第173話 俺は腹黒アイドルさんのお屋敷にお邪魔したい
『得意を見つけに行きましょう!』
雲母さんにそう言われ、俺はトレーニング場にでも連れていかれると思ったのだが、実際に案内されたのは予想外な場所だった。
「ここが私のお家です!どうぞどうぞ!」
人力では乗り越えられないであろう高さの塀に囲まれ、門前には黒服のごつい男たちが警備をしている。
門の向こう側に見えるのは、広大な庭と波線状の舗装された道、そして豪邸。こんな家、俺たち一般人では一生建てれないだろう。
「私です」
雲母さんが黒服の男に話しかけると、彼は「おかえりなさいませ、お嬢様」と一礼し、胸元のバッチに何かを囁く。小型の通信機みたいなものだろうか、ああいうのをスパイ映画で見たことがある。
どこかでスイッチを操作したのか、門は自動で開き始め、人が2人ほど並んで通れるくらいに開いてから、雲母さんは俺たちの方を振り返る。
「みなさん、どうぞ!」
手招きされて中に入ろうとするが、思うように足が動かない。あまりに日常離れした光景に、俺の脳が体について行っていないみたいだ。それは笹倉と早苗も同じらしい。
「は、入っていいのかしら……」
「…………」
笹倉は俺同様に躊躇い、早苗に至っては驚きすぎてアホの子みたいな顔になっていた。そうなるのも無理はないと思うが、人様の家の前でヨダレを垂らすのだけはやめてくれ……。
「もしかして……遠慮してます?」
俺たちがなかなか動かないことに違和感を感じたのか、雲母さんは心配そうにそう聞いてきた。そして思いついたように手を打つと、近くにいた黒服に何かを伝える。
「もう少し待っていてくださいね!」
数分後、先程の黒服が何かを抱えて戻ってきた。何やら紙のようだが……。雲母さんは礼を言ってからそれを受け取り、俺たちに1枚ずつ手渡す。
「地図、ですか?」
どうやらこれは雲母さんの家の地図らしい。俺達が入るのを躊躇っている理由が、迷いそうだからだとでも思ったのだろうか。いや、確かにこの大きさなら迷うかもしれないけど……。
……ん?待てよ。この紙、裏側にも何か書いてあるぞ。こっちは家の中じゃなくて庭の地図らしい。
この道、蛇行はしているが一本道だ。迷う方が難しいと思うんだが……と思ったら、何やら庭の所々に黄色や赤の印が打ってあるな。
「その印は罠が仕掛けてある場所です!」
「罠って……いや、まあこういう家ならありえるのか」
一般的な大きさの家とは違って、雲母さんの家はかなりの豪邸。家と言うよりかは、屋敷と言った方がいいかもしれないくらいだ。
なら、泥棒にもたくさん狙われるだろう。黒服の人が配置されているのはそういう事だったのか。
「私のかわいい後輩2人と、かわいくない後輩1人に怪我はさせたくないので、できる限り近づかないようにしてくださいね」
ニコニコ笑顔でそう教えてくれる彼女。一体誰を『かわいい後輩』から省いたのか、大体は予想できるが口にはしないでおこう。本人も察しているみたいだし。
「一応聞いておきますけど、罠にかかったらどうなるんですか?」
もちろん罠に近づくつもりは無いが、何が起こるかわからないからな。どれだけ危険かくらいは知っておくべきだろう。
「そうですね……最悪の場合は死にますね」
「はぁ!?」
死にますねってそんな軽く言っていいのか?だって庭だぞ?うっかり踏んじゃうことだってあるだろうに……。
「安心してください、死ぬというのは物理的にでは無く『社会的に』ですから」
「いや、どっちも嫌なんですけどね」
程度によっては後者の方が辛いまであるな。ていうか、罠にハマったら社会的に死ぬって、一体どんな罠なんだ?パンツ一丁で吊り下げられたりするんだろうか。
「地図に1箇所だけある青い印がそれなので、くれぐれも気をつけてくださいね。おそらく一生忘れられない罠になると思いますから」
そう言う雲母さんの顔が、一瞬だけ笹倉の方を見てニヤリとした気がした。当の本人は全く気付いていないみたいだが、彼女が目をつけられたのは俺のせいでもあるので心苦しい。せめてもの責任として、笹倉が罠にハマらないようにちゃんと見張っていることにしよう。
「では、地図を確認しつつ、私についてきてください」
屋敷に向かって歩き出した雲母さんに、俺たちは少し遅れてついて行った。道沿いには罠はないみたいだが、さすがにあんな話を聞いてからだと歩くのも恐ろしいからな。
俺が泥棒なら、どんなお宝があってもこの家はスルーすると思う。いや、ダジャレじゃないぞ?
