第317話 俺はクリスマスイベントに行きたい
「……ん?いつの間に……」
目を覚ますと、そこは早苗の部屋だった。
眠る前は確か自分の部屋に……あれ、いつの間に帰ってきたんだろう。
首を傾げていると、勢いよく扉を開いて笹倉が飛び込んできた。
「碧斗くん!もう出る時間よ!」
そう言われて外を見れば、空に少しオレンジがかかってきている。確かにもうそろそろ出ないとイベントが始まってしまう時間帯だ。でも。
「笹倉、俺はどうやって自分の部屋から帰ってきたんだ?」
笹倉に誘われて俺の部屋に行って……それからの記憶が全くない。ただ、行ったことは確かなんだ。それなのに……。
「何言ってるのよ。今日はずっとここにいたでしょ?寝ぼけてないで早く準備してちょうだい」
「え、あ、わかった……」
笹倉の様子に何かを隠していると言った感じもない。もちろん嘘をついてそうにも見えない。
「……夢、だったのか?」
夢なら思い出せないのも納得だ。あまりに寝心地が良すぎて、現実と区別がつかなくなるほどリアルな夢でも見てしまったんだろう。たまにあるやつだな。
でも、夢ならもっと大胆なことしておけばよかったと思うよな。まあ、操作できるわけじゃないから意味ないんだけど。
「もぉ!早くしないと小森さんの登場シーンを見逃すわよ?怒られても知らないんだから!」
「ごめんごめん、すぐ準備するから」
部屋の外から笹倉に急かされて、俺は用意してあった外出用の服に着替えた。あれ?これを準備した記憶もないんだけど。……まあ、別にいいか。
寒くないように防寒着のコートも羽織って、足踏みしながら待っていた笹倉の元へと駆け足で向かう。
そして「遅れるのは私の仕事なのよ?」とよく分からない文句をつけてくる彼女に手を引かれながら、リビングにいた茜と葵、仕事部屋にいた咲子さんにいってきますと声をかけてから、急いで玄関を飛び出した。
いつの間にされていたのかも知らないイルミネーションの下を歩きながら、笹倉は自分たちよりも少し遅めに歩くカップルたちを見回して顎に手を当てて唸った。
「そうよね、私達もカップルなのよね」
「なんだよ、今更」
「……ちょっと思うところがあっただけよ」
ほんの少し、言葉に間があった。俺はたったそれだけで彼女の望んでいることを不思議と察する。
ただ、そのまま伝えるのは少し照れくさくて、なんと言おうかと悩んだ結果、口から出てきたのは。
「手袋忘れてきたから、指先が冷たくて仕方ないんだよな」
そんな遠回しなセリフだった。どこかで聞いたことがあると言われても仕方ないような、それなりに使い古されていそうなくさい言葉だが、それでも笹倉は微笑んでみせてくれる。
「仕方ないから、私が温めてあげるわ」
彼女はそう言うと、俺の左手を掴んで自分の右手と一緒にコートのポケットへと突っ込んだ。冬用の防寒着なだけあって本当に温かい。
こういうのって男側がするものな気もするけど、笹倉が満足そうだからよしとするか。
「さあ、カップルっぽく行きましょうか」
「あ、ああ……」
どうして『〜ぽく』を強調したのかは分からないが、ポケットの中で恋人繋ぎに変えた彼女の小さなこだわりを微笑ましく思いながら、言われるがままにカップルで溢れる道を歩んだ。
「間に合ったみたいね」
そう呟いた声に時計を確認してみると、イベント開始時刻の3分前だった。初めの方に追い越してきたカップル達は遅刻確定だな。
舞台は未だ真っ暗なものの、司会らしき女性の『まもなく始まります!』という声がスピーカーから聞こえてくる。
イベントは広場の中央で行われるため、舞台の前に集まる人集りの横を、疎ましそうな視線を向ける青年やギャルが歩いていくのが見えた。
去年までは俺もあっち側だったんだよな。こうして幸せムード全開の集団に溶け込んでいるのが、今更ながらに不思議な感覚だ。
「ゆうくん、楽しみだね♪」
「そうだね、みか。今日は最高の夜になりそうだよ」
少し離れたところでそんな会話をし、初々しさの欠片もない熱いキスを交わすカップルからはそっと目を背けさせてもらって……。
「って、すごい見てるな」
100度見くらいしてるんじゃないかと言うくらいチラチラ視線をやっては、恥ずかしそうに下を向く笹倉についつっこんでしまった。
