148.徒花
「なによあんた、馴れ馴れしい。その手を離しなさいよ」
般若面の子供が少年に突っかかっていく。
お返しと言わんばかりに、彼の手の甲をべしりと叩いた。
少年の初撃よりかなり激しく。
「別にお前のもんじゃないだろ、このおにいさん」
少年は全く動じなかった。
顔色に一抹の痛みさえ浮かべない。
じっと般若面を見つめ返す。
あまりに堂々とした佇まいに、叩いた側がやや気圧されたようだ。
「な……なにさ。ボクが先に会ったんだもん。ボクのものでしょ! ボクのおにいちゃんなんだから! あっちへ行って! ボクのなんだから!」
最初の落ち着きもどこへやら、般若面の子供が癇癪を起こす。
耳の痛くなる金切り声を上げる。
鋭いガラスのごとく広場の空間を切り裂いた。
鼓膜に耳鳴りが残った。
少年はまだ涼しい顔をしている。
だがやがて悲しげに目を伏せると、ボソリと呟いた。
「この人は、誰のもんでもないさ……」
「うるさい! 黙れ黙れ! 余所者!」
般若面の子供が居てもたっても居られず、少年を片手で突き飛ばす。
よろけた彼に、それでも飽き足らず殴りつけたり爪で引っ掻いたり追撃した。
少年はされるがままに暴行を受けた。
「お……おい……やめ……」
僕は割り込もうとして、般若面の子供の鬼気迫る勢いに怖気づいた。
少年への暴行は決して幼子の非力な腕力であったが、殺気が漲(みなぎ)っていたからだ。
端からは児童の喧嘩だが、背筋に寒気が走った。般若面の子供の背中から、ドロドロした悪意が溢れ出ている。
「あっちへ行け! 失せろ! お前なんか消えろ! ボクの居場所を奪うな! 悪者め! 賤しい奴!」
少年がめったうちにされる。
どれもただ手を叩きつけられているだけで、いつまで袋叩きにしたところで致命傷にもならない。
ただただ般若面の子供の激情をその身に受け続ける。
傷ついても苦痛を感じていない様子だった。
「……いくらだって殴れよ。どうせ痛みなんかないんだ。俺も、お前も、何もかもが徒花(あだばな)に過ぎない。増えていくのは痣跡(あざあと)だけだ」
「それの何が悪いってのよ! いいじゃない! みんなみんなウソツキばっかりなんだもの! ボクがボクにだけ正直でいて何が悪いの! 本当に信じられるものが一つくらいあったっていいでしょ!」
意を決して、般若面の子供を後ろから羽交い絞めにする。
そのまま少年から引き剥がす。
予想に反して抵抗を受けなかった。ジタバタと手足が振り回されて暴れられ、爪の1つが目の上を掻いたが、それだけだ。
「……信じられるもの? 信じたいものだろう、それは」
少年が距離を詰める。
その手が、般若面に伸びる。
指先がほんの少し、面の端を引っ掻いた。
ぶちりと紐が千切れる。
「あっ……」
僕は絶句して、結城に似た子を離してしまった。
その子がこちらを振り向き、その顔を直視したからだ。
一瞬、頭が真っ白になるほどの衝撃を受けた。
……いや、顔なんてなかった。
額から下唇の下まで、真っ暗な空洞が顔面に空いていた。
目も鼻も口も、顔の部品の何もかもがなかった。
どうやって目視していたのか、どうやって発声していのか、知る術もない。
ただひたすらに、黒い空より黒い、ベンタブラックの楕円の闇があるだけだった。
「……あーあ、見られちゃった。おにいちゃんには、見られたくなかったのになぁ」
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