玄関まで徒歩約3分。不動産屋換算で道のり約240メートル程だ。雲母さんはいつも歩いているからか何も言わないが、俺としてはこういう環境にいるだけで気疲れしてしまった。やっぱり日頃から運動していないせいだろうか。
「私です、雲母です」
雲母さんがインターホンではなく、マイクのようなところにそう話しかけると、『オカエリナサイマセ』という機械音声とともに、玄関の扉が自動で開いた。これはまさかの声紋認証ってやつか?進んでるなぁ。
雲母さんに招かれて家の敷居を跨ぐと、1人の女性が小走りでやってきた。
「お帰りなさいませ、お嬢様!」
格好から察するに、彼女はメイドだろう。千鶴が持っているような可愛らしいメイド服ではなく、正統派の白黒のやつだ。
それにあの金髪は天然のものだろうか。瞳の色が水色なところを見るに、おそらくロシア系の方だろう。その整った顔立ちと、ハキハキとした口調。相当腕のあるメイドさんに見える。
「セリーヌ、ちょっとこちらへ」
セリーヌと名前を呼ばれると、メイドさんは雲母さんへと近付く。そして……。
「おまわり」
「わん!」
雲母さんの指示に従って、セリーヌさんはその場でクルクルと回り始めた。その光景に、俺は思わず固まる。
「えっと……何してるんですか?」
俺がそう聞くと、雲母さんは「しつけです!」と当たり前のように答えた。
いや、しつけって人間相手にするものじゃないだろ……。セリーヌさんはなんとも思わないのか?
そう思って彼女の表情を見てみるが、どことなく嬉しそうにも見える。もしかしてこの人……。
「先程、社会的に死ぬ罠の話をしましたよね?セリーヌはその罠にハマった元泥棒なんです。あの罠のせいでどこにも就職できないと言うので、仕方なく雇ってあげました」
「そうなのです、私は元泥棒なんです。そんな卑しい身分の私を、お嬢様は救ってくださいました」
やっぱりセリーヌさん、M気質なんだな。この雲母さんを敬う瞳がそう物語っている。犬扱いされて喜んでいるんだから間違いない。
「セリーヌ、私達は奥の部屋にいるので、後で飲み物を持ってきてください」
雲母さんはそう言うと、俺たちに「こっちです!」と手招きした。こんな家の中で得意なんて見つけられるものなんだろうか……そう思いながら、俺たちは雲母さんへと着いていく。
が、俺はふと足を止めた。セリーヌさんに聞きたいことがあったからだ。
「セリーヌさん、いくら元泥棒でもこの仕事が嫌にならないんですか?」
見たところドMのようだし、虐め虐げられることに関しては苦痛ではなさそうだが、俺は実のところが気になった。
俺の言葉を聞いたセリーヌさんは、何度か小さく頷くと、最後にしっかりと首を横に振った。
「日本のメイドはご主人様に痛ぶられるのが仕事だと聞きました。私にはこの仕事がピッタリなのです!」
キラキラとした瞳で、心の底からそうだと信じていると分かるセリフ。ダメだ、間違った日本の文化を叩き込まれているらしい。
まあ、雲母さんの家のメイド事情に口出しをするつもりもないし、俺は「そうですか、頑張ってくださいね」と伝え、先に進んでいる笹倉らを追いかけて長い廊下を歩き出した。
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