エビスとBG

メガネ4

第1話 拾いモノ

暗い道をアタシはとぼとぼと帰路についた。その時のアタシはとても寂しく、空腹で、不安だった。例えるなら雨の日、段ボールの中、ポツンって残された子犬かな。ウルウルって感じ、分かるでしょ?

その夜のバイトは賄い付きで、お代わり自由の待遇のイイ奴だったんだけど、アタシは成長期で体はぐんぐん栄養を求めている。食べ終わって、小1時間もするとそれを痛感する。その痛みは「もっと栄養を摂らなきゃアカン」ってオカンの小言みたいにアタシに深く染み込んでいった。薄暗く街灯に照らされた道を歩くアタシは、一足ごとにその痛みで不安になる。

今のバイトで、アタシにオカズが回ってこなかったり、お代わり一回って決定されたらどうしよう?それどころか、世の中は前代未聞の不景気。お偉いさんの「経費削減」の一声で、賄いが無くなったら、アタシは本当に死んじゃうかも知れない!アタシの心は子犬から不安の迷路をさまようアイスクリームに変わった。

―このままでは溶けてしまう!

寂しさは積り、不安は増長した。お金、ああお金。あなたを思うと、駅前裏通りにあった泡まみれの世界を考えてしまう。生命の神秘を秘めた太陽の下で生きられなくとも、少なくとも明るい人工灯の下で生きてはイケる。そんな生活を考えてしまうほど、その夜のアタシは不安だった。

多分、連日のバイトでと一向に見えない将来への不安でアタシは疲れていたんだと思う。将来の夢は成り上がること。でも、どうやって?こんな時程、夢を強く描かなくてはダメ。分っている筈なのに、今夜は、心が…心が折れそう!

フラ~フラ~とアタシは無意識に道端の街灯に引き寄せられる。白黒の輝きを放つ水銀灯は、まるで町角に置かれた神器のよう。群がる虫たちも、ひらひらとまるで天女のようだ。

フラ~フラ~。ゴテン。

アタシは何かに蹴つまづいてコケた。神器の力に魅了された無意識状態だったので、完全な無防備だったアタシは不覚にも嫁入り前のヤワ肌を傷つける失態をした。

「ウワッチ!」

飛び損ねたウルトラマンのような叫びがアタシの口から出る。ついでに痛い。が、その痛みで神器の効力から逃れることができた。本当に、人生は何が幸いするか分からない。

―救われたの?

アタシは感謝の気持ちを含んだ目で、蹴つまづいたモノを見る。手頃の大きさだったら、蹴飛ばしてアタシが行ったかもしれない世界に送ってあげるつもりだった。

恐るべき力を失った神器は、ただの街頭に変わった。貧乏くさい光を発し、うっすらとその姿を照らす。それは、それ程広くない道路の中央部を上手に避け、車にひかれそうも無いちょうどいい場所にうまく倒れている男だった。

―何でこんな所に?

その答えはすぐに分かった。だってそこはちょうどゴミ置き場。ならば、答えは一つしか無い。

―捨てられたのね…

アタシはか弱く美しい少女。しかし、好奇心旺盛で、度胸は満点。捨てられ、ゴミ袋に埋もれそうな男はアタシの寂しげな心を惑わすには十分に魅力的だった。

―さて、どんなんなかな~♡

アタシは顔を覗きこむ。薄暗くて明確な判断はできないが、それでも、ゴミの中に倒れている男は意外とイイ男だった。ただ、少し親父である。

えーっと、いい機会だからアタシは主張する。賛否が分かれる事は容易く想像できるが、最近はチョイ親父がカッコいい。アタシはハッキリ言って親父趣味。仮面ライダー系のイケ面君は、見てると少しくすぐったい。相棒のスグルはこっちが趣味だ。

さてさて、美少女の主張はここまでとして、話を戻そう。アタシはチョイ親父が好み。で、倒れている男はややイイ男。そうなると…。

「残念でした」

だが、この男は大幅にストライクゾーンを外れている。だから、ここでアバヨだ。

「うーん…」

突然のうめき声に、アタシは身構える。強襲に備えた蹴りの構えだ。

「…」

時間だけが経過する。その後の反応はまるで無かった。アタシは蹴飛ばす構えを解き、そして考えた。

―この状況で最適な事は何か?

そんなこと、考える程でもない。

―これだ!

当然、アタシは家路を急ぐ事にする。

―アバヨ!

