルも開いていた相対距離が消し飛ぶ。
轢かれた花畑が直線に獣道にとなった。
「どけっ!!!」
三郎が黒染んで肥大した腕を左斜め上から振り下ろす。
空気を切り裂く風切りの轟音がした。
非存在であるはずの赤黒の霧が乱れ流れた。
結城が腰を捻って左半身を後ろに捌く。
右に上体を振れながら、左手の包丁を振るった。
刃は的確に三郎の強襲した腕を迎撃する。
ギィィ……ンンッ!!
肉とステンレスがぶつかったとは思えない金属音が響く。
本来なら切り裂かれているであろうタンパク質であるはずの三郎の手は、弾かれはしたが無傷だった。
人間の肉であるはずのそれがおそろしく頑丈だった。ほぼ鉄である。
結城の左手は背後に跳ねたが、三郎の腕の勢いは殺された。
「しっ……」
結城が短く息を吐く。
三郎のガラ空きの腹を蹴りつける。
踵が滑り込むように、見事に水月をえぐった。
お互いの勢いを利用したカウンター、常人の腹筋なら貫き吐瀉物を吐き散らかしてもおかしくない。
だが三郎は聞こえるか聞こえない程度に呻いただけだった。
ただし突進の勢いはほぼ死んでいた。
すぐさま左の拳を固めて下突きを繰り出してくる。
凄まじい拳打だった。
腰も捻らず足も浮き気味で、重心も基本も何もない腕だけの振り。
にも関わらず、間一髪捻って避けた結城の右脇腹付近の浴衣布が触れただけでズタズタに切り裂かれた。
皮膚が浅く斬られて出血する。
血の飛沫が花畑に飛び散る。
曼殊沙華に毒々しい黒いマダラが着いた。
三郎の戦い方は獣だった。
格闘技もボディメカニクスもクソもない、ただただ純粋なまでの殺意と化け物じみた膂力を運動エネルギーに乗せてぶつけてくる。
それだけで必要以上の殺傷力を備えている。
クマかライオンか。
野生動物以上の原性だった。
「ふっ……!」
呼吸一吐。
結城が上半身のバネをしならせる。
握り締めた右手の拳底を三郎の額に打ち付ける。
つまり、握った包丁の柄の底で殴打した。
そして右手を振り抜いた。フルスイングだった。
柄の底が割れた。
三郎が後方に仰け反り転倒する。
受け身も取らない危険な体勢で地面をもんどり打ってゴロゴロ転がった。
二転半したところで仰向けに大の字に倒れて止まった。
「はっ……はっ……はぁー……はぁー……しんどい……」
結城が肩で息をしている。
刹那に集中力と瞬発力を凝縮し、三郎の過剰な威圧感によるストレスを受けた為だ。
長時間の運動を必要としなくても、密度の高い戦闘は疲弊が激しい。
一瞬の攻防。
三郎の人間離れした動きも実に非現実的だったが、それに反応した結城の反射神経も充分異常だった。
まるで夢を見ているかのようだ。
三郎が鬼に変貌し、結城が撃退する。
風邪を引いた日の悪夢でも、こうも現実感を喪失しないだろう。
僕はポケットから、PTP包装に包まれた錠剤を取り出す。
女医にもらった安定剤と思しき薬。
全部開けて呑み込む。動揺していたのかもしれない。
現実は変わらなかった。
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