66.幸せの姿
後方車両の引き戸に手をかける。
立て付けが悪く、酷く重い。
足も使って壊れんばかりに強く、横へと力を加えてようやく開いた。
後方車両に1歩踏み入ると、そこは新品同然の車両だった。
割れた窓もちぎれた吊り革も腐食した手すりもない。
完全な状態としての電車の1車両だ。
心なしか空気も澄んでいる。
最初の車両のドアの、半透明の覗き窓からは同じように古びた車内に見えていたはずなのだが……。
でも、こっちで正解だったらしい。
やはり幸せを選んだ先が幸せだったのだ。
択一選択で間違いを引きやすい自分にしては、運強い。
ほっと安心して車両を進み、真新しいクッションに腰掛けようとする。
その瞬間、天井が砕けて大穴が開いた。
ステンレスがガラス素材のように、粉々に砕け散る。
真っ黒な穴の先から、何かがボタリと落ちる。
見ると、それは表面が血に濡れた全長1メートルほどの肉の塊。
以前、商店街で見た異常情景の中で頭部のない人間の後を付け回し襲いかかっていた化物である。
ボタリ……。
ボタリボタリボタリボタリ……。
肉の塊は次々に振り落ちてくる。
止めどなく、雪崩のように。
腐った血臭がする。
「うっ……」
僕は後ずさる。
肉塊たちがこちらに、ゆっくり這いずり寄ってきているからだ。
さらに電車があるべき姿へと還る。
1つ前の車両と同じ、古びた内装へと。
電車の奥からこちらへと、波が引くように劣化が伝播する。
清潔で新しい車内はただの見せかけだった。
おびただしい肉塊の降り積もる、薄汚い廃車である。
くそ、何がHAPPYだよ、騙された。
幸せどころか地獄そのものじゃないか。
看板の文字も新品の車内も、チョウチンアンコウの疑似餌じみた囮だったに違いない。
急いで後ずさり、前の車両へと戻る。
背を向ける勇気はなかった。
ドアを閉めようとして、完全に壊れたドアはスライドしなかった。
肉塊はじわじわと距離を詰め、こちらの車両へも入ってこようとしている。
通路の遮断は諦めるしかない。
仮に閉められたとしても、薄いドア1つで進入を防げるか心許ない。
看板を見る。
後は、BADと示された前方車両へ逃げるしかない。
TRUEと書かれた先は、窓の外だ。
夢とは言え、走行中の電車から飛び降りろというのか。
……そもそも、HAPPYと書かれた後方車両が化物の巣だった。
この看板の記載は信じるに値しない。
肉塊の群れの先端がこちらの車両に流れ込んできた。
迷ってはいられない。
前方の車両へと駆ける。
鉄錆の臭いが濃くなった。
それもそのはず。
前方車両は最初の車両より、さらに風化の度合いが酷い。
砂や鉄錆や何かの粉に塗れている。
ガリ……。
「いたっ……!」
右肩に走る痛み。
首だけ動かして確認する。
肩上に、口に手足だけが生えた小さい異形の化物がしがみついていた。
痛みは、そいつが僕の肩に食らいついたからだった。
並びの良すぎるその歯で、齧りとった肉片を咀嚼している。
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