「うーん…」

再度のうめき声に、アタシは再び身構えた。


いくつも候補が出る訳でもないのに、その思いついた、たった一つの事を実行することがいかに困難な事か、わかるだろうか。“どうしよっかな~、止めよっかな~”を何度も繰り返し、“思い出せ!アタシは好奇心旺盛”などと自分を鼓舞しなけらばならない状況を、世間の美少女はどのくらい経験しているのだろうか。

―結局、アタシだけ、度胸満点の美少女なんだ…。

ちょっとだけ、アタシは運命を悟った気持ちになった。でも、本物の美少女はこんな夜間にバイトもしないし、暗い夜道をトボトボと歩いているはずがない。そんな美少女達の常識を今のアタシは知っている。

とにかく、アタシはある事を実行に移す。それが好奇心旺盛で度胸満点。しかも、意志薄弱で優柔不断な美少女が変身するためのファーストステップだった。念の為、言うが、実行するのは財布をスル事では無いぞ。

『ビタビタビタ…』

アタシは男の首に巻かれたネクタイを掴み、上身を起こした。目を怒らせ、ビンタを右、左と交互に繰り返す。男は右頬、左頬と叩かれるたびに、左、右と力無く、“カックン・カックン”をするが、20回ほど叩いた時点では何の反応も示さなかった。

―継続セヨ!

心の叫びに従い、アタシはビンタを続ける。

―迷わず行動をするってなんて素晴らしい事なの!

過去を断ち切るごとく、アタシは一心不乱に男の頬を叩き続けた。

『ビタビタビタビタビタ…』

心の叫びに従うままに、男の頬を叩きまくり、張りまくった。が、男はぴくりともしない。そして、変化が起きた。


『僕を見て!』

叫びが聞こえた。ハタ、と手を止めた。見ると、洗剤負けでささくれだった手が、真赤な状態でひりひり、じんじんと痛みを訴えている。途端にすーっと力が抜け、手からネクタイがすり抜ける。

―やり過ぎ?

男の顔は鬼灯のような鈍いオレンジ色だった。

―死体?

背筋がぶるっと震えた。

―それとも、アタシがビンタで殺したか?

コクン、と男の首が垂れた。


周囲にヤバメの空気が漂う。細い路地をつくる壁がその空気の広がりを防ぎ、アタシを包み込んでいく。この空気に飲み込まれる前に、ここから逃げなくてはならない。アタシには生き延び、成さなくてはならないことがある!

周囲を見渡し、誰もいない事を確認する。唯一、アタシを見たのはゴミ捨て場に貼られたポスターだけだ。紅い歌舞伎者が「ダメ!絶対!!」と叫んでいる。でも、アタシはそんな言葉に耳も、目も貸さない。

―証拠品の遺留無し、目撃者もいない。では、位置について、ヨーイ…

「うーん…」

男が声を出すタイミングは毎回、素晴らしい。まるで、役者のように“場”を心得ている。

―なんだと!

途端、高速化した頭脳が答えを導き出す。

「大丈夫ですかー?」

優しーくヤラシーク声を出す。ぴくぴくと男の瞼が痙攣し、開いた。

その眼に映るのはロマンスの香りを漂わせたアタシだったに違いない。しかも、万華鏡か乱視に映るお月さまのように幾重にも重なって見えただろう。アタシはうつろな瞳に微笑みかけた。ノビていた王子の目覚め時をモノにして、のし上った半魚人のように。

捨てられた男が王子の可能性はほとんどないが、商社勤務とか、やんちゃな公務員とか、高額くじが当選して遊び回ったが、金が尽きる前に力尽き、この場に倒れたロクデナシ成金の可能性も無くはないだろう。少なくとも、アタシ達よりは金があると思う。アタシ達より貧乏なのは貧乏神だけだ。

そんな期待を背負った男がパクパク口を開いた。

―ん?何が言いたいの?

アタシは期待して言葉を待つ。この男がお父様の遺産を届けに来てくれたカリスフォード氏の可能性だって、あるわ!

「…腹減った…」

男のセリフは美少女の夢のような妄想をぶち壊した。

―この野郎、脳内で消費したカロリーを返せ!

飴玉一つだって、この男から返って来ることは無い。

―これは行き倒れってヤツだ。つまり…、ゴミだ。

常識の目で見れば、とっくにゴミでしかないことはわかったはずだ。再び動かなくなった男を見て、アタシは賄飯の不足を呪った。

―捨てるか…

その判断は当然だ。アタシは捨てられない夢だけ抱え、くるりと背を向ける。

「うーん…」

不意の呻きにアタシは三度、身構える。構えを解くまで今度は少し、時間がかかった。


結局、アタシはこの男を連れて帰ることにした。不燃ごみの日に生ゴミを捨てて行くほど、アタシはロクデナシでは無いし、男に金持ちの親戚がいる可能性もゼロでは無いと考えたからだ。

「ロマンチストだからね」

ユウヤの口調を真似てみる。少し、元気が出た。

アタシは荷物をひっぱり家路に就いた。帰路の間、空きっ腹と疲労感は増長し、わずかな希望と嫌な予感が頭の中を何度も往復する。

「成りあがるゼ。ロックンロールと共に」

ヤザワの口調で今度は呟く。言葉は音(ロック)に変わると不思議な力を持つのだ。

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