第7話 南楓とテスト勉強
まさか、休日に二人で勉強することになるとは……。学校外であるファミレスで。
ファミレス内はテスト勉強をしにきたと思われる学生が多かった。みんな教科書と睨めっこしている。例に漏れず俺もその一人だ。おそらく、近隣の中学、高校もテスト期間が被っていたのだろう。
目の前に座る楓の私服姿は、いつも制服しか見ていないので新鮮だった。
「どうしたの?」
俺が見ていたことに気がついたのだろう。黙々とペンを走らせる彼女の姿に見惚れてしまっていた。
「いや、何でもない。やっぱり、楓は勉強得意なの?」
「自分で言うのもなんだけど、そこそこできるよ。それを知ってたから今日誘ったんでしょ?」
その通りです。まさか、引き受けてくれるとは思っていなかったけど。
「うん。助かる」
勉強を始めて、三十分ほどが経過した頃、壁にぶち当たった。数学だ。何度解説を読んでも理解できない。
どうしてこうなるんだ? どうしてこの答えに? どうしてこんな問題を作った? どうして俺はこんな問題を解く必要がある?
問題に対する文句を心の中でつぶやいていた。
可能な限り彼女の邪魔はしたくなかったが、仕方ない。訊くしかない。
「ねえ、この問題なんだけど、ここの式が全く理解できないんだ」
彼女は「どれどれ」とつぶやきながら、問題を見ようとテーブルに身を乗り出した。前屈みになった彼女から俺は視線を外した。偉いぞ。
「あー、これね。ちょっと待ってね」
カバンからルーズリーフを取り出して、数式を書き始めた。すでに頭の中で答えまでたどり着いているのか、手が止まることはなかった。流れるように数式を書いていく姿は様になったし、かっこよかった。
「これでどうかな?」
楓はそう言って、詳しく解説をしてくれた。
彼女の解説はとてもわかりやすかった。学校の先生が授業中、説明しても理解するまでに時間がかかることが多いけれど、彼女の言葉はスーッと入ってきた。
教科書の解説もこれくらいわかりやすく書いて欲しい。俺の理解力に問題があるのかもしれないけれど。
「ありがとう。めちゃくちゃわかりやすかった」
「本当? 私もこの問題苦手だったからつまずきやすいところわかるんだよね」
「楓にも苦手な問題ってあるんだな」
「当たり前でしょ。はじめからなんでも解ける人はいないよ。私、予習復習は欠かさず毎日してるから」
「マジですか?」
「マジです」
彼女の新しい一面を見ることができた。努力家だったことを知り、俺の中での彼女の株が上がる。
ファミレスに着いてから、二時間ほどが経過した。
適度に彼女と会話することで集中力は保たれていた。高校に入ってからこんなに勉強したのははじめてだった。普段は予習復習どころか、宿題すらきちんと提出しないので、彼女との学力の差は明らかだった。
俺から楓に質問することはあっても、楓から俺に対する質問は一度もなかった。彼女におんぶにだっこ状態だった。今日の代金は俺が支払おう。
「ちょっと飲み物入れてくるけど、悟のも入れてこようか?」
「悪いな。烏龍茶を頼む」
「おっけー」
もうひと頑張りしようとノートに視線を落とした瞬間、後ろから声をかけられた。
「あれ、天野くん?」
振り向くと、女子二人組がいた。話しかけてきたのは同じクラスの
「どうも」
俺の記憶が正しければ、一度も話したことがない。それゆえ、今、話しかけられたことも俺の名前を知っていたことにも驚いた。
俺はクラスで目立つタイプじゃないから、顔はわかるけど名前はちょっと、って感じで思われていると勝手に想像していた。
楓のこともあり、少し知名度が上がったのかもしれない。それがいいことなのかわからないけど……。
「今日は一人?」
園田さんの視線がテーブルに移ったのがわかる。
「あ、南ちゃんとか〜。ヒューヒュー」
ちょっと古くないですか?
「え、この人が南の彼氏!?」園田さんの隣の名前がわからない人は言った。
やっぱり、そういう反応になるよね。園田さんが小声で「失礼だよ」と言ってくれたが、この距離だと丸聞こえだ。
俺もずいぶんメンタルが強くなったと思う。いつも驚かれるところまでは定型化されているので、慣れてきた。
「一応、彼氏ってことになってます」
「そういや、南は?」
忘れてた。飲み物を入れに行っただけにしては、ちょっと遅くないか?
「飲み物を入れに行ったはずなんだけど、中々帰ってこないな」
「私たちと話してるところ見られたら、天野くん怒られそうだね」園田さんは笑いながら言った。
俺が怒られることはないだろう。だって、本当に付き合っているわけではないのだから。でも、それを知るのは俺と楓だけ。
ここは俺と楓の仲を良好に見せるチャンスかもしれない。
「確かに嫉妬するかもな。この前も昼休憩にちょっと同じクラスの女子と話したところを見られて、色々言われたよ」
「あの南が!?」
園田さんの隣にいる名前がわからない人は、たいそう驚いた様子だった。楓の知り合いなのだろうか?
「微笑ましいなぁ。南ちゃんが帰ってくる前に私たちはおいとまするね。また学校で」
園田さんは手を振り、自分の案内された席に戻っていった。同行者さんも一緒に。
園田さんはどうして話しかけてきたのだろう? 知り合いを見かけたら話しかけるタイプなのだろうか?
園田さんとの関係を知り合いと呼んで良いのかわからなけど。俺はどちらかと言えば、知り合いを見つけたら身を隠すタイプだから気持ちはよくわからない。
結局、隣にいた他クラスの女子さんの名前を把握できないまま会話は終わった。次に話すことがあれば、訊いてみよう。そんな機会が訪れるとは思えないけど。
園田さんたちが去った数秒後、楓が戻ってきた。タイミングが良すぎないか? 彼女の頰が少し膨れている。
無言で、俺の前にコップを置いた。慎重に置かなかったせいで、満タンに入った烏龍茶は少しこぼれた。どうやら、怒ってらっしゃるようだ。
「あ、ありがとう……遅かったね」
ここは彼女の怒りゲージをこれ以上蓄積させないためにも、注意深く言葉を選んでいかなければならない。
さて、何が原因なんだ……。
「そう? そんなに時間は経っていない気がするけど、きっと話し疲れて、水分を欲していたのね。満タンに入れてきたから、どんどん飲んで」
彼女は背筋が勝手に伸びてしまうような冷たい笑みを浮かべている。その表情を見ていると、糾弾されている気分になってくる。自分の犯した罪がなんなのかわからないけど。
自分で気づけ、というやつなのか?
「ああ......ありがとう」
こぼさないようにすすりながら、怒りの原因を考察する。
どうやら、俺がさっき話しているところを見られていたことがわかった。俺と楓は勉強中、おしゃべりよりも勉強に割く時間の方が圧倒的に多かった。
話し疲れて、と言ったことに少し違和感を覚える。おそらく俺がさっき園田さんたちと話していたから、そう言ったのだろう。つまり、話し終えたタイミングで彼女が帰ってきたのは、偶然ではなかったのだ。
もしかして、俺が女子と話してたからか?
──ないな。
俺たちは付き合っている演技をしているだけだ。恋愛感情はそこにはない。となると、他に考えられる可能性はなんだ?
彼女は何も言わず、再び教科書を開き始めた。態度をあからさまに変えすぎじゃない? いつもは「せいかーい!」とか「不正解だよっ!」とか言ってるのに。
俺はそんな温厚な彼女を不機嫌にさせるという大罪を犯してしまったということか。
「なあ、楓。もしかして、さっき見てた?」
「何を?」
顔は教科書と対面状態のまま、声だけが飛んでくる。
彼女は見ていたはず。俺が二人と話しているところを。
「さっき同じクラスの園田さんたちと話しているところ」
「楽しそうな会話だったじゃない。私もあの場にいたらなー」
あっさり認めるんだ。
「もしかして、あんなこと言ったから怒ってるのか?」
「あんなことって?」
「俺が勝手に、楓に最近嫉妬されたという作り話をしたこと。上手くいけば、俺は楓に愛されていると思ってもらえるんじゃないかと……」
「え!?」
彼女は首が痛くならないか心配になるほどすごい勢いで顔をあげた。やっと俺たちの視線がぶつかった。
さっき聞いていたんだからそんな驚くことでもないのに……。
「そんなこと言ったの!?」
「言ったよ。それも聞いてたんだろ」
彼女は明らかに顔をひきつらせていた。そんな設定なかったのに、勝手に決めた俺が悪いかもな。ここは謝っておくべきだろう。
「ごめ──」
「初耳なんだけど……」
「え?」
マジ? 彼女が怒る原因はてっきりこのことだと思っていた。じゃあ、何が彼女の気分を害したのだろうか?
「なんで勝手にそんな設定追加してんの!
「山下って園田さんの隣にいた人?」
「そう。中学同じだったの」
昔の楓を知っていたから山下さんは驚いていたのだろう。一切彼氏を作らなかった美少女が、こんな冴えないザ・平均みたいな奴とくっついたのだから。
「そうだったのか。じゃあ、楓は何に対して不機嫌になってたんだよ。俺はてっきりこのことかと思ってたんだけど」
「それは……。そ、そんなことどうでもいいでしょ! この話はおしまい! 私たちおしゃべりしに来たわけじゃないんだから、勉強再開!」
「は、はい」
会話は強制終了となった。彼女の怒りゲージを蓄積するだけだと思い、これ以上は訊かなかった。何を言いかけたのか気になったけど。
楓はなぜか少し頰を赤くしている。園田さんたちに彼氏が異性と話しているだけで嫉妬するような女だと思われてしまい、羞恥を覚えているのだろうか。それなら、悪いことしたな……。
また後で謝っておこう。
「楓のおかげで勉強めちゃくちゃ捗ったよ」
会計を済ませた俺はファミレスの外で待つ楓に話しかけた。
「奢ってもらって本当にいいの? バイトもしてないんでしょ? やっぱり割り勘に……」
「いいよ。無償で教えてもらうのは少々気がひけるし。それにテスト期間なのに、わざわざ俺のために時間を割いてもらってるわけだしね」
「それでも……ちょっと勉強教えただけだし……」
「俺にとっては、そのちょっとがありがたかったんだよ。本当に気にしなくていいから。ちょっと彼氏っぽいことできたんじゃない?」
「ありがとう。誰にもアピールできなかったけどね」
彼女は見る人の頰を緩ませてしまうような優しい笑顔を見せた。いつも通りだ。どうやら、もう機嫌は直ったみたいだ。
何が引き金で彼女の冷たい表情を出現させるかわからないので、これから注意しないといけない。
「私なんかで良ければ、また訊いて。全然迷惑じゃないから」
「助かるよ」
迷惑じゃない、という言葉は今の俺が一番言われて嬉しい言葉だった。多分、この一週間だけでも何度か頼ることになりそうだ。
神崎、俺はお前を裏切ることになった。すまん。
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