第82話 ギャングさんは俺の恋路を邪魔したい

「あの日の夜のこと、勝手に誰かに言っちゃダメだからな?言ったら私、自分を刺すから」

 俺は、校門の前で偶然出会った南にそう釘を刺された。コンパスだけに……ってな。

 人に刺させるんじゃなく、自分で刺すって言ってるあたり、少しは成長したのだろうか。基準が分かりにくいけど。

「あと、私が素を出せるように関ヶ谷も協力しなさいよ!」

 彼女はそう言い残すと、校舎へ向かって走っていってしまう。その背中を眺めながら、俺は密かに頭を抱えた。



 2日前、俺は南 七海と一夜を過ごした。強制的に混浴させられ、その後も彼女と一晩中くっついていたのだ。

 かと言って、特筆すべきことは何一つないぞ?

 風呂だってちゃんとタオルで隠してたから、みんなが望むポロリシーンなんてなかったし。

 一晩中くっついてたって言うのも、南が「耳掃除して欲しいんだけど」と言うからしてやったら、結構気持ちよかったらしくて寝落ちしちゃっただけなんだよな。

 オールするって言ったのは南のはずなのに、なんでお前が寝てるんだよ……とは思ったが、起こしたら起こしたで俺が愚痴を聞かされるだけになるからと、そのまま寝かせておいたのだ。つまり、俺は一晩中彼女の膝枕をしていただけ。おかげで翌日、頭を乗せられていた左太ももが異様に痛かったんだからな?

 断じて、絶対に、ひとつも、全く!やましいことは何もございません!

 俺はちゃんとそう伝えた。なのに、早苗がそれからずっとご機嫌ななめなのだ。

 学校だって一人で行っちゃったし。こちとら怪我人だぞ?まあ、女子一人背負って歩けるくらいだから怪我人に部類してもいいのかわからないんだけどな。

 まあ、その後で松葉杖を公園に忘れたことに気がついて、取りに行く羽目になったんだが、忘れられるほどには治ってきているってことなんだろう。


 今朝、咲子さんに「早苗と夫婦喧嘩でもした?」と聞かれちゃったし、俺もずっと不機嫌でいられると気まずい。早めに仲直りしないとな……。

 そういう訳で、俺は教室に入るなりすぐに早苗の元へと向かった。


 とりあえず、彼女に向かい合うように座ってみる。

「……」

 一瞬こちらを見たが、また手元の本へと視線を落としてしまった。

 へえ、早苗って意外と難しい本を読むんだな。なになに……エンゲル係数ってなんだ?ネ〇ゲル様なら知ってるんだけどな。……はあ、なるほど。

『家族の総支出のうち、食物のための支出がしめる割合』のことをエンゲル係数って言うのか。そう言えば中学の時に習った気がする。復習って大事だな。

 それにしても、早苗もそろそろ自分の頭が残念だってことに気が付いてくれたんだろうか。今までの彼女ならこんな時、漫画を読んでいただろうに。

この本だって、反対から読んでもこんなにスラスラと読めてわかりやす―――――――――――――って、本の上下反対じゃねぇか。

 俺は心の中で盛大にツッコミを入れた。

 早苗の向かい側から読んでいるのに、やたら読みやすいなと思っていたが、よく見たら俺の方に本の下側が向いていた。そりゃエンゲル係数の説明もスラスラ読めますわな。

 俺がそのことに気付いているのを知っているかは分からないが、彼女はひたすら視線を上下に動かして、読んでいるふりを続けている。

 きっと『集中しているから話しかけないで』という彼女なりの不機嫌さを表している行動なのだろうが、傍から見れば滑稽な図でしかないよな。

 俺は笑いを堪えつつ、彼女に話しかけることにした。

「早苗、怒ってるのか?」

「……別に」

 お前は沢尻〇リカかよ。俺は、どこからどう見ても怒っている彼女の、膨らんだほっぺをツンツンとつついてみる。

「うっ、にゃめてほ……(うっ、やめてよ……)」

 迷惑そうに首をブンブンと振る早苗。ちょっと可愛い。

 今まで『好きな子にはちょっかいを出したくなる』という言葉を聞く度に、「んなわけねぇだろ」というスタンスを貫いてきた俺だが、ようやくその気持ちに共感できたかもしれない。

