第316話 俺はこちょこちょを拒絶したい

「ふふっ、碧斗くんは結構強いのね!私も同じくらい強くならないと!」

 そう言いながら、凛々しい瞳で拳を握りしめる笹倉。俺はそんな彼女の隣で抜け殻のようにくたびれていた。


 結局、あれから地獄の時間は20分間続いたのだ。

 俺も脇腹をくすぐられるのは弱い方で、それ相応の反応も否応なしに見せることになった。

 しかし、くすぐり初心者の笹倉はそれすらも分からず、必死に耐えようとする俺を見て『まだ余裕なのね』と判断したらしい。

 最終的には、俺がなんの反応も示さなくなるほど衰弱した頃、ようやく限界だと認識してくれた。あと少しでも長引いてたら、俺は口から魂を吐き出してたかもしれない。

 まあ、俺が先にやったことだから文句は言えないんだけど。泣かせちゃってるし。

「碧斗くん、今度はあなたの番よ?」

 そう言いながら、俺を引っ張り起こすのと入れ替わりでベッドにゴロンと寝転がり、まるで服従のポーズをとる犬のように服をめくって綺麗なお腹を見せる笹倉。

「こ、今度は頑張るから……碧斗くんの好きにして?」

 彼女のくびれたお腹がキュッとへこむ。これから来ると予想されるこちょこちょ攻撃に備えて、力を入れたのだろう。

 普段の俺なら、この表情と行動を可愛いと思ったかもしれない。いや、今も確かに可愛いと思っている。

 しかし、今ばかりはそのお願いを聞いてやることが出来なかった。何せ、自分が地獄を味わった直後なのだから。

「も、もうしないから許してくれぇ……」

 俺はこの日、二度と人にこちょこちょをしないことを誓った。自分がされて嫌なことはしちゃダメって言うもんな。




「むぅ……」

「そんなに不貞腐れないでくれよ」

「だって、碧斗くんがこちょこちょしてくれないんだもの」

 ほっぺを膨らませながら、ぷいっとそっぽを向く笹倉。2人きりの状況が続いているからか、だんだんと甘えモードになってきている気がする。

 やっぱり学校とかだとある程度『キャラ』みたいなのを気にしているんだろうか。そう思うと、あの凛々しさが微笑ましく感じてきちゃうな。

「だから、それ以外ならなんでもしてやるって言っただろ?」

「じゃあ、役所で婚姻届を――――――――」

「それもさっき却下した」

「むぅ……」

 もういい!とばかりにうつ伏せになって枕に顔を埋める笹倉。愛らしくはあるが、このままじゃ機嫌を治してくれないと困るよな。

 こちょこちょと婚姻届以外で、何か満足してくれることって一体――――――――――。

「じゃ、じゃあ……」

 色々と思考を巡らせていると、笹倉が先に口を開いた。何かして欲しいことが見つかったらしい。

 のそのそと体を起こし、背中を壁にくっつけながらぎゅっと抱きしめた枕で口元を隠す彼女は、頬を赤らめながら言った。


「私を本当の彼女にして欲しい……」


 笹倉の顔は言う前よりも赤みを増したが、その瞳は俺から一切逸れることなく見つめ続けている。そこから、それ相応の覚悟を決めて口にしたということがうかがえた。

 でも、そうだよな。俺と笹倉って、正式に恋人になろうって約束はしてなくて、つまりそれは今までずっと(偽)恋人だったってことになる。

 答えを決めかねていた俺と違って、笹倉はそれを望み続けていたんだ。いつ伝えるかとか、どうやってとか、俺の知らないところで色々と悩んでいたのかもしれない。

『答えが出るまでは悩めばいい』って言われて安心してたけど、タイムリミットがあったのは俺だけじゃないんだからこの展開になるのは当たり前だ。

 2人きりになるなら、覚悟は決めておくべきだった。

「やっぱり、私と小森さんとで悩んでる?」

 なかなか答えられない俺に、笹倉は首を傾げる。

 正直、彼女の言う通りだ。俺はずっと二人の間でふらふらしていて、どっちの方が好きだとか考えたことも無い。

 どちらかを選んで関係が崩れるのが嫌だとか、そんなラブコメ主人公みたいな思考がある訳じゃなくて、単純にどっちも大好きなんだ。

 きっとこんなこと言ったら世の女性をみんな敵に回すだろうし、男性達からも白い目で見られると思う。でも、やっぱり俺は―――――――――――。


「2人と一緒にいたいんだよ……」


 情けない答えだと笑われるかもしれない。

 優柔不断で頼りない奴だ、そんな覚悟で2人共を守れるのかと彼女達を哀れむ人もいるかもしれない。

