78.不可思議と処方箋

「ふふ、人に話すだけでも気が楽になるでしょう? あまり溜め込まないようにしてくださいね」


「はい、ありがとうございます……」


「心配はいらないと思いますが、お薬も少し出しておきましょうか」


「……薬?」


 せっかく安心しかけていた心に雲が陰り出す。

 病気ではないと言った。しかし治療が必要な症状ではあるということなのか。

 精神科から処方される薬なら、抗うんたら剤とか英単語の並んだ、脳内物質に作用するような薬だろう。


 怖い……。

 風邪薬とは訳が違う。

 脳に作用するのだ。麻薬や覚せい剤とどう違う……。

 一歩間違えて細胞が死んでしまったらどうしよう……。


「あぁ、心配要りませんよ。薬って言っても、気持ちが落ち着くくらいの一番弱い薬ですから」


 僕の顔色を察してか、やや芝居がかって少し慌てた仕草をアビゲイル氏はした。

 しかし極めて冷静で、不安を掻き立てない明るい口調で。


「そ……そうですか」


「えぇ。それに症状がなかったり、飲みたくなければ持っておくだけでも良いんですよ。いざという時のお守り、そんなくらいの気持ちで」


 彼女はどこから取り出したのか、診察後を示す番号札を渡してきた。

 それを受け取りながら、僕はお礼を返す。


「ありがとうございます」


 何だか始終手玉に取られ、思考も読まれっぱなしであった。

 だが悪い気分ではない。

 初対面の相手でも、自分の手の中で転がしていた悩みを人に聞いてもらえた。

 それだけで大分、肩の荷が下りた。気がする。


「また何かあれば来診してくださいね」


 彼女がニコリと笑う。

 自然体で、心の容態を安定させる笑顔。

 これもまた心理学の技術の一端か何かであったとしても、今は救われた。かもしれない。


 一礼して、部屋を出た。

 閉まるドアに隠れて見えなくなるまで、彼女は肩の高さに上げた手をひらひらと振っていた。




 廊下に出て2、3歩歩いて気付く。


 ここ、どこだ?


 来た時と廊下の様子が違っていた。

 あの薄暗くて、静かで人気のない廊下ではなかった。


 窓から陽の光はしっかり降り注いでくる。

 人気がないなんてことはない。むしろ周囲は医療関係者や患者が闊歩していた。

 少し賑やかなくらいだ。


 世界から隔絶された感覚などどこにもない。

 他の廊下と差して変わらない光景がそこにあった。


 どうなっている?

 ドアを開けて歩くまで、あの静かな廊下があったはずなのに……。


 そうだ、今さっき出てきた部屋は……。


 あの部屋のドアでもない。

 それどころか部屋ですらなかった。

 そこは脳神経外科の受付だった。

 2人の看護師が座って業務を行っている。


 どうなっているんだ……。

 今までのもまさか幻覚だったんじゃないだろうな……。


 ポトリ。

 知らずに指の筋肉が緩んだらしく、何かが僕の手から落ちた。

 それは先ほど貰った番号札だった。


 番号札は脳神経外科の受付で通った。

 診察料1430円を支払ったし、処方箋も貰えた。

 そしてやはり、病院に隣接する薬局で処方箋もしっかり使用できた。

 もらった薬は聞いたこともない名前。1週間分で7錠。頓服含む。


 狐につままれたような心地だった。

 しかし紛れもなく、僕は診察されたに違いなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る