 お腹をツンツン。

「く、くすぐったいよぉ……」

 脇腹をツンツン。

「あぅ……び、びっくりしちゃうから……」

 もう一度ほっぺをツンツン。

「わ、わたひ……おほってふんだほ?(私、怒ってるんだよ?)」

 こいつは押したボタンによってセリフを言ってくれるおもちゃなのか?と言うくらいに色んな反応を見せてくれる早苗。それでも彼女のほっぺは膨らんだままで……。

「なんでそんなに怒ってるんだよ。俺は何もやましいことなんてしてないって言っただろ?」

 俺の言葉を信じられないと言うふうに、早苗は眉をひそめる。

「南さんみたいな素敵な人と一夜を過ごしたのに何も無かったなんて、国会議員の『記憶にございません』くらい信用ないよ!」

「やけに例えがリアルだな!?」

 俺はそんなに信用されてないのか。ていうか、南のことを素敵な人って……まあ、そうだよな。俺以外はみんなあいつの裏を知らないわけで……。

 よく考えたら、俺って色んなやつの裏を知りすぎじゃないか?千鶴の女装癖に、薫先生の男子嫌い、それと素の南。いつか『お前はアイツを知りすぎた』って黒ずくめの集団に消されそうで怖いな。でも、その前に南と繋がりのあるサバ缶組に消されそうだけど。


 てか、サバ缶組と繋がりがあるってのは本当なのだろうか。確かに組長の名刺を見せてはいたが、彼女の過去を考えると、どうしてもそんなものと繋がりがあるとは思えない。いじめられてたくらいだからな。スクールカースト上位嫌いの彼女が、裏社会と繋がるなんてことはありえるのだろうか……。


「また別のこと考えてたでしょ!」

 早苗の声で現実に引き戻される。彼女はいつの間にか立ち上がって、腰に手を当てながら俺を見下ろしていた。

「私にあんなことしたのは、誰でもよかったってことなの?」

『あんなこと』というのは、彼女を押し倒した時のことだろう。

「お前だからに決まってるだろ!」

「じゃあなんで他の女の子の家に泊まるの!」

「それは南が無理矢理……」

「どうせ断りきれなかったんでしょ?」

「えっ……」

 俺は思わず声を漏らす。確かに本気で断れば、逃げることも出来たと思う。でも、俺はそれをしなかった。彼女の心の内を明かされた後に拒絶するのも悪い気がしたから、ハッキリ嫌だとは言えなかったのだ。

 でも、どうして早苗がその事を――――――――。

「……なんで分かったの?って顔してるけど、わかるに決まってるじゃん。私、伊達にあおくんの幼馴染やってないもん!」

 いい幼馴染を持った。俺はその瞬間、改めてそう感じた。

「だからはっきりしてほしいの。あおくんの恋人候補に南さんは入るのかどうかを!」

 早苗のその声が教室に響いた。一瞬、クラスメイト達の会話が止まり、みんなすぐにまた談笑し始めた。

「いや、そもそも南は俺のことを好きじゃないだろ」

「あおくん的にはどうなの?アリなの?ナシなの?」

「そ、それは……」

 早苗が急に詰め寄ってきて、思わず言葉を詰まらせてしまう。確かに南は美人だし、横顔が笹倉と似ているかもしれない。

 それでも笹倉と南とは中身が全然違うし、そもそも俺は南のことを恋愛対象として見ていない。それは南側も同じだろう。だから、俺はやっぱりはっきりと答えるべきだろう。

「いや、それは絶対にな――――――――」

「アリだよね!」

 そこに南が割り込んできた。正確には偽ってる方の南だけど。彼女は俺に飛びつくように満面の笑みで肩を組んでくる。

「は!?ナシに決まって……」

「私は関ヶ谷くんのこと、結構気に入ってるよ?君もそうだよね……ね?」

 最後の1オクターブ低い「ね?」で察した。俺はまた彼女に脅されているんだと。

「……はい」

 彼女が他の人の前で素を出すのも、俺が笹倉と仲直りするのも、もう少し先の話になりそうだ。

「……ん?」

 一瞬、笹倉がこちらを見た気がしたが、気のせいかもしれない。

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