85.ハンドインハンド

 三郎がさっと、僕の右手に擦り寄る。

 自分の片手を、無遠慮にこちらの鼻先へと突きつけてきた。


「ねぇ、あーくん。デートなんだし、さーや、お手々つなぎたいなぁ」


 左隣を歩いていた結城の顔に不満がありありと浮かんでいく。

 イラついた様子で親指の爪を噛んだ。


「街中でいきなりハンドインハンドを要求してくるなんて、なんていやらしいの!」


 しかし彼の面の皮もさるもので、苦渋の顔面にコロリと笑顔の花が咲く。

 僕の正面に回り込み、


「そういうことなら、ボクと手を繋ごうよ、あーちゃん」


 三郎の手の上から重ねられた結城の左手。

 上から取ろうとすると結城の掌にしか触れなくなる。

 妨害をおくびにも出さない堂々たる嫌がらせだった。


「あーくん、あーくん♪」


 三郎が結城を肩で押しのけようとする。

 身長が頭半分、体重もキロ単位で体格差がありそうにも関わらず、彼の体当たりの方が優勢なくらいだ。


 おそらくタックルして突き飛ばすことさえ出来たはずなのだろう。

 そうしないのは、デートという体裁を崩すほどの暴力性を抑えているからだ。

 結果的に、妙な空気のまま2人の手が隣り合って、僕の前に差し出され膠着する。


 どちらかを取れ。暗喩。

 ただし、どちらを取るかで双方の機嫌も変わる。


 細く、おそらく体温低めであろう結城の指。

 同級生女子と同じくらい細い手指の結城より、さらに小さい児童のような三郎の手。


 グシャグシャに破壊された玄関扉が脳裏を掠める。中心部がベッコリ凹んだセラミック。猛獣の突進でもああはなるまい。

 結城は言った。「玄関殴り開けて入るのが見えた」と。

 常軌を逸した怪力。無論、その握しめた拳の握力は推し量れずとも、憂慮に値するのは間違いない。

 例えばゴリラと握手をしたらどうなるか。優しく握り返してくれるだろうか。気分次第では握り潰されてしまうだろう。

 いや仮に害意がなかったとしても、ふいにちょっと力を込めただけで、稲束を結束するがごとくベキベキに骨折しないとも限らない。

 フランケンシュタインの怪物だって故意でなかったにせよ、事故は起きてしまうものだ。


 では結城の手を取れば解決か。

 事はそんなに単純ではない。

 気分を害した三郎が如何に不満を解消するか。考えたくない惨状。彼がどの程度怒りを自制できるかなんて数字で見えないのだ。

 何時なんどきその小さな手が、僕のハラワタを抉り出す凶器にならないともいえない。


 苦し紛れに僕は、数メートル前方を指差した。

 その白々しさたるや、漂白剤も裸足で逃げ出すほどだ。


「おや、あれは何だろう?」


「え?」


 意外なほど素直に2人は、指差した方向を振り向いた。

 果たしてそこに、大衆向けのブティックチェーンが店を構えていた。


「服屋がどうかしたの?」


「えっと……ほら、せっかくのお祭りなんだからさ、2人とも浴衣とか着てみたらどう、かな?」


 着の身着のまま出てきたのは僕だけではない。

 2人も私服のままである。

 毎年、結城は夏祭りでは浴衣を着ている。無論、女物で体格の成長の有無に関わらず、2年に1回は新着を購入していた。

 今日はたまたまその時間がなかったので、当然着替えていない。


「浴衣かぁ……」


 改めて結城が自分の身成りを確認する。

 みるみる表情に釈然としない顔色が浮かんでいく。

 やはり例年の習慣を崩すことに不満があるようだ。


「あーくんは、さーやの浴衣見たい?」


「そうだね、2人の浴衣見たいなぁ」


 助かった。何とかそれらしい言い訳が出来た。

 いい加減に指差した先が、ただの民家やビルだったらどうしようかと。

 ツイている。


「ん、そうだね。お祭りと言ったら浴衣だもんね」


 2人共納得した様子で、服屋へ向かって歩き出す。

 幸い、ショーウィンドウからして夏浴衣のフェアを推していた。

 表の立て暖簾や、巨大な吊りポップで大々的に。

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