まちねこ

 僕が生まれ育った村は、ごくごくどこにでもある農村だ。変哲も取り柄もなく、春になれば種をまき、夏の間育て、秋になれば穫り入れる。冬の間はうっすらと雪に包まれ、冬でも育つ青菜をいくらか育て、あとは悠々とのどかに暮らす。村の中にいる限り、のどかに暮らすより他に術がないのだ。


 そりゃあときには嵐がさかまき、大雪が家のありかも解らなくするほど降り積もる。病ははやり、誰かが木から落ちて骨を折る。けれど、何といえばいいのだろう、そういったことがひとつひとつ積み重なるたびに、そして他の村も同じような季節と歴史を繰り返していると聞くたびに、村そのものが孤独にさいなまれ、手を伸ばしたいのに伸ばせない、奇妙ないらだちを発散しているような気がする。そして、その孤独と孤独がぶつかりあって世界が作られることから、すべての苦痛は始まるような気がしてくる。すべての道は、すべての町につながっているはずなのに。それとも、すべての道がすべての町とつながっているから?


 若いということがどういうことなのか、まだ若い僕にはよく解らない。だけど多分、僕は若かったから、旅に出た。すべての道を通って、すべての町に出会うために。僕は、伝えることを望まない。ただ見ていたい。空間と、時間軸。僕が存在しうる未来。百姓になることに何のためらいもないけれど、このまま・・・・百姓になることにはためらいがあった。


 猫。ねこねこ。僕のステキな相棒、トントン。君の閉ざされた未来、純粋な瞳、たゆまぬ好奇心が、僕は大好きだ。どこまでも一緒に、旅をしようね。




 僕は地図を見返した。


 こんなところに、町のあるはずがないのだ。なのに、ある。


 海岸沿いの平地で、むかしから街道が通っていたから、そりゃあ町があったっておかしくはない。しかし、何度開拓をしようとしても、地盤があまりに弱いとか、飲める水がさっぱり湧かないとか、遠浅で港も作れないとか、そんな悪条件が重なって、結局断念せざるをえなくなる土地だという話を聞いている。街道だけが、そのやせた平地の山沿いを、迂回するようにぐるりと通っていた、はずだった。


 そこに町があった。開拓した、とかそういう問題の町ではなかった。もう、何百年も前から約束されたように存在していた。でも僕はかつて一度この道を通ったことがある。あれからもうどれほどになっているか解らないが、一年は経っていないはずなのだ。そう、トントンに出会う、ほんのしばらく前だったような気がする。


 そのときのここは、はるか向こうに海を見渡す、広い低湿地だった。アシやガマがわさわさと揺れ、蛙どもがげろぐわぐわと、あっちでもこっちでも真昼から合戦を繰り広げていた。誰かが開拓しようとしてあきらめた小屋の残骸から、ふわぁと何かが―――おそらくはコガネグモの子供たちが飛び立っていったあの光景は、忘れられないくらい美しかった。


 そこが町になっていた。石造りの塔のような建築物がたくさん、列をなして並び、僕の目線から完全に海を遮断していた。


 なーお、とトントンの声がする。僕の