「み、見てないわよ……」
「いや、見てないは無理があるだろ」
俺の言葉に手で顔を隠してしまう彼女。余程恥ずかしいのだろうか。
「羨ましいなんて思ってないわよ?……でも、碧斗くんはあそこまで私にしてくれたことがないから……」
「その感情を人は羨ましいって言うんじゃないのか?」
てか、笹倉って俺が思ってるより高度なことを要求してくるんだな。あんな熱々のをしたら、唇火傷するぞ。いや、しないけど。
「俺なら、人前であんなことはしたくないな」
「なら、家出ならいいってこと?」
「……時と場合による」
「今夜なんて、一年で一番適してる時だと思うのだけれど……」
彼女はそう言いながら、人差し指どうしをつんつんと突き合わせて、上目遣いで俺の様子を伺ってくる。
もちろん一人でE. T. ごっこをしている訳では無い。これはおねだりみたいなものなのだ。
今夜なんてと言ってくるあたり、コンビニで『限定!』と書かれてあるくらいタチが悪い。人は特別感というものに弱いからな。
「クリスマスイブの夜は、1年の中で体を重ねる男女が最も多いのよ?昨日調べたから間違いないわ」
「なんてもん調べてんだ」
「履歴は消しておいたから大丈夫よ」
「そういう問題なのか……?」
まあ、この年頃なら女子でもそれくらいの興味はあるか。無かったとしたら、それはそれで心配になるし。
「だからって、俺達がどうこうするわけじゃないだろ?そんなの、クリスマスイブの雰囲気に流されてるだけだろうし」
これ以上踏み込んで、変な気を起こされても困る。そう判断した俺は、わざと話題を突き放すように言って見せた。
だが、それでも笹倉は引き下がらない。むしろ体をより近付けてきた。
「私は流されたい派よ?」
笹倉らしくないと言えばらしくない。けれど、その積極さは彼女らしさそのものだ。
もしかすると、今日という日を自分の望む形で終わりに持っていくために、手段を選んでいられなくなったのだろうか。
「笹倉、さすがに近いぞ……」
このままでは俺の理性が先に崩壊する。そう悟った俺は、彼女の体を優しく押し返そうとした。しかし、すぐに力を込めていた腕を下ろす。
笹倉の元いた場所へ、既に別の観客が立ってしまっていたから。
「戻れなくなっちゃった」
可愛らしく舌を出して照れたように笑う彼女に、どこか計画性のようなものを感じたものの、立ち位置を失った以上はもうどうしようもないとため息をつく。
だが、今の状況的に、引っ付いていれば2人立てるだけのスペースは残っている。ならばと、俺はこちらを向いていた笹倉の体を反転させて舞台の方を向いて立たせた。
そして、人波ではぐれてしまわないよう、腹の辺りに腕を回して軽く抱き締める。こうすれば同時に距離も詰めれるため、手繋ぎより確実なのだ。
ただ、舞台を見るためには笹倉の顔の横に自分の顔を持って来なくてはならず、そうすると吐いた息が彼女の耳に触れてしまう。
それがくすぐったいのか、時折悩ましい声を漏らすのに、どこかいけないことをしているような気持ちにさせられ、顔が熱くなった。
もしかすると抱き締めるのは失敗だったのかもしれない。イベントが終わるまでこのままの体勢でいなくてはならないとなると、それこそ俺の理性が危ない。
笹倉の髪からすごくいい匂いがしてくるし……。
「ねえ、みか。イベントまで我慢できないよ」
「ゆうくん、実は私も……。もう行っちゃう?」
「じゃあ、そうしよっか」
小声ながらもしっかりと周りに聞こえてくるその会話が途切れると、先程熱いキスを交わしていたカップルが、人波に逆らってその場を立ち去っていった。
彼らがこの後一体どこに行くのか、健全な心の持ち主である俺にはさっぱりだが、おかげで2人分のエリアが詰められ、人ひとりが立てるだけのスペースが俺達のすぐ隣に生まれる。
「…………」
その誰もいない空間を少しの間見つめていた笹倉は、首だけを振り向かせて微笑んだ後、何事も無かったかのようにまた舞台を眺め始めた。
「いや、移動してくれよ!?」
「…………チッ」
舌打ちはやめようよ、舌打ちは。一応神聖な日なんだからさ。
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