第78話 幼馴染ちゃんは俺の恋路を邪魔しない

 早苗の部屋ではどうしても落ち込む気になれず、俺は久しぶりに自分の部屋に帰ると、制服のままベッドに倒れ込んだ。

 しばらく触れていなくても、体や頭はその感覚をしっかりと覚えていて、どこか安心する。

「俺はどうすればよかったんだよ……」

 帰り道、頭の中で何度も繰り返した言葉をついに口にしてしまう。

 南がチラつかせたギャングの存在。それ以前に、危害を加えることを躊躇しない彼女の恐ろしさ。

 あれらから笹倉を守る術は、他にあったんだろうか。

 彼女の命令を断ったなら、笹倉を四六時中危険な状況に置くことになるのではないか。傷ついたり、怪我をしたり。その程度で済まないことは容易に想像できた。

 だから、俺の判断は正しかった。間違いなく正しかった…………はずなのだ。それなのに、どうして後悔している自分がいるんだ……。

 俺は心のどこかで、笹倉を危険な目に遭わせてまで、付き合い続けたいと思っていたのか?

 いや、違う……そうじゃない。

 俺は受け入れたくないんだ。あまりにも素っ気なかった笹倉の言葉を。

『いいわよ、別れましょう』

 まるで、今までの何もかもが作りものだったかのような、名残惜しさも悲しさも怒りすらも感じられない表情。

「結局、偽物は偽物か……」

 口にすると、その事実がより心の深くまで染み込んできて、自然と涙が流れてくる。同時に、ずっと片想いのくせに舞い上がっていた自分が滑稽に思えてきた。

「あおくん、見つけた!」

 スライド式の窓が開くガラッという音とともに、早苗が部屋に飛び込んでくる。相変わらず侵入経路がおかしい気がするが、今はそんなことが言えるような気分ではない。

「私の部屋にいなかったからびっくりしたよ……」

 そう口にする彼女の息は少し上がっていて、額には汗も滲んでいる。俺を追いかけて走って帰って来てくれたのだろう。

「ねえ、大丈夫……?」

 こんな顔は見せられないと突っ伏したままの俺に、そっと歩み寄る早苗。

 だめだ……彼女が近くにいると心が傾いてしまう。その優しさに身を委ねてしまいそうになる。そうなれば、余計に笹倉の言葉に心を抉られる。

「……今は来ないでくれ」

 そう言っても彼女は止まらなかった。

「来るなって言ってるだろ!!!」

 俺はこれ以上彼女を近付かせないためにはどうすればいいのかが分からず、つい怒鳴ってしまう。

 だがその瞬間、彼女の手は俺の頭を優しく撫で下ろしていた。そして温かい声で言ったのだ。

「大丈夫、あおくんが落ち着くまで私はここにいるから」

 そう言って、何度も何度も頭を撫でてくれる。その手が頭に触れる度に、悲しみが癒えていくような気がした。

 どうやら、傷ついた時に優しくされると好きになってしまうというのは本当らしいな。落ち着きを取り戻していくのと同時に、俺の中の早苗への想いがだんだんと膨らんでいっていたから。

 ――――――――――そして俺は限界を迎えた。

「……早苗っ!」

「きゃっ!あ、あおくん……?」

 気がつくと、俺は彼女を押し倒していた。いけないことをしようとしているのは分かっている。でも、俺の中のメトロノームの針は、早苗側へと大きく振り切れてしまっていた。

「早苗……いいよな……?」

「え、えっと……」

 彼女はまだ状況の整理がついていないらしく、戸惑いながら目を泳がせる。そんな彼女が愛おしく感じてしまい、返事を聞く前に俺は彼女へと顔を寄せていった。




 え、あ、えぇ!?ど、どういうことなのぉぉぉ!?

