第102話 体育祭のお昼休憩

 午前中のプログラムが終了し、昼休憩に入る。

 

 持ってきていたお弁当箱を手に取り、食べ始める。腐らないように、保冷していたせいもあり、冷たかった。味は変わらないので、美味しいけど。 


「つかれるねー」


 楓は俺の隣にちょこんと座った。俺のより一回り小さいお弁当箱を持ってきていた。


「あんまり疲れてるようには見えないけど」

「疲労感を楽しさが上回ってるからねっ!」


 普段あまり運動しないせいか、長い休息期間の後、障害物競走に出ただけで疲労度がピークに達した。息を切らしテントに戻ってきた俺と違い、楓はピンピンしていた。

 

 テント内のクラスメイトたちを見ればわかったが、楓が無尽蔵のスタミナを持っているわけではなく、俺が単純にスタミナ不足なだけだろう。みんなそこまで苦しそうな顔はしていない。運動不足の原因は、勉強のしすぎということにしておこう。


 ウキウキしながらお弁当箱を開けていたはずの楓の口から、「うげっ」という声が聞こえてきた。当然気になり、目をやるとブロッコリーを指差していた。


「もしかして、苦手なの?」


 楓は頭が取れてしまうんじゃないかと思うくらい、激しく縦に振った。


「へー。あー、肉じゃが美味し」

「へー、じゃなくてさ! 食べてあげよっか? って言葉を私は待ってたんだけど」

「せっかく作ってくれたんだから、自分で食べなよ。子どもじゃないんだからさー」


 喉が渇いたので、お茶を飲んだ。口の中がリセットされた。


「私もそれはよーくわかるんだよ。わかるんだけどね。ブロッコリーの気持ちになって考えてみて。ブロッコリーは渋い顔をしながら食べられるより美味しく食べてもらえた方が幸せだと思わない?」

「一理ありそうだけど、ない」


 お隣で何も口に入っていないのに、頰を膨らませる楓を見ていると、ついつい食べてあげたくなってしまった。危険だ。可能な限り、隣は向かないようにしよう。


 少し不服そうな小さな「いただきます」が聞こえてきたので、観念して食べ始めたのかなと思った。が、すぐに肩を叩かれたので、まだ諦めていないことがわかった。


「あーん、してあげよっか?」

「......え?」

「食べさせてあげるよっ!」


 楓はお箸でブロッコリーをつまむと、俺の顔の付近まで持ってきた。蒼天に輝く太陽にも負けないくらいの、眩しい笑顔だった。こんなに近いと、眩しすぎてつい視線を背けてしまいそうだ。

 

 正直、少しいいな、と思ってしまった。こんな機会めったにない。カップルらしくて、いいじゃないか、と。普段、付き合っているというのに、半年前とさほど変わらない距離感だった。多少近づいたかな、とは思うけれど、手をつなぎ、ハグ止まりだ。それも最近になってできたことだ。


 俺は自分の欲を優先すべきか、葛藤する。


 本当に楓のためだと思っているのなら、そんなことで食べても、彼女のためにならない。俺は拒否すべきだ。


 そう結論付けたのに、自然と口が開いていた。欲に敗北してしまった。


 一口でブロッコリーを食べる。口に入れた瞬間、パシャりという音が聞こえた。嫌な予感がする。


「ふふっ。ブロッコリー、美味しい?」

「美味しいよ」

「良かったぁ。まあ、私が作ったわけじゃないけどねー。もう一つあるから、あげるよ!」


 俺はもう何も言わなかった。結局食べることになると思ったから。それなら素直に食べようじゃないか。餌付けされている気分だ。


「どうも」

「とっても感謝しております。助かったぁ。ブロッコリーのせいで、体育祭の楽しい思い出が書き換えられるところだった」


 ブロッコリーが苦手というのは知らなかったので、俺の中の楓情報に加えておこう。もし食べに行くことがあれば、ブロッコリーが出そうな店は避けよう。


 それで俺はそろそろさっき鳴ったシャッター音について問い詰めなければならない。楓はそんなに気になっていないようだ。


「ねえ、盗撮」

「いいじゃねえか。ほら、お前いつもよりいい顔してんぞ」


 俺たちのことを撮るのは神崎か須藤くらいなので、シャッター音のした方向を見なくとも誰が撮ったのかわかった。


 スマホで撮った写真を見せてもらったが、満更でもない表情をしている自分にうんざりしてしまう。楓は相変わらず、綺麗だった。


「見せて見せて」


 楓は神崎のスマホを覗き込んだ。これだと写真うつり悪くないね、と楓は言った。撮られているという意識が働くと、無意識のうちに顔が強張っているのかもしれない。こうして不意打ちだったら、そこまで悪くなかった。良い顔とは言えないけど。


「テント内でイチャつくとは結構大胆だねぇ」


 神崎の隣に座っていた須藤が言った。


「別にイチャついてるつもりはなかったけど」

「周りから見れば、十分イチャイチャしてるからね? ほら、周りを見てみなよ」


 須藤に言われ、テント内を見渡すと、殺気を帯びた視線を向けられていることに気がついた。俺は苦笑を浮かべた。


「急に恥ずかしくなってきた」

「はははっ。楽しそうだし、いいんじゃない?」

「須藤は楽しくないの?」

「私の運動神経で察して欲しい」


 須藤は顔を引きつらせ、明後日の方向を向きながら言った。ちゃんと、察する。

 

「俺らも記念に一枚撮っとくか?」

「いいねいいね。あとで四人でも撮ろうよ」

「ナイスアイデア! 悟も撮るよねー?」

「俺も空気は読めるから、ちゃんと撮るよ」


 この場で俺は遠慮しとくよ、なんて言えば、KYを極めし者になってしまう。

 すんなり写真を撮ることを受け入れたのも、体育祭の空気感にあてられたからかもしれない。


 何も考えず、ただ体育祭にだけ意識を向けられるのは今年が最後だと思う。しっかり俺も良い思い出を作れるように、行動しよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る