藍よりも青い蒼

ちょこさんど

天の道

 僕は汗だくになりつつ、十方から鳴り響く蝉の大合唱を聞き自転車で坂道を上っていた。

 うんざりするほど青々と晴れ渡った空の真夏の突き刺すような日差しが、半袖の僕に容赦なく牙をむく。元々は長そでの真っ白なシャツであるのだが、こんな目がまわるような暑さの日に袖をまくらず自転車なんてものをこいだ日には、すぐに目を回して倒れてしまうだろう。それに風を感じながら自転車をこいだ方が、幾分か暑さを忘れるような気がしていたためでもあった。もう三十分ほども自転車をこいでいる。そのため、制服の中に着ている黒いシャツが汗で透けてしまっていた。まあ暑さくらい何とかなるだろう、と軽く考え手ぶらで家を出てしまったのが間違いであった。

 車が進入禁止のこの道の両脇には、ここまで育つのに一体どれだけの時間がかかったんだろうと考えてしまうような、うっそうと茂った雑木林があるものの、まるで道行く人への意地悪のように影は一切道にかかっていない。坂道の一番下からこの道を見上げるとまるでそのまま空まで続いていくような光の道のように見える、そんな地元のちょっとした観光地として紹介されるくらいには有名な坂道であった。しかし、坂の勾配も楽というにはいささか急すぎるようなものである。特にこんな暑い日には、天への道でなく地獄への坂という形容がピッタリであると思う。

 神様なんてものがこの世にいるならば、よほど意地悪が好きなんだろう。ヘロヘロになりつつ自転車のペダルをこぎながら、僕はそうでも思わないとやってられないような心持ちであった。坂の上に目をやると、まだまだ登りきるまでには距離がある。この春に高校に入学してからは毎日のように通っている見慣れた通学路であるはずなのに、いつもよりも坂の長さが何倍にもなったような錯覚を覚えた。

 時間はもう正午を少し過ぎているころである。午前中の部活を終えたのだろう。テニスのラケットバックを身に着けたジャージの男女三人組が三列に並んで、坂の上から相当なスピードを出して坂を下ってくるのが見える。そこまで狭い道というわけでもないが、一応自転車を降り、道の端に寄せる。すれ違いざま、彼らはお礼や会釈どころか、僕に気づいた様子すらなかった。僕はそのまま楽しそうな様子で会話を続け坂を下っていく三人組の背中をじっと見送っていた。それで怒るほど狭量というわけでもないが、なにか一つあれば、と彼らが通り過ぎた後自転車に乗ることも蝉の合唱も、うんざりするような日差しすらも忘れ徒歩で自転車を押しながら坂を上りきるまでずっと女々しく考え込んでいた。

 それから目的地が稜線から姿をのぞかせるのは自分でも驚くほど速かった。突然、橙と茶色の遠くからでも一目でこれとわかる建物がぬっと姿を現す。僕が入学するほんの僅か前に増築、改築工事が終わったらしく三階建ての校舎は日差しを浴びギラギラと輝いているのであった。ここまでくると蝉の声に加え、吹奏楽部の練習する楽器の音や、サッカー部や野球部といった体育会系の部活の掛け声などもはっきりと耳に届くようになった。夏休みに入って数日たった休日だというに、ほとんどの部活は平日と変わらず練習しているようだった。入学当初は僕も何か部活に入ろうと考えていたが、結局迷っているうちにどこの部活も部結成も済ませてしまっていた。そういうわけで僕は帰宅部に入部することに自動的になってしまったが、いざそうなると自分の時間が多く取れて悪い気がしないでもないのは事実なのであった。

 学校の水泳部が練習しているプールの横のほとんど人通りがない裏門を自転車を押しながらくぐる。正門からよりも、僕が割り振られている指定の自転車置き場には裏門の方が近いこともあり、いつも僕は裏門から学校に入る。それにしても、ほとんど人の気配がない学校というのが、帰宅部でほとんど休日に学校に来ることがない僕の目にはいつもの見慣れた光景から少しズレた新鮮なものに映る。いつもは全く気に掛けることもない中庭の花壇に色とりどりの夏の花が咲き乱れていることに気づいたり、自分がほとんど行ったことのない校舎の中をのぞいたりと、学校の敷地に入ってからも様々な道草を楽しみつつも自転車置き場につく。

 そこには小さな駐輪場に予想外に多くの自転車が止められていた。そして、そこで僕はついさっきとは打って変わってなんとも言えない気分になる。僕の自転車を置くための場所にすでに、誰のかわからない銀色の自転車が止めてあったのだ。その自転車の後輪の泥除けの部分に貼ってある学校指定のステッカーの色が赤色だった。学校指定のステッカーには学年ごとに色が分けられており、赤色は二年生の色である。この自転車置き場はグラウンドからもかなり近い。グラウンドを使っている部活に所属している二年生の誰かが、自分の指定の場所よりも近いので僕の場所を勝手に使っていることは容易に想像できる。ため息をつきながらどうするかをいろいろ考えたが、この状態が続くのも、自分の場所が勝手に使われているのもなんとなくいい思いがしないので、やりすぎではないかとも少し思ったが、置いてある自転車をわざわざ隣のあいた場所に動かす。鍵もかかっていなかったその自転車は楽に動かすことができた。そうした後に自分の自転車を自分の場所に駐輪する。もとの正しくあるべき姿に場が戻ったことで、胸のもやもやが幾分か晴れたような気がした。

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