 あおくんの顔が近づいてくることに、私は戸惑っていた。彼を受け入れる準備は出来ていたつもりだったけれど、いざその時が来ると、自分の決心の甘さを痛感してしまう。


「早苗……いいよな……?」

「え、えっと……」


 こ、こういう時はどうすればいいのかな……。好きな人の振り向かせ方と一緒に調べておけばよかったよぉ……。

 そう後悔しても遅いことは明らかだし、今はあおくんのことだけを考えないといけないことはわかっているけれど、やっぱり気持ちの整理が出来ない。

 ずっと彼とキスをしたいと思っていた。だから、心のどこかではこの状況を喜んでしまっている私がいる。

 もちろん、キスをすること自体は私にとっても嫌じゃないわけで、あおくんのことを考えれば、このままキスを受けいれてしまった方がいいのかもしれない。それで彼が救われるなら、どんな初めても喜んで全て捧げるつもり。


 あおくんの唇は、もう数センチの距離まで近付いていた。体から力を抜いてしまえば、あとはされるがまま。自分から求めたっていいかもしれない。だって、私はあおくんが大好きなんだから。


 ……でもね、私にはわかるの。

 このキスであおくんは救われない。それに私も。


「だ、だめっ!」

 気付けば、私は両手で彼の口を塞いでいた。あおくんは悲しそうな顔をしたけれど、私はその手を離さなかった。

「あ、あのね……あおくん、聞いて欲しいの」

 宥めるようにそう言っても、彼は離れてくれない。

「あおくんはね、笹倉さんのことで混乱しているんだと思う。だから私にこういうことをしちゃうんでしょ?」

 彼にこの言葉が届くのかはわからなかった。でも、今思っていることはちゃんと伝えないといけない。あおくんの恋路のためにも、私の恋路のためにも。

 私は大きく息を吸い込むと、叫ぶように言った。

「そんな中途半端な気持ちで私に触れないで!」

 突き放すようなその一言に、彼は一瞬目を見開く。そして「……ごめん」と言いながら、やっと私から離れてくれた。傷つけてしまったみたいだけれど、とりあえずは落ち着いてくれたみたい。

「私こそごめんなさい……でも、本心だから……」

「……うん」

 彼は私の目を見てくれなかった。きっと、私が嫌がることをしてしまったことで、気まずさを感じているんだと思う。

「私、あおくんのことが心の底から大好きだよ。あおくん無しじゃ絶対に生きていけないってくらい」

 私の言葉に、彼は『ならどうして?』という顔をする。

「大好きなの、世界で一番大好き。……だからこそ、初めてあおくんとキスするのは、あおくんが私を選んだ時がいいの」

 確かにあおくんが欲しくて堪らない。笹倉さんみたいにキスだってしてみたい。でも、それはあおくんの意思じゃなきゃ意味ないの。

 私が欲しいのはあおくんのキスじゃない。体でもない。たった1人にしか向けられない真っ直ぐな心なんだから。

 真剣に見つめれば、やっと彼も目を合わせてくれた。

「大丈夫、私は絶対に逃げないから。恋に制限時間なんて無いんだもん。だから、笹倉さんなのか私なのか、ゆっくり考えればいいよ♪」

 そう微笑んで見せれば、彼の表情も少し明るくなってくれた。

「そう……だよな。早苗、ありがとう!俺、どうかしてたみたいだ」

「いえいえ、どういたしまして♪」

 これでこそ私が大好きな関ヶ谷 碧斗だもん。キスを拒んだことを後悔なんてするはずがない。

 どうしてあおくんが突然笹倉さんを振ったのかは聞けなかったけれど、きっとなにか理由があるはず。その確信があるから、今の私は彼を支えるだけでいいの。

 それに、笹倉さんにだってなにか裏がある気がするから……。だって、2人を近くで見ていたからこそ、笹倉さんはあおくんを本気で好きだって分かるもん。あんなにあっさりと別れるなんてこと、絶対にありえないの。

 恋敵だけれど……いや、恋敵だからこそ途中でリタイアなんてさせない。私は私の力であおくんを手に入れて、笹倉さんにドヤ顔してやるんだから!

「あおくんとの熱いキス、楽しみにしてるね♡」

 そんなことを言っておいて、あとで猛烈に恥ずかしくなったのは私だけの秘密……。

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