かわいいですエルフさん

 シャラン、と涼やかな音がする。


 江藤さんの両手に嵌められた金色のいくつもの細い棒が、手の動きに合わせて、複雑なメロディーを奏でていく。


 アピールタイムは、「歌を歌います」と江藤さんは言った。


 伴奏は、昔住んでいたところで使われていた『手楽器』というものを使うらしく、手の動き、指の動きで今まで聞いたことが無いような音が作り出されていく。


「まるで踊っているみたい……」


 真木さんが、魅入られたように江藤さんの手の動きを見つめている。


 前奏が終わるのか、両手をゆっくりと上にあげていく。頭の上で軽く右手と左手が交差し、そして――勢いよく振り下ろされた。


 シャン! という音が響き、その余韻が消えようとした瞬間、江藤さんの唇が開いた。


 それは、聞いたこともない発音で、誰に聞いても理解することはできないであろう言葉だった。


 江藤さんの本当の『言葉』――エルフ語なんだと思う。


 小さく抑えられた囁くような、そんな声が徐々に大きくなっていく。


 両手から奏でられるメロディに、江藤さんが紡ぐ歌が合わさって、それを聴く僕達はその幻想的な光景にただ見惚れるだけだった。


 金色の模様をあしらった若草色の衣装が、江藤さんの動きに合わせて、フワリと舞う。


「すごい……な」


 八草の小さな呟きが聞こえる。


 僕は無言で頷きながら江藤さんの動きを目で追う。これまで聞いたこともない不可思議な歌と演奏に、時間の感覚すらも忘れてしまうくらいに夢中になってしまう。


 その時、江藤さんと目があった。少し頬を染めて、江藤さんが目を細める。


「……!」


 心臓が止まるかと思った。ヤバヤバがドキい。混乱して語彙力が崩壊しそうだ。


 エルフに扮した江藤さんは、僕が知っている江藤さんとあまりにも雰囲気が違い過ぎていて、初めて会う他人のような気がしてしまう。


 そんな事をふと思った瞬間、(それは違う)と自分の中で自分の声が聞こえた気がした。


 教室でお気に入りの赤い軸のシャーペンで問題集に取り組んだり、真木さんのお弁当を美味しそうに食べたり、オーブンの中のクッキーを真剣な顔で焦がさないように見守ったり。


 今まで見ていた江藤さんと、今見ている江藤さんが僕の中で巡っていく。


 そのあまりの綺麗さに正直軽く混乱していた僕だったけれど、だんだんと落ち着いてきた。


 そう、これも江藤さんだ。


 いつもの江藤さんと何も変わらない。耳が長いか、そうじゃないかなんて、江藤さんかわいいという真実に比べれば、誤差みたいなものだ。


 ほら、今だってよくよく見れば、上半身の見事な動きに目を奪われがちだけど、衣装に合わせた革製のサンダルのような靴が思いのほか滑りやすいのかちょっとトテトテ動いていて、江藤さんトテトテ可愛い。語彙力。


 いつもの江藤さんも、『エルフ』の江藤さんも、何も変わらない。


 だから僕は、いつものように江藤さんに接する。口パクで、江藤さんに語り掛ける。


(こけないように頑張ってる江藤さん偉い!)


『!?』


 あれ、おかしいな。江藤さんの思っていた反応と違ったのか、ちょっとずっこけそうな動きだったぞ。


 うお、ものすごく複雑そうな表情でこっち見てる。綺麗な旋律を歌で奏で、指先まで使って踊るように手楽器を振りながら、ときどき僕を不満そうに見てる。


 いかん、フォローしないと。えーと、えーと。


(あ、あんよが上手ー。あんよが上手ー)


 足の運びを褒めていたら、何故か後ろから真木さんにどつかれた。解せぬ。


 ああ! 間奏に入ったのか、両手をシャラシャランと振りながら、とうとう頬を膨らませて江藤さんがこっちを凝視している。


 褒めたい言葉は無数にある。


 だけど、いくら言葉を尽くしても言い足り無さそうだった。だから、僕はたった四文字の言葉にすべてを込めることにした。


(かわいい)


