第190話 俺は幼馴染ちゃんに素直になれない

 早苗は部屋に入ってくるなり、手に持っていたものを机の上に置き、そのまま俺のいる方へと倒れ込んできた。

 慌てて腕を出して支え、俺の座っていた椅子へと腰を下ろさせる。しんどそうではあるが、熱という感じではないな。

「早苗、遅かったじゃないか」

 俺が茜に『負けたら往復ビンタのあっち向いてホイ』に強制参加させられている時、早苗もリビングに入ってきたのだ。

 実は彼女も参加させられて負けているのだが、『アイスを買ってくる』という条件でビンタを免除してもらい、今までスーパーに行っていたというわけだ。

 先程机に置いたのはアイスの入った袋だろう。ただ、スーパーに行っていたにしては帰りが遅かった気がする。

「駅前のスーパーに行ったんだけど、茜ちゃんが言ってたアイスが売り切れてて、電車に乗ろうにも定期持ってなかったし……」

「まさか、電車で行く距離を歩きで……?」

 俺の言葉に早苗は小さく頷く。いくら約束を果たすためと言っても、こんな汗だくになるほど頑張らなくても良かったのに……。

「おお!このアイスだ!人気だからなかなか売ってないんだよな!」

「わたしがお願いしたのもあります!すごく美味しそうです!」

 袋の中を覗きながら歓声を上げる双子たち。そんな彼女らを見て、早苗は頬を緩めた。

「喜んでくれたなら、汗かいた甲斐があるね……えへへ♪」

 定期券が無いなら、1度帰ってくればいいだけの話だ。時間的にも労力的にも、その方がずっと少なくて済む。

 でも、早苗はそれよりも頑張る方を選んだ。彼女のことだから、帰るという選択肢が思い浮かばなかっただけかもしれないが、それでも誰かのために頑張った今の彼女は、馬鹿なりにかっこよく見えた。

「私が抱きついちゃったから、あおくんも汚れちゃったね……」

 そう言われて、俺は早苗の汗で服の胸あたりが湿っていることに気が付いた。

「ああ、着替えないとな。早苗も汗で気持ち悪いだろ。シャワー浴びてきたらどうだ?」

「あおくんが一緒なら浴びる!」

「じゃあ一生浴びれなさそうだな」

 やっぱり早苗はただのバカかもしれない。いや、確実にただのバカだ。

「ええ……結婚したら一緒に入るでしょ?」

「結婚したら、な。その予定ないだろ」

 けど、彼女のバカさは限りなく真っ直ぐで、とても悪いとは言いきれないんだよな。

「むぅ……私の中では確定事項なのに……」

 だから何をされても嫌いになれないんだろうけど。

「まあ、頭くらいは洗ってやるよ。2人を喜ばせてくれたお礼だ」

 俺の言葉に、早苗は表情を輝かせ、飛び込むように俺に抱きついけきた。

「あおくん、やっとその気になってくれたんだねっ!」

「違ぇよ!体はちゃんと隠してもらうからな!?」

「もぉ〜♪素直になった方がいいよ?」

 少し優しさを見せたらこうだ。調子に乗って、俺の心の深いところまでグイグイと踏み込んでくる。正直、これだけ長い時間を一緒に過ごしていると、少しウザイと感じることもあった。

「素直になっても何も変わらないぞ?」

「あおくんの恥ずかしがり屋さん♪」

「見られたら見られたで恥ずかしがるのはお前だろ」

 でも、それ以上に早苗といると楽しい。つまらないと思ったことも、飽きたことも一度もないくらいに、彼女は俺の人生を豊かにしてくれている。

「さすがあおくん、私のことを分かっていますなぁ……えへへ♪」

 照れたように後ろ頭をかく早苗。よく見てみれば、いつもはボリューミーな茶髪が、汗の湿気でペタンとなってしまっている。

 頬も高揚してほんのりと赤く、服も張り付いて体のラインが丸わかりだ。それに気づいた瞬間から、自分の心臓の音がはっきりと聞こえるようになった。

 女の子のいつもと違う雰囲気というのは、男の目には毒なんだな……。

「早苗」

 俺は彼女の名前を呼ぶと、腕を引っ張って椅子から立ち上がらせ、膝の裏側を軽くチョップすると、膝カックンの要領で倒れてきた彼女の体を両腕で支えて持ち上げた。

 そして、驚いた顔をする彼女に向かってこう言った。

「風呂の時間だ」



 俺は濡れてもいいので、先程から着ている服のまま風呂場で待機。早苗には体を隠してもらうために、あるものを着てこいと伝えておいた。もうそろそろ戻ってくるんじゃないだろうか。

