51.紙片

「…………」


 結城が無言で僕の腰の辺りを見つめてくる。

 腰…ではなく、腰だめに構えたまんまの拳…の中の紙片だろう、お目当ては。

 惚けた僕がそれに気付いたかは、自分でも自信がない。


「ところで、あーちゃん。さっきあの子から、住所や電話番号書いた紙、貰ったよね? ボクがた・い・せ・つに保管しとくから……寄越しなさい」


 差し出された、開かれた左手。

 冗談めかした口調。

 目の形は柔和に微笑んでいるが、細い隙間から見えた瞳の奥は笑っていなかった。


「あぁ…うん…」


 彼の言葉を皮切りに、指の制御が戻り手を開く。

 固く握りすぎて、自覚のない間に爪が皮膚に食い込んでいた。


「ありがと♪」


 紙を手渡そうとするより早く、結城がそれをむしり取る。


 びりびりびり。


 彼は僕の目の前、眉1つ動かさず紙を10回繰り返し破り、捨てる。

 細かくなった紙吹雪が、夏風に煽られて散っていった。


 分かっていたが、見て見ぬ振りをした。


「さて、気を取り直して買い物行きましょうか」


 結城が先導して歩き出そうとする。

 僕は何故か足が前に出ずに、あるいは動くことが億劫であるのか、その場から進めずにいた。


 彼が数歩前で心配そうに振り返る。


「あーちゃん? どうしたの、そんな奴のことなんか気にせずに行こうよ、ほら」


 こんな衝撃を受け、呑気にショッピングなんか楽しめない。


 どうしよう……大人、自治会とかその辺にこの事実を伝えるべきだろうか。

 ……いや、既に鬼三郎の帰還は知れ渡っているかもしれない。


 一介の町民である自分が、そこまで背負い込む必要なんてないはず。

 下手に関わって三郎の標的にでもされたらたまらない。


 ……彼に会った時点で多少なりとも目をつけられたかもしれない。

 言葉が脳裏に反響する。


『あーくんを探していた』


 ……何故?


「ごめん結城、買い物は1人で行ってくれないか。ちょっと……気分が悪くなってきた」


「え……そう? 熱中症? 送っていこうか? 途中で倒れたら大変だし」


「いや、大丈夫だよ。自分の足で帰れる」


 結城はしばらく戸惑っていたようだが、僕が来た道を引き返すと歩き去っていった。


 帰宅したところで、何かが出来る訳でもない。

 ただ今は、早鐘のように鳴り続ける心臓を落ち着けたかった。


「…………」


 振り返る。

 道にもう誰の姿もない。


 結城は、鬼三郎のことを知らないと言った。

 それはおそらく女子グループにいたから。


 だが、結城は自治会とも交流がある。

 それもおそらくは中学に上がる前後くらいのことで、その時に三郎は町を去っている。


 ……自治会の大人たちから三郎のことを聞かされなかったのか?

 憶測に過ぎない。

 知らない振りをする理由だってないはず。


「…………」


 考えても仕方ない。

 今はとにかく家に帰るんだ。

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