45.鬼っこ

 焙られたアスファルトの独特な臭気が鼻腔に侵入してくる。


 地面から立ち昇る陽炎の揺らめき。

 強すぎる夏の日差しに熱せられた、大気密度の歪みによる気象現象。

 まるで風に揺れるカーテンのようにユラユラと、視界に映る光景が歪曲する。


 ある種の非日常さを伴い、歩き慣れた街並みのはずが、どこか心細さを与えてくる。

 そのせいか、あるいは高すぎる気温で弱っているのか、セミの鳴き声も心なしか弱々しい。


 街中に満ちる求愛の声、そしてそこに混じる、遠くから流れてくる何かの音。


「何か聞こえない?」


「セミの声?」


 隣を歩く結城が顔だけこちらに向ける。

 鼻から上が傘地に遮られていた。


「太鼓とか笛みたいな。あと、トンカチとか大工仕事の」


「あぁ、お囃子のことだね」


「祭り、なんかあったっけ?」


 結城が頭を軽く揺する。

 二つ結びの髪が、日傘が揺れる。

 地面の歪な人影が、追従して形を変える。


 ……妙な影だった。

 太陽は真上にあるのに、僕たちの人型は妙に長く地面を伸びている。

 それに、なんだか、僕の影は結城に比べて薄い気がした。


「もぉ、それが外に出ない弊害の1つじゃない。明日は『鬼祀り』の日なんだから」


「え? あー……もうそんな時期だったっけ」


 鬼祀りとは、うちの地域での遅めの夏祭りを指す。

 夏場の初めから中ごろにかけて行われる自治体主催の祭りとは別で、地元の神社が主導して催す。


 本来なら祭事は神様への奉納として行うべきものであるが、ここでは少し解釈が違う。

 鬼祀りの鬼は物の怪の意味合いではなく、病魔や災厄、引いては人間の悪い感情など負の要素の総称。

 祀りや祈りと言うよりも、祝詞や神楽を通してそれらの負を鎮静化させることが目的である。


 つまり神様を崇めるのではなく、節分の豆まきなど悪霊祓いに近い行事なのだ。

 そう聞かされている。


「どこもかしこもお祭り気分。何だかウキウキしてくるね」


「そうだね」


 毎年、結城と一緒に参加している。

 幼い頃のように、エンジン付きの山車を引いたり練りに紛れてもみくちゃにされる、ということはしない。

 そういうヤンチャは小学生で卒業である。


 成長してから熱血する若人もいるが、僕はどうもそこまで郷土愛や地元の近しい距離感が苦手だった。

 結城は自治会の準備や宴会の手伝いくらいはしているようだが。


 なのでせいぜい浴衣でも着てあるいは私服で、露店を回ったり神輿を一歩引いて見物するくらいだ。

 おそらく今年もそうなるのだろう。



 などとボーっと考えながら、地面に目を向けて歩いていると、向かいから走ってきた小柄な人影とぶつかった。


 ドンッ!


 誰かの顔が胸の少し下に当たった。

 まったくの不意打ち。

 ぶつかる寸前まで、前方から誰かが走ってきたことに気付かなかったくらいだ。


 短く、ハスキーな悲鳴が相手の口から漏れる。


「あっ……と」


 それほど酷くぶつかった訳でもなく、相手の体重も軽そうに見えたが、後ろに3歩4歩たたらを踏む。

 一方で身長が僕の胸ほどあるかないかという相手は、1歩後ろに下がっただけだった。

 それも、ぶつかってよろけたというより、自分の意思で足を引いたように見えた。


 わりと小柄な少女。

 だが歳はそれほど離れていないという印象も受けた。

 せいぜい1つ下か2つ下か。

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