第179話 俺は役者さんの提案を聞きたい
月曜日の昼休み。弁当を食べ終わった俺は、満腹から来る眠気に抗いながら、考え事をしていた。
考え事というのは、もちろん10月31日のハロウィンイベントのこと。あれから音ゲーに関しては、自慢出来るほどではないがかなり上達はした。
今思い返せば、人前で音ゲーをやるだけというのもつまらない気もしなくはないが、今はそんなことは忘れてしまおう。なぜなら、俺はこれから2つ目の特技を見つけなくてはならないから。
イベントまであと三日。時間にして今日と明日、それとイベントまでの半日しかない。そんな状況で特技が見つかるとは思えないのだが……。
……それにしても、今朝から早苗のテンションが高い。
「うへへぇ♪補習なしかぁ〜♪」
模擬試験で赤点を取っても、補習を行わないという事実に喜びが抑えられないらしい。出来れば赤点は回避してもらいたかったのだが、次に期待するか。
「早苗はもう1つの特技、何にするんだ?」
彼女もまだダンレボしか選んでいない。俺と同じでもうひとつ決めなくてはならないのだ。
「私は2つダンスを踊ることにしようかな。全く別のなら、合間時間に披露するだけだし、十分かなって」
なるほど、その手があったか。ダンスなら別の曲にすればそれだけで変わりばえするし、いいかもしれない。ただ、音ゲーを2つは厳しいだろうな。
「何か短時間で見せられるものがあればいいんだけどな……」
窓の外を見ながら、俺は小さくため息をこぼした。その時だった。
「面白そうだから私にも手伝わせてよ」
背後から突然声をかけられ、俺は反射的に振り返る。誰に向けて言ったのかも分からないのに、自分に言われてるって直観的に感じるんだから、人間って不思議だよな。
まあ、結果的にはその言葉は俺に向けられてたんだけど。
「栗田さん、手伝うって何を?」
そこに立っていたのは、演劇部の栗田さんだった。少し前から学校には来れるようになっていて、もう松葉杖なしでもスタスタ歩けるくらいには回復しているらしい。
彼女は俺の質問に「決まってるでしょ?」と言うと、嬉しそうに歩み寄ってきた。
「聞いたよ?ハロウィンイベントに出るんでしょ?」
「誰から聞いたんだ……って、お前か」
早苗の含み笑いする表情を見て、一瞬でわかったよ。
「何するか決まってないんでしょ?それなら私と一緒に短い劇をやろうよ!」
栗田さんは両手を広げながらそう言いきった。その表情と言葉には、サ〇カーやろうぜ!くらいに引きつける力があるが、俺としてはすんなりと首を縦には振れなかった。
「いくら短くても、あと2日で激なんて無理じゃないか?」
台本やセット、衣装もいるだろう。こんな短い期間で作ることは、ほとんど不可能だ。
それに俺は耳にしていた。怪我をしてからというもの、栗田さんが舞台に立っていないということを。動けるようになっているはずなのに、それまで栗田さんの立ち位置だった主役の座は別の人になり、彼女は舞台脇でサポートに徹している。
それってつまり、演劇に対してトラウマが植え付けられてしまったということなんじゃ……。
「大丈夫!一度演じたストーリーだから、舞台も台本もセットも、全部演劇部用の倉庫にあるよ!あとはキャストだけ!」
栗田さんは俺と彼女自身の2人を指差して、そしてピースをして見せた。その笑顔は紛れもない満面の笑みで……。
「栗田さん、怖くないんですか?」
俺は思わず聞いてしまった。
「何が?」
「演劇をやることで、また怪我をするかもしれないことが」
もちろんもう一度やったからと言って、怪我をするわけじゃない。あれは偶然起きた事故だったのだから。それでも、過去と今を結びつけようとしてしまうのが人間であって……。
「怖いよ」
即答だった。彼女は上げていたピースサインを下ろし、真面目な表情で俺を真っ直ぐに見つめてくる。
「ならどうして?」
俺のその問いに、彼女は落ち着いた声で答えた。
「だって、演劇好きだもん」
その言葉は、真っ直ぐに俺へと届いてくる。耳でじゃなく心で聞いている、そんな感覚だった。
