3-2

 われわれは中等部校舎の裏手で落ち合った。


 わたしは探偵だ。逃れようもなく探偵だ。


「では、行きましょうか」ウルスラが笑った。


 わたしは探偵だ。探偵には探偵のクリスマスの付き合いがある。錬金術師主催のパーティー。あるいは魔女の宴。演目は会場につくまでのお楽しみ。


 クリスマスはまだまだ続く。


「いったい誰に会いに行くんだ?」


「そうですね。道すがらにでもお話ししましょう」


 ウルスラは山に向かって歩きはじめた。


「グリゴリ」ウルスラは言った。「われわれはそう呼んでいます」


「何者なんだ?」


「その前にまず探偵さんにお訊きしたいことがあります」


「またそれか」わたしはため息をついた。「言っておくが、リンゴの話はもうたくさんだ。リンゴの実は種を運び、生命をつなぐためにある。そうだろ?」


「探偵さんってば、そんなことどこで知ったの?」


「知恵の果実を食べたのさ」


「知恵の果実」ウルスラは笑い声を上げた。「それはいい。ならば、探偵さん。マリア様の懐胎が奇跡とされているのはなぜだかわかりますか?」


「海が割れ、死人が蘇り、人間の体内に別の命が宿る。それが奇跡じゃなかったら何だって言うんだ」


「相変わらず模範的な解答ですね」


「考えてもみてください。この島は工場であらゆるものが生産される。でも、その工場ができる前は? いったいどうしていたんでしょう。赤ちゃんはいったいどこから来たんです?」


「きっと別の方法があったんだろう。工場はそれを効率化したんだ」わたしはそこで思いついた。「まさか、むかしは誰もがマリア様みたいに子供を腹に宿したとでもいうんじゃないだろうな」


「なんだ、わかってるじゃないですか」ウルスラは拍子抜けしたように言った。「そうです、人はそうやって命をつないできたんですよ。自らの腹を痛めてね」


「冗談はよせ」わたしは笑った。「君はこの島で妊娠した人間を見たことがあるか? 想像してもみろ。そこらじゅうを腹の膨れた天使や学生たちがうろうろしてるところをな。マリア様のありがたみなんてあったもんじゃない。マリア様の神々しさは、あの膨らんだ腹に象徴されていると言っても過言じゃないんだから」


「その通り、この島で子を孕む人間はいない」


「なら」


「しかし、この島に存在しないものはすなわちこの世界に存在しないものですか? あなたは外の世界をどれだけ知ってます?」


「何も」わたしは首を振った。「少なくともママが語る以外のことはな。君も知ってるだろう。外の世界は争いが絶えなかったという話だ。だからこそママはこの島を作られた。地上の楽園として、な」


「そう、この島には争いらしい争いはひとつもない」ウルスラは笑った。「でも、外の世界にはあるんでしょう? ほら、この島にだけないものがあった」


「屁理屈だ。争いと妊娠とじゃまるで違う」わたしは言った。「アグネス君もそんな戯言を信じていたのか?」


「そうですね。彼女の場合は夢見ていたと言った方が適切かもしれませんが」


「夢だと?」


「それもグリゴリが話してくれるでしょう」


「さて、中に入りますよ」


 洞窟の中を進む。洞窟の中の空気は湿っぽかった。ときおり、ぴちゃぴちゃと水が滴る音が聞こえた。運動靴が水たまりを踏む。天井から滴った水が、首筋を濡らした。


 ウルスラが懐中電灯を片手に先導する。洞窟の中は一本道だった。やがて、曲がり角の奥からほのかな光が見えてきた。影が揺れ、空間が歪んでいくような感覚を覚える。


「さあ、着きましたよ」


 われわれは曲がり角を折れた。とたんに空間が開けて広場のような場所に出た。


 炎。


 そして山羊。


 山羊のマスクをかぶった人間だ。


「紹介しましょう。彼女がグリゴリです」


 洞窟の中には煙が立ち込めていた。炎の煙ではない。何か甘い香りがする。意識が朦朧としはじめた。


「おい、何を焚いているんだ」


「ちょっとした香ですよ」ウルスラが言った。「どうです? われわれはもう慣れてしまいましたが、初めての方には効くでしょう。天に舞い上がりそうな気分になりませんか?」


 ウルスラの声が徐々に遠のく。


「何をはじめるつもりだ」


「神へと近づくイニシエーション、生命の創造ですよ」ウルスラが笑った。「さて、では」


 三人はおもむろにスカートの中に手を突っ込み、下着を脱ぎはじめた。


「さあ、あれを」ウルスラがグリゴリに向かって手を伸ばす。グリゴリはクーラーボックスを開き、その中からピペットを取り出した。


「なんだそれは」


「聖霊だよ」クララが言った。「このグリゴリさんが工場からくすねてきたんだ」


「聖霊だと?」


「その通り。それが人間の卵と出会うとき、新たな命が生まれるんです」ウルスラは笑った。「テレジア、見本を見せてやるんだ」


 テレジアはうなずいた。心なしか表情が恍惚として見える。彼女は地面に仰向けになり、スカートをたくし上げた。股を開く。テレジアの局部は子供のようにつるりとしていた。


 グリゴリは彼女に覆いかぶさるようにして近づき、ピペットを彼女の股の割れ目に挿入した。


「あ」


 声。それから、山羊はしばらくの間ピペットを挿入したままにしていた。ピペットの中に装填された何かをテレジアの中に注入しているらしい。やがてそれを抜き取ると、テレジアは全身の力が抜けたようにして足をだらんと床に降ろした。


