第2話 カストル
ドアベルが鳴った。そして、扉自体が破壊される。突然の出来事にイーサーは伏せていた顔を上げた。
― ナニゴト?
あんぐりと成り行きを見守るしか出来ない。その問いに乱入者が答えた。
「アンタ、スライムだよな?」
乱入者は青年だった。要所が盛り上がるほどに鍛えられた肉体派である。
「仕返しに来たぜ」
ポキポキ、と指を鳴らすオーソドックスな威嚇スタイルで、カストルはイーサーへと歩み寄った。
― コイツは単細胞馬鹿だ。
把握した途端に、イーサーの頭が動きだす。柔軟性と狡猾が無ければ立場は変わり、早死にをするだけである。
― 丁度、飯時だもんね。
喰い応えのありそうな飯を前に、イーサーは舌を舐める。上質な肉である事は一目瞭然。そして、この年頃のヒト肉は何よりも旨い。
「いらっしゃい。こんばんは」
イーサーは歩み寄る青年に声を掛ける。
「ところでさ、私がスライムだって、誰から聞いたの?」
店は狩場である。ここに踏み込んでくれば襲う事は容易く、逃すことはまず無い。
ー 偶然だといいな。
それを確認したい。もし、ミスによる身バレならば、早急に改善しなければならない。
― 公になっていたら転居だもんね。
眼を細めて若者を見つめた。視線先の青年は一歩ごとに備品を粉々にしている。
― あーあ、なんにしても転居確定だァ。
イーサーは候補地を思い浮かべた。無理だったら暫くの間、古巣に戻るのも良いだろう。
― しかし、まあ、何でだ?
思い返しても分から無い。なのに、この乱入者は正体を指摘し、仕返しに来たと云う。
ー うーん。まさか、師匠?
あれから姿を見せない師匠が浮かぶ。
― まさか、でも、ねえ。
だが、告発者は師匠の可能性がもっとも高い。考えたくもないが、疎遠になった日々が信頼を希薄にしていた。
「馬鹿野郎、言えるかよ」
カストルはの全てを蹴とばしながら近づいて来る。
「とにかく、アンタはスライムなのだろう!」
「そうだけれど。あ、解った。教祖から聞いたのかな?」
「馬鹿野郎。教祖って誰だよ」
― こりゃ、違うな。
師匠は教祖と名乗りたが癖があった。あの頃は”阿保か”と馬鹿にしており、こんなところで役立つとは考えもしなかった。
― 面白いモノね。
そう、世界は面白い。だからこそ災いを断つため、この乱入者を殺す必要がある。
「スライムなんて呼ばないで。シア・フォン・イーサーって名前があるんだから」
イーサーは死角に身体を張り巡らせた。細く伸びる肉体は、多様なトラップになる。
「馬鹿野郎、どうでもいいんだよ」
ペ、っと、カストルは唾を吐き捨てた。
「てめえ、ダウンタウンの魔物だろう?」
― ああ、成程。
以前、イーサーは“ダウンタウンの魔物”と呼ばれていた。
「懐かしいわ。若い頃はそう呼ばれていたのよ」
答えるイーサーは若い女性にしか見えない。
「なら、決まりだ」
カストルは床を蹴り、右拳を突きだす。スピードに乗った拳はイーサーの顔面に喰いこんだ。
手首まで喰いこんだ拳に、イーサーは瞳をくるりと回して応じる。
「ダメージは無しかい?」
「そうね、全くないわ」
「くそ馬鹿野郎」
カストルは左手刀をイーサーの首元に降り落とした。だが、その左手も同様に呑み込まれていく。
突き刺さる二つの腕は、ゆっくりと静かに、確実に呑み込まれていった。
「腕フェラかよ。おいおい、デカい口だな」
「大口ならアナタも同じよ。えーっと、名前はナニ?」
「言うかよ」
「ふーん、別に構わないけれどね。とにかく無駄足だったわね」
とろり、とイーサーの身体が緩み始めた。同時にあちらこちらから粘体化した身体が現れる。それらは、ゆっくりと厚みを増して、カストルの足元へと辿り着く。
「ジ、エンド。威勢の割に呆気ないなぁ」
イーサーがつまらなさそうに欠伸をする。既にカストルの四肢は絞められ、生温かさに包まれていた。
「さて、これからどうなるでしょうか?」
「馬鹿野郎」
カストルはニヤニヤした笑いを続けている。
「その余裕はなんで?」
「うるせえ、馬鹿スライム」
「頭に来た。えーぃ、拷問だ」
イーサーは体内のPHを変化させた。呑み込まれていたカストルの左指が瞬時に溶ける。
「ぐおっつ!」
カストルの顔から笑みが消えた。一歩、笑みがイーサーに浮かぶ。
「オイシーィ。指先だけでもナカナカよ」
スライムは全身が消化器官である。体内で溶かされた肉片は瞬く間に養分となって、美味しい刺激となる。
この上質感にイーサーは唇を舐めた。このまま一気に喰ってしまいたい欲求に駆られるが、それに従ってしまうのは良く無い。生きには我慢が必要なのだ。
「痛いのは嫌?」
質問の答えをイーサーは知っている。
「馬鹿野郎」
額に汗粒を光らせ、カストルが言った。
「馬鹿野郎!大馬鹿スライム」
見上げたカストルの目力に背筋が震えた。コレは危険の合図だ。
― ヤバイ!
すかさずイーサーはカストルを放した。だが、少々遅かった。
「兄貴には面子が有るんだよ」
イーサーに突き刺さった右拳が開かれる。拳の中には小瓶があった。
「馬鹿野郎」
ぐり、と小瓶が握り潰された。
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