「私、本当は文化祭で舞台に立てなかったこと、すごく悔しかったんだ。頑張ったのに、努力したのに、最後の最後でこんな……って」
栗田さんの言葉を聞いて、早苗は段々と申し訳なさそうな表情に変わっていく。栗田さんが怪我をしたのは、早苗を助けたからなんだもんな。彼女自身が悪くなくても、罪悪感は拭いきれないだろう。
そんな早苗を見た栗田さんは、ゆっくりと首を横に振りながら彼女へと歩み寄り、そっと手を握った。
「でもね、小森さんを恨んでなんかないよ。むしろ助けられてよかったって思ってる」
栗田さんはすごくいい人だ。演技を見ていれば、素人の俺でもよく分かる。ひとつひとつの繊細な動きや、その場の適応力、そして見えない場所での努力。
『演技は体で見せるものじゃない、魂で魅せるものだ』
小さい時にテレビで見たおじちゃんが言ってた言葉、今ならよく理解できる気がする。
そんな栗田さんだからこそ、本当に早苗のことを想ってくれていると信じられた。
「舞台の上では、もう誰も倒れて欲しくない。その一心だったよ」
俺は察した。その言葉の奥深くには、彼女の母親がいる。努力し、辛抱し、やり遂げた先にあったのは、自らの人格を見失うという悲劇だけ。
栗田さんはきっと、自分の母親のように舞台から離れざるを得ない人が、これ以上現れて欲しくないのだろう。
だって、演劇が大好きだから。
「だからね、私が居なくなって小森さんも出れなくなって……それでもやり遂げてくれた関ヶ谷くんと笹倉さんにはすごく感謝してる」
早苗の手を握っていた彼女は、俺の方に向き直って軽く頭を下げた。それから口角をニッとあげると、打って変わって無邪気に言い放った。
「感謝はしてる。でも、それよりも燃えた!私にも同じ……いや、あれ以上の演技ができるはずだって!」
さすがは演技部だ。向上心の塊みたいな人なんだな……。
「でも、それならどうして演劇部の舞台に立たないんだ?」
それが疑問だった。ここまでやる気があるなら、主役を他の人に渡さなくてもいいんじゃないだろうか。
「それは……」
栗田さんは少しの間、言葉を発することを躊躇ったが、やがて口を開いた。
「私が休んでる間にみんな上達しちゃって……主役の座を奪われちゃったんだよ……」
どこか恥ずかしそうに俯きながらそう口にする彼女。いや、躊躇ったのって返答に困ったからじゃなくて、他の人に演技で負けたのが恥ずかしかったから……?
「それに私が『主役じゃないならやりません!』なんて意地張っちゃったから、脇役からも外されちゃって……」
栗田さんにもそんな一面があるんだな。まあ、文化祭では主役を演じる予定だったわけだし、主役じゃないと……という気持ちはわからなくもないな。
「だから、そういうわけで……」
栗田さんは俺の肩をツンツンと突くと、満面の笑みで言った。
「私と一緒に演劇をやろう!文化祭のリベンジだよ!」
ここまで言われたら断れない。演劇部で舞台に立っていないということは、これが怪我が治った彼女の最初の舞台となるのだ。絶対に上手くいかせなければ……。
「って、よく考えたらなんで俺なんだ?リベンジなら早苗とやるべきだろ」
元々は早苗と栗田さんが主役だったんだし。そう思ったのだが、栗田さんは困ったような表情を見せた。
「予定にある台本だと、ベッドシーンがあるんだけど……女同士でベッドはちょっと……」
「俺との方が問題だろ!」
「だって関ヶ谷くん、ホモでしょ?なら安心だよ」
「俺はホモじゃねぇよ!だから問題大ありだ!」
俺の事をホモって言うやつ、もう栗田さんしか居ないんじゃないか?最近はSM野郎って言われてるし……。
「安心して、私がレズだから。関ヶ谷くんに興味はないよ」
「……え?」
「……へ?」
突然のカミングアウトに、俺と早苗は固まってしまった。そんな様子を見て、栗田さんはクスクスと笑う。
「要するに、小森さんは気をつけた方がいいってこと♪」
意味深な視線を早苗に向けながら、彼女は口元を大きく歪ませるのだった。
……これ、本気なのか?
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