「あおくん、準備できたよ〜」

 くもりガラスの向こう側から、ノックと彼女の声が聞こえてきた。俺が「入ってきていいぞ」と返事をすると、彼女はゆっくりとドアを開き、おそるおそる浴室内に足を踏み入れた。

 体が全部ドア枠を跨ぎ切ると、早苗は後ろ手で扉を閉め、隅っこから様子を伺うような視線を向けてくる。

「ど、どう……?」

 こういう時、『似合ってるよ』と答えるべきなんだろうが、分かっていても俺の口からは別の言葉が先に飛び出してしまった。

「なんでスクール水着なんだよ」

 俺が体を隠すために着てこいと言ったのは、『水着』だ。海にも行っているし、あの時に来たのがあるだろうと思って行ったのだが……まさかそっちの水着で来るとは思ってもみなかった。

「あおくんが体を隠せって言うから、一番隠せるのを選んだんだよ?だめ、だった……?」

 残念そうな目でこちらを見つめる早苗。そんなふうに見られたら、ダメだなんて言えないだろ。彼女も彼女なりに考えて着てきたみたいだし……。

「いや、大丈夫だ。隠れていれば問題ないからな」

 まあ、確かにこちらの方が布面積は広いわけで、ビキニタイプの水着より健全といえば健全だもんな。

 ただ、早苗自身の子供っぽさというか、ロリロリしさみたいなものがスクール水着とばっちり合いすぎて、むしろやばいかもしれない。

 胸元に『6年2組 こもり さなえ』って、ちょっとズルくないか?…………って、あれ?

「早苗、その水着って小学生の時に着てたやつか……?」

「うん!高校のを探したんだけど、見つからなくて……」

 いや、だからって普通5年前のを着るか?彼女の身長は5年前と大して変わっていないから問題ないかもしれないが……。

「んー、でもやっぱり少しきついね。小学生の時より、ずっと成長してるし……」

 そう呟きながら胸の辺りを悩ましげに見つめる早苗。まあ、問題はそこですよねぇ……。

 早苗は背が伸びなかった分、その栄養が胸に注がれている……らしい。前に唯奈から『背の低い女の子は胸に栄養が行きやすいからね、本当に羨ましいよ……はぁ……』と愚痴をこぼされたことがあるからな。

 だから、5年分の栄養の差がそこにはあるわけだ。破けてしまわないか心配になるほどの大きな差が。

「けど、まあいいや!あおくんになら見られても問題ないし♪」

「問題しかねぇよ!着替え直してこれないのか?」

「んー、着替えるだけならできるけど……個人的に着替えたくないかなっ♪」

「なんでだよ!」

 いや、もう本当になんでだよ!

「だってあおくんが慌ててる姿って面白いもん」

 早苗はそう言うと、ぴちゃぴちゃという足音を立てながら俺に近づいてくる。そして胸元の名札を強調するように腕を後ろで組むと、ニコッと笑いながら言った。

「いつも私に『幼馴染だから』って言うでしょ?だから、こういう時はちゃんと女の子だと思ってくれてるんだなって思えるの♪」

 ありえないほど真っ直ぐな言葉は、浴室の壁に反響して余すことなく俺の心に突き刺さってくる。確かに、俺は『幼馴染』って立場に甘えて、早苗の気持ちから逃げていたことは多々あった。

 彼女に本心がバレている今も、素直になりきれていないなと、自分でも時々思ってしまうくらいだ。

 それがわかっていても、やっぱり幼馴染から一歩踏み出すのは相当の勇気と覚悟がいるわけで……今の俺には到底出来そうにもなかった。

「そりゃ、早苗みたいな女の子とこういうシチュエーションなら、緊張しない男はいないだろ」

 今度は『誰だってそうだろう』という言葉に逃げてしまう。正直なところ、俺は彼女が逃げても追いかけてくれる女の子で良かったと思っている。こうやって悩める時間をくれるのだから。

 だから、彼女のためにも自分自身が素直になるためにも、時には本心を零すことも大事なのかもしれない。

「早苗、その格好似合ってるからな。すごく……可愛いと思うぞ」

「……えへへ♪あおくんも似合うと思うよ?」

「俺は出来れば似合わない方がいいんだけどな」

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