「どうです。探偵さん。崇高なものでしょう。生命を作る営みとは」ウルスラは笑った。「しかし、アグネス君ももったいないことをしたものだ。聖霊を授かる前にわれわれの元から離れるなんて」


「なんだと」わたしは喘ぐように言った。「アグネスは無関係だったのか」


「おや、気づかれましたか」


「君たちは何のためにわたしを……」


「あいにくと、この実験は百発百中とはいかないんですよ。それも、結果がわかるまでに時間がかかる。サンプルは多いに越したことがないんですよ」ウルスラはそう言って、こちらに歩み寄って来た。「さあ、探偵さん。あなたにも参加してもらいましょう。ピペットは人数分用意してあります」


「やめろ……」


 わたしは逃げようとした。しかし、意識が定まらず、よろめき、その場に崩れ落ちる。


「しょうがないですね。わたしが脱がせてあげましょう」


「やめろ」


 わたしは抵抗した。しかし、視界はぼやけ、手はあらぬ方に向かって伸びるばかりで、ウルスラの手を止めることはできない。ウルスラの手がわたしのスカートをたくし上げる。下着をつかみ、それを一気にずりおろした。


 クリスマスはまだまだ続く。


「これは」ウルスラが驚嘆の声を上げた。


「これってどういうことなの。ウルスラ?」クララも目を丸くして驚く。


 何も言いたくない。何も見たくない。何も聞きたくない。


 彼女らの視線の先にあるものを。


 わたしの股に生えた角のことを。


「アンドロギュノス」ウルスラが高揚した口調で言った。「驚いたな。まさかこんなものを隠し持っていたとは」


「でも、どういうことなの。探偵さん完璧な女じゃんか。胸もあるし」


「まあまあ、細かいことはあとでいいじゃないか」


 ウルスラがわたしの角をつかんだ。


「素晴らしい。ピペットなんかよりよっぽどいいな。ねえ、これ使えるんですか」


 何も言いたくない。だが、かわりに角が答えた。


「見ろ、屹立したぞ」


「ちょっと、ウルスラばっかりずるい。わたしにも触らせてよ」


「ははは。そう急かさずに。まずはわたしが手本を見せるから」


 ウルスラの手が角をしごきはじめる。何も言いたくない。何も考えたくない。何も感じたくない。しかし、角はますます固く、ますます熱を持ち、やがて透明な粘液を分泌しはじめ、むずむずするような快感が全身に伝わり、ウルスラの手はわたしをしごき続け、わたしはやめてくれと懇願し、しかし、彼女の手はわたしの角をしごき続け、わたしは気がつけば自ら腰を動かしはじめ、やめてくれ、やめてくれと懇願しながらも自ら腰を振り続け、懇願の声が甘やかになりはじめ、やめてほしいのかやめてほしくないのか自分でもわからなくなり、しかし腰だけは動き続け、彼女はわたしをしごき続け、しごき続け、しごき続け、わたしはとうとう耐えられなくなる。


「ああっ」


 頭の中で何かがはじけた。わたしの喘ぎに呼応するようにして角の先端から白いものが勢いよく噴出される。アーチを描いて飛び、ウルスラの手や顔を汚し、地面に落ちた。


「やや、これは少々やりすぎたな」ウルスラは顔を拭いながら言った。


「次、次、わたしね」


「待ちたまえ。まだ、わたしの本番が終わってない」ウルスラは自分の指に絡みついたものをなめとった。一瞬、顔が歪む。だが、ごくりと飲み干した。


「なるほど。これが生命の味。苦いですが、いいのどごしだ」ウルスラは再び指に舌を這わせた。「さて、ウォーミングアップもすんだところで本番と行きましょうか。何、安心してください。われわれはこういう知識は豊富なんです」


 ウルスラはわたしを仰向けにして、その上にまたがった。片手でスカートをたくし上げ、もう片手で角をつかむ。それを自らの股間にあてがい……


 何も見たくない。角の先が彼女の茂みに触れた。何もかもを見ていたい。わずかな湿り気を感じる。何も感じたくない。白い脚、肉の感触。何もかもを感じていたい。


 意識が遠のきはじめた。眠りたくない。わたしは目を閉じる。目を閉じなかった。そのまま眠ってしまいたかった。最後まで起きていたかった。二度と目覚めたくなかった。この素晴らしい瞬間が永遠に続いてほしかった。


 何も見たくない。何も考えたくない。何も感じたくない。


 だが、そこでウルスラの手が離れ、ウルスラの体が離れ、ウルスラの熱が離れ、ウルスラの声が聞こえ、洞窟の入り口から足音が迫ってくるのがわかった。


「そこまでだ」


 かすむ意識の中、厳かな声が響いた。広場になだれ込んでくる天使たち。天使長……


 クリスマスはまだまだ続く。

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