34.はんぶんこ
「うわっ……結城」
何の心構えも出来ていなかった。
驚きがそのまま口をついて出てしまった。
「うわ?」
彼が無遠慮に部屋に踏み入ってくる。
どうやらまた、知らないうちに上がり込んでいたらしい。
うちの両親から合鍵を与えられているので、玄関が施錠されていようといまいと関係ない。
以前からそうだっとは言え、ついこの前あのような殺伐とした事態に会ったばかりなのだ。
預かり知らぬところで、自宅に入られて行動されていると妙に不気味だ。
心臓によろしくない。
その手にある掃除用具一式から、家の清掃でもしてくれていたらしい。
その証拠に、白の半袖シャツに青のハーフパンツという活動的な出で立ちだ。
外にも出ていたのか、露出した白い二の腕に薄っすら玉の汗が浮いている。
普段は両横で二つ結びにしている長髪も、今日は後ろで1つに結んでいた。
運動などの煩わしい時、たまに彼はそうしている。
服装も髪型も機能美を重視してフットワークの軽いものだが、髪留めはせめてとばかりに黒地に白の水玉模様でオシャレを忘れていない。
普段ガーリッシュな服装を好む彼がカジュアルな軽装をすると、中性的な少年のように見えなくもない。
などと面と向かって言ったら、嫌な顔もされそうだが。
「来てたんだ。部屋に入る時は、ノックしてくれって言ったじゃないか……」
「別にいいじゃない。ボクとあーちゃんの間柄なんだし」
あっけらかんとそう言い放ち、結城が僕の勉強机の椅子に座る。
掃除用具も床に置く。
すぐに部屋を出ていくつもりはないようだ。
何か話をするつもりなのだろうか。
「えぇと……何か用?」
言ってしまってから後悔する。
なんて不用心なんだ。
わざとでないにしても、険のある突き放しに聞こえてしまったかもしれない。
「じゃ……なくて、その……」
彼は軽く微笑む。
弁解しなくても分かっているといった具合に。
「アイス食べる? 半分こ」
ポリエチレン製の棒状容器に入った清涼飲料水、を冷蔵庫で凍らせてシャーベット状にした物。
中間の窄んだ部分を軸に、半分に折って差し出してくる。
「……ありがとう」
取っ手の付いた方をくれた。
オレンジ味だ。
夏場はうちの冷凍庫に常備されているので食べ慣れている。
彼が自分の手にあるアイスの先端を歯で齧り取り、口の中で転がす。
同じ容器に入っているので、よしんば毒が混入されていないだろう。
などと馬鹿な考えが浮かんだので振り払う。
「今日も昼間っからゲームしてるの? 健康に悪いよ」
咎めるような口調ではなく、単純な疑問。
むしろ身を案じる心配さえ含まれている。
「結城だってヘビーゲーマーじゃないか。課題は終わらせているんだし、夏休み中くらいこうして羽を伸ばしていたって良いだろう」
……どうして、どこかつっけんどんな言い方になってしまうのか。
喧嘩している訳でもないのに。
無意識に彼を恐れているのか。
「そりゃまぁ……そうだけど……」
結城が所在なさげに指遊びをしながら言い淀む。
しかしすぐに気を取り直したように立ち上がる。
食べきったアイスの空容器をゴミ箱にノールックで投げ捨てる。
空容器は吸い込まれるように、ビニール袋を被せたゴミ箱の穴へ落ちた。
ナイスシュート。
「ううん、せっかくの夏休みなんだもん! 部屋に閉じこもってるなんてもったいないよ! お出かけしようよ、買いたい物もあるし。それに、昔の偉い人はこう言った! 書を捨てよ、町へ出ようってね」
夏の青空にも負けない、結城の爽やかな満面の笑い顔。
熱っぽく語っている彼には悪いが、おそらくその言葉の本来持つ意味と現状はあまり噛み合っていない。
僕が持っているのも知識ではなく娯楽であるし、言動ではなく書籍のタイトル名だったはず。
いや、あるいはそれすらも分かった上で熱弁したのかも。
言葉なんて意味が伝われば十分だ、そんなニュアンスで。
「うーん……」
気乗りしない。
腰を上げるより先に、言い訳を考えてしまう。
「はいなの? イエスなの? 行くの? わかったの?」
彼が詰めよってくるので、ベッドの上で後ずさる。
「……全部同じじゃないか」
「いいから、外出の支度して。ほらほら、いつまでも寝間着のままでいないの。着替えして歯磨いて顔洗って。あーちゃんがベッドから退いてくれないとお布団も干せないでしょう」
ベッドから追いやられるようにして立ち退かされる。
「分かったよ……」
元より、掃除含めて家事全般をやってもらっている引け目がある。
言い分の正しさどうこう以上に、この家においても彼の発言権の方が強い。
世の亭主はこうして家庭階級を落としていくんだろうな……。
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