 ついでに、右手の親指もグッと立ててみた。


 僕の口パクを理解した瞬間、江藤さんは本当に嬉しそうな表情になった。気のせいか、歌う声もすこし力強くなった気がした。


 今の江藤さんを見たら、大抵の人が『綺麗』と感じるだろう。僕もそう思う。だけど、やっぱり僕にとって江藤さんは『かわいい』のだ。


 僕のポーズに合わせて、江藤さんも僕に向かって親指をグッと立てる仕草を、手楽器を演奏しながら混ぜてきた。


 当然、演奏に変な音が混じってしまったけれど、江藤さんは楽しそうにしていた。


 〇●〇●〇●〇●〇●〇●


『……は!』


 余韻を残した歌声で、江藤さんのアピールタイムは終わった。


 司会の立場も忘れて見入っていた鈴木さんが、ようやく正気に戻ったらしい。


『も、ものすごく色々感想があるんだけど、とても言葉にできません……凄かった』


『鈴木に同意』


 遠藤さんもコクコクと頷く。


『ありがとうございます』


 歌い終わって少し疲れたのか、ふうと息を吐きつつ江藤さんが頭を下げる。そのちょっと気だるげな仕草に、ドキンとしている観客の野郎どもの眼球を抉りたい。マーダーライセンスを取得していなかったことにこれほど後悔したことはない。


『今の歌と踊りも、昔住んでいたところのものなんだね?』


『はい、昔から伝わっていて、お祭りのときに歌うんです』


『ふーん、盆踊りみたいなものなのかなあ?』


『ボン・ダンスと同一視する鈴木のセンス……』


『遠藤ちゃんうるさいよ!』


 司会の二人と江藤さんの会話が続く。その様子を見ながら、真木さんが倉田に話しかける。


「予想に反して何とか無事に終わりそうね……」


「だといいんだが。油断は禁物だ」


 ステージをじっと見つめる倉田の視線の先では、江藤さんの衣装に話題が移っていた。


『その衣装も素敵だよねえ。あれ、でも所々新しいような感じ?』


『……はい。実はクラスメイトが、古い衣装を私が着れるように手直ししてくれたんです』


『え、出場決めたのって文化祭前日だったよね? じゃあ、一日で手直ししちゃったんだ!?』


『すごく頑張ってくれました。みんな、凄かったです。私だけじゃ無理でした。今、私がここに立てているのは、クラスのみんなのお陰です』


 ニコリと笑う江藤さんは、とても誇らしげだ。


 真木さん、嬉しいのはわかるけど、他のクラスの女子に「あれ、うちの子なんです」って自慢するのはやめよう?


 見れば、太田や菊池、八草などの男子一同も、「あれ、うちの子なんすよ」っていう父親目線で江藤さんを眺めている。


 倉田は、腕組みのポーズで、時々意味不明に頷いている。


 このまま何事もなく終わってくれれば……そう思っていた時だった。


『ここの模様も刺繍がきめ細かくて綺麗だよねえ。あ、触らせてもらってありがとね! あ、そういえば、ここの細工も凄い。すごい自然な感じで……え?』


 衣装の襟の金色模様についていて話していた鈴木さんが、触っていた襟元から指を離すと、ひょいと何気なく江藤さんの耳を摘まみ上げた。


『……あ!』


 江藤さんが、耳を押さえて後退る。遠藤さんが止める事もできなかった。鈴木さんが、江藤さんの『』に触れた指をそのままに、ポツリと呟く。


『え、今の感触……え? 嘘、本物? ……本物の長耳?』


 その言葉が、観客の耳にスピーカーから届く。そして、その意味が浸透する前に。


 〇●〇●〇●〇●〇●〇●


「動け!」


 倉田の合図と同時に、僕らは飛び出した。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る