1.起床
恋はキャンディのように甘い
愛はそれを煮詰めたほどに甘ったるい
だが愛を超えた時、甘味は苦味へと変わる
-ある詩人の唄より抜粋-
----------------------------------------------------------------------------------------------------
温かい。
朝だ。
夢の世界から現実へ引き戻される。
ベッドの上で布団にくるまったまま、頭が半分だけ覚醒した。
カーテンの隙間から、部屋の中を陽の光が舐め回している。それが布団越しに伝わってきた。
穏やかな初夏の朝が、起きる時間だと柔らかく促してくる。
僕こと夕暮 秋貴(ゆうぐれ あきたか)は目覚めが悪い方だ。
趣味で夜更かしする癖があり、そのわりに低血圧。
だから、起きる時間になっても中々ベッドから出られない。
快く目覚めるのは真夏くらい。
これが冬ともなると、起床までたっぷり15分ほどはかかる有様である。
ベッドから出ずに手を伸ばす。手探りで、枕の横にある目覚まし時計を掴む。
布団の薄暗がりの中、文字板に塗られた夜光塗料がぼんやり発光している。寝ぼけ眼で視認する。
午前6時32分。まだ10分ほど、寝所で惰眠を貪っても登校時間に間に合う。
「おーはよ、あーちゃん」
その時、安眠を妨げる声が投げかけられる。鈴の転がるような声。落ち着きと信頼を感じる。
ベッドの脇に、誰か立っている気配がする。
掛け布団ごと、肩を軽く揺すられる。決して強くはないが、起きさせようとする意思を感じた。
再び眠りかけていた頭が、再度目覚めを強要される。
何故こんな事をされるのだろう。まだ目覚まし時計も鳴っていない。
僕は頑として睡眠を続行する。無視を決め込む。
あと10分。起床の鐘がなるまで、あと10分は優しい微睡みの安息を許されるはずだ。
「もぅ、起きてよ、あーちゃん」
布団を剥ぎ取られる。遮光していた壁が崩壊する。安寧の終わり、現実への召還。
朝日の数分の一が瞼を貫通した。光を感知した受容体が交感神経を優位状態へと導く。
嫌でも頭は冴えて眠りを拒絶させた。血の巡り始めた脳みそは、おいそれと夢の世界へ帰還を許さない。
僕は目を開く。
「あー、もぅ、やっと起きた」
ベッドの脇に、母校の女子生徒服を着た、見知った人物が立っている。少し華美に過ぎる制服が寝起きの目に辛い。落ち着いた黒色のタイツに思わず目を向けてしまう。
年の頃は僕と同じ、14歳ほど。身長150半ば。全体的にホッソリと健康的に痩せている。髪は柔らかく、やや赤毛が混じった長髪。それを両サイドで結んでいる。毛先だけほんの少しパーマをかけている。
瞳の奥も赤みがかっており、深い色のそれがこちらの顔を眺めている。
朝顔 結城。産まれた頃から付き合いのある、隣近所に住む幼馴染である。
今日も起こしに来てくれたらしい。
「結城、まだ早いよ。目覚まし時計が鳴ったら起こしてくれって言ったじゃないか」
彼はやや呆れたように肩をすくめる。
「何言ってるの、もう6時40分。いつもの時間だよ。その目覚まし時計、動いてないんじゃない?」
「え、もういつもの時間?」
眠たい目を擦り、うーんと伸びをする。
そして右足の横に転がっている目覚まし時計を手に取る。
本当だ。秒針がぴくりとも動かない。時刻は6時32分で停止している。落としたり叩いたり衝撃を加えた記憶はないから、壊れた訳ではなく、電池が切れているだけかもしれない。
よくもまぁ、調子よく起床時間の直前で止まってくれたものだ。
「助かったよ。遅刻するところだった」
「いえいえ、どういたしまして」
結城が僕の手から目覚まし時計を取り上げる。部屋の壁に安置された棚の引き戸を開け、中にある予備の電池と交換する。
以心伝心。勝手知ったる他人の家。家族ぐるみで付き合い、頻繁に家を出入りし家事をする彼にとって、この家に何があって何がないのか知らないことはない。
僕は顔全体を手の平で擦り、少しでも眠気を飛ばそうと試みる。体質と生活習慣の不摂生で、中々目が覚めない。瞳の表面に透明な膜が引っ付いたまま取れない。
「おかげで寝過ごさずに済んだんだ。遅刻しないようにさっさと起きようかな」
結城が電池の交換を完了し、目覚まし時計の裏側にあるつまみで時刻を合わせながら言う。
「そうだね、せっかく恋人初日なんだもの。幸先悪くしたくないよね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます