メサイアシティと地上のゴースト
高ノ宮 数麻(たかのみや かずま)
第1話 メサイアシティとMボード
2160年、7月7日。メサイアシティは今日も雲一つなく晴れ渡り、強い風が窓の外で「ゴーッ、ゴーッ」と唸り声を上げている。
80階建てビルの65階、ここがメーガンとその家族が暮らす家だ。
17歳の高校生、メーガン・イトウ・クエントはいつものようにMボードに乗り、勢いよく部屋の窓から飛び出した。
「行ってきまーす!」
メーガンが操るMボードは長さ1.8メートル、幅60センチほど、小型のメサイアシステム(反重力装置)を搭載し、空中を自由に飛行できるホバーボードだ。
「メーガン! ちゃんと玄関から出なさいっていつも言っているでしょう!」
メーガンの母、マリーがため息をつきながらメーガンの後姿を見送る。
「まったく…、何度言ったら分かるのかしら」
そう言いながらも、メーガンの背中を見ながらマリーは目を細めていた。少し行儀の良くない息子だが、何より元気で健康に育って欲しいという母の願いはしっかり叶えてくれている。
メーガンが乗っているMボードはメサイアシティ唯一の「交通機関」だ。
メサイアシティの交通システムである「スカイルート」を利用すれば、メサイアシティのどこにでも「空中を移動」して行くことができる。
スカイルートとは、専用スコープを装着すると目の前に現れる、様々な階層に色分けされた「空の道」だ。つまり、Mボードは肉眼では見えない「空の道」を飛行し移動するのである。
メサイアシティの「国土」はとても狭い。その限られた面積を有効に利用するためシティ内の建物はすべて超高層階で建築することが義務付けられている。
そのため、シティ内の建築物はすべて70階を超えて造られており、このような超高層建物間を移動するために開発されたのがMボードとスカイルートシステムである。
「建物の階層同士」を空中の道で直接繋げることで、人や物の移動が容易に行えるようになる。Mボードはスカイルートの階層を自由に行き来することが可能で、左右の移動と速度の調整は体重移動で行い、階層の上下移動は足元のフロアー選択ポインターで操作する。
「うわっ! また遅刻しそうだ…」
メーガンはMボードのスピードを上げ学校まで急ぐ。今日遅刻すると今月10回目、確実に親が呼び出されるパターンだ。
メーガンの通うメサイア第9高校は、シティのほぼ中心部にある90階建ビルの50階から60階までの10フロアーにある。生徒数は5,000人を超え、シティ内でも指折りのマンモス校だ。
メーガンは遅刻ギリギリで学校に到着すると、一般の生徒が出入りする正面玄関ではなく、またもや「窓」から教室に滑り込んだ。
…あっぶねー、なんとか間に合った…
メーガンがホッとしながら席につくと、親友のアルクがニヤニヤしながら後ろから声をかけてきた。
「メーガン、ガイドウ校長がお前を探していたぞ、また今日もスカイルートシステム違反したんだろう?」
メーガンはおどけながら「まさか! 俺がそんなことをするはずないだろう」とうそぶいた。二人がじゃれ合っていると、「ジリリリリリッ!」と始業ベルが鳴った。
担任教師は教室に入ってくるなりメーガンに向かって、「メーガン、後で校長室に来るように!」と告げた。
メーガンは天を仰ぎ、両手で顔を覆った。「…まいったなあ…」
その様子をみたアルクは肩を揺らして笑っていた。
スカイルートシステムとMボードの操縦にはいくつかのルールがある。
スピード違反、集団暴走行為の禁止など、たくさんのルールがあるが最も厳しく禁止されているのは、目的地直前の急な階層変更だ。
急な階層変更によるMボード同士の衝突事故によってメサイア市民は毎年数十人が犠牲になっている。そのため、目的地到着の30メートル手前からは接触事故を防ぐために階層変更自体を禁止している。
だが、学校や大企業など多くの人が利用する施設の階層は、時間帯によってスカイルートが「渋滞」してしまい、思うように飛行できないので、階層変更違反者は後を絶たない。
メーガンの通う高校も生徒数が多く、朝の通学時間帯はその階層が必ず渋滞するので、メーガンはほぼ毎日学校到着直前で階層変更を行っていた。
通常、この違反の罰則は重く、最低でも7日間のMボード搭乗禁止か罰金3,000ゾル(日本円で約1万円)という厳罰だ。
しかし、メーガンの「違反」についてはメサイア市民がほとんど知っていたが、メーガンが罰を受けることはなかった。それどころかほとんどの人たちはそれを口に出したりもしない。
メーガンが金持ちの息子だから?
いや、どちらかといえば貧困層に近い。
メーガンがマフィアの息子だから?
いや、メーガンの父親はメーガンが3歳の頃亡くなっているし、母親のマリーは元高校教師で今は小さな塾の講師だ。
じゃあ、なぜ?
実は、メサイアシティの市民には、Mボードを操るメーガンの「腕前」に一目置く理由があるのだ。
メサイアシティ唯一の移動手段であるMボードは、メサイアの市民全員が操縦でき、すべてのメサイア市民が自分専用のMボードを所有している。
メサイア市民にとってMボードとは乗り物であり、パートナーであり、天空都市メサイアシティで生きていくうえで欠かせないものなのだ。
その分、メサイア市民はMボードの操縦技術が高い人間に対するリスペクトも非常に強い。
メサイアシティでは年に一度、メサイアシティをぐるっと1周するレース「メサイアカップ」が開催されていて、Mボードの腕自慢たちが大勢参加する。
実は、メーガンは15歳のときからこのレースで2年連続優勝していて、今やメサイア市民でメーガンを知らない者はいないのだ。
メーガン自身もそれを十分に理解していて、その振る舞いや言動に少し横柄なところがあったが、誰もメーガンを戒める者はいなかった。当然のように多少のMボード違反についても皆が目を瞑ってくれている。
唯一、メーガンを「しっかり」叱ってくれるのは、亡くなったメーガンの父親マクディナルの親友だったガイドウ校長だけだ。
放課後、ガイドウ校長にみっちり絞られ、肩を落として廊下を歩くメーガンに声をかけてきたのはアルクだ。
「さあ、行くんだろう? 今日勝つのは俺。だよな、ついてないメーガンくん!」
アルクはメーガンの肩を組み、ちょっと挑戦的な笑顔をみせた。もちろんメーガンも引き下がったりしない。
「もちろん行くさ! アルク、お前も懲りないね、今日も連敗記録を更新するつもりなんだね」
お互いを「口撃」したあと、メーガンとアルクは笑いながら「アナザールート」に向かった。
アナザールートとは、現在使われていない階層のスカイルートだ。
メサイアシティが天空に来たばかりの時代、今の様な超高層階の建物はなく、ほとんどは1階建~5階建の建物だけだった。
建物が超高層化していく過程で、スカイルートシステムが整備されていったが、老朽化した建物が多い1階層~5階層についてはスカイルートシステムの整備は行われなかった。そのため現在、1階層~5階層は全く人が立ち入らず、使用していない階層となっている。
ただ、いくら使用していなくても1階から5階部分の建物についても定期的に点検・修理をしなければならない。その点検・修理のために、「臨時のスカイルート」が整備されていて、この臨時のスカイルートこそがアナザールートである。
仮整備のスカイルートなので、当局の監視システムからも外れ、Mボードの腕自慢たちが当局の目を気にせず、存分にその技術を披露できる場所なのだ。
最近のメーガンとアルクは、違法なMボードレース「アナザールートゲーム」にすっかりハマっていた。
メーガンやアルクだけではなく、Mボード操縦の腕自慢たちは、自分の操縦テクニックを披露する機会が年に1回のメサイアカップだけでは物足りず、当局の管理や監視が及ばないスカイルートである「アナザールート」を非合法で疾走するゲームを行っているのだ。
超高層の建物に太陽の光を遮られ、薄暗いアナザールート階層。
メーガンとアルクがアナザールートの階層に到着すると、そこにはすでに多くのギャラリーと、今日のアナザールートゲームに参加する猛者たちが待ち構えていた。
今日もアナザールートゲームの会場は熱気に溢れている。
アルコールやホットドッグ等を売る者、誰が勝者かを予想する「賭け」の元締め、ゲーム参加者の熱心なファンたち。
いつもの喧騒の中、集まったギャラリーのなかに、メーガンとアルクのクラスメイト、ケイトの顔もあった。
思いがけずケイトと目が合ったメーガンは、とっさに目線を外す。一見、生意気そうなメーガンも「好意」を寄せる相手に対しては案外シャイなのだ。
その様子を見ていたアルクがメーガンをからかう。
「ケイトは誰を応援しに来たのかな、もしかしたらメーガン、君かもよ! 緊張して事故るなよ!」
すぐにメーガンが反応する。
「アルク、ゲームに集中しないとまた負けるよ、もちろん集中しても僕には勝てないだろうけど、ね」
ゲームが行われる薄暗いアナザールートを、ゲームのギャラリーたちが自分のMボードに積載されているライトで一斉に照らす。
ゲーム参加者の準備が整い、いよいよスタートのカウントダウンが始まる。
「5・4・3・2・1・スタート!」
大歓声とともに一斉にスタートした参加者たち。
ギャラリーたちが照らす眩い光の中を疾走していく8台のMボード。
メーガンはいつもどおりのスロースタートだ。参加者8人のうちメーガンは最後尾で、レースの状況を見極めながらスパートをかけるタイミングを待つ作戦だ。
アナザールートゲームは2つの建物の外周を8の字に10周する。使用する階層は2階層と3階層で、その両階層を自由に行ったり来たりできる。
スピードは無制限だが、速度が速すぎるとコーナーを曲がり切れずにクラッシュしたり、外に大きくふくらんでしまうことでかえって周回スピードが上がらない。
メーガンとアルクはこのゲームに200回以上参加しており、すでに他の参加者を寄せ付けないほどの熟練者である。
実際にここ100ゲーム程はメーガンとアレクで1位2位を独占中だ。
しかし、今日は少し様相が違う。
今日のゲームには昨年行われたメサイアカップで、ゴール直前までメーガンとトップを争ったザックローも参加しているのである。
ザックローはメーガンやアルクより2歳年上で、体も一回り大きく、レース中の「当たり」も強い。ザックローが参加するとなればメーガンも油断できないし、特にアルクはメサイアカップでザックローに2連敗中なので、アルクの目の色が変わるのも無理はない。
レース序盤、まずはトップを順調に疾走するアルク、次いでザックロー、少し離れて5名の集団、その後ろにメーガン。
「アルク、やるじゃないか」
メーガンはアルクのMボードさばきに半ば見とれてしまった。
スコープ越しに映るピンク色のスカイルートの上を、アルクの鮮やかな青のMボードが滑るように疾走していく。
アルクのすぐ後ろを走るザックローも負けてはいない。
ザックローを追い抜こうとする後ろの集団を、一人、また一人と、お得意の「当たり」でコースアウトさせていく。高速で疾走するアナザールートゲームでは、一度コースアウトするともう上位には入れないので自動的に棄権となってしまう。
いつも間にかレースは、アレク、ザックロー、メーガンの3人の争いとなっていた。
レースも終盤、残り3周。いよいよメーガンがスパートをかける。
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