 第三者の目はいつだって厳しい。その人の立場になった目線ではなく、あくまで観客としての意見でしかないから。


『本気で好きな人が2人いるなら、それは悪いことじゃない』


 かつて早苗も俺のことも好きだと言ってくれた千鶴に伝えた言葉は、きっと自分自身のためにも心の中に留まり続けたんだと思う。

 客観的に見れば俺はクズだ。笹倉の気持ちを知りながら、それをふわふわと浮かせたままにしているのだから、コロ助達に断罪されたって仕方ないことをしてる自覚はある。

 それでも、俺はどちらかへの気持ちを押し殺して、もう一方を選べるほど笹倉と早苗を軽視していない。

 どちらも好きでたまらなくて、どちらもそばにいて欲しい。これは2人の気持ちを考えたものなんかじゃなく、俺自身の自己中心的な欲望だ。


『政略結婚、同盟結婚、家族の権力のために身を売る女性。昔の恋は血筋を考えたものでなくてはならなかった。

 しかし、今の時代はそうじゃない。愛さえあればその他は無視して欲望に忠実に相手を求める。それが正しい恋愛だ』


 今ならテレビに出ていた偉そうなおじさんの言葉の意味がわかる。

 いつかは片方を悲しませなくてはならないとしても、今はただ『2人とも幸せにしたい』という欲望に忠実になりたい。

 どうしてこれが、どちらかを見捨てるという選択よりも良いことだと思われないのだろうか……。


「……碧斗くん、もういいわ」

 その言葉で、俺の意識は目の前の笹倉へと戻った。

 俺の意思がどうであれ、彼女らに愛想を尽かされれば終わりだ。そして今、その声色から笹倉に呆れられてしまった……と思ったのに。

 彼女は優しい目をしていた。そっと伸ばされた手が俺の頬へ包み込むように触れ、温もりがじんわりと伝わってくる。


「高校を卒業したら、3人でベトナムに行きましょう。法的には認められていないけれど、一夫多妻制を容認している村があるの」


 お父さんとお母さんも、きっと手を貸してくれるから。そう口にした彼女の瞳からこぼれ落ちた涙が、ベッドのシーツにいくつものシミを作った。


「少し前までは、もしも碧斗くんが小森さんにとられても、好きな人だから祝福できると思ってた。でも……」


 言葉の合間に嗚咽が混じるようになり、頬に当てられていた手は次第に下がり、俺の肩を強く掴む。


「でも、やっぱり私は碧斗くんと離れたくないの。一緒に居られなくなるのが一番怖いの……」

「笹倉……」

 彼女の手から、その想いの深さが伝わってくるような気がして、俺は無意識に名前を呼んだ。

 しかし、その声に彼女はゆっくりと首を横に振る。そして。


「昔みたいに呼んでよ……『さあや』って」


「…………え?」

 俺はその言葉の意味が理解できなかった。笹倉は『さあや』とは別人で、彼女自身もお互いを知ってるって言っていて……。

「そ、そんなはずないだろ。だって、『さあや』はもう―――――――――――――――――」




 やっと思い出した。ずっと曖昧で思い出せなかった、『さあや』とのお別れの瞬間。



 両親がベトナムに転勤するからと、幼かった彼女も一緒について行くことになって、見送りに行く約束をしていたんだ。



 なのにあの日、俺は熱を出して寝込んだせいで行けなかった。

 俺に渡したい物があると言っていた『さあや』は、両親が止めるのも無視して一人で俺に別れを告げに来ようとして―――――――――――――。



「もう……

 トラックに撥ねられて死んだ。


 自分のせいで『さあや』が死んだっていうのに、俺はその記憶に蓋をして、あわよくば一生思い出さないでおこうとしていた。

 彼女が生きていると自分に暗示をかけて、一人だけ幸せになろうとしていたんだ。そんなことが許されるはずがない。

 でも、思い出したからこそ生まれる疑問がある。俺は目の前にいるそのの光のない目を見て問うた。


「なら、お前は誰なんだ?」


 直後、ブラウン管テレビのコンセントを抜いたみたいに視界がプツリと真っ暗になった。

 まるで、これ以上先に進んではいけないと、自らの脳が体を制止したかのように。

 倒れる体は何者かによって支えられ、優しく抱きしめられる感覚だけが伝わってくる。


「あおとにはまだ早かったみたい。大丈夫、もう一度受け入れるチャンスをあげるから」


 優しく語りかけてくる声が、俺の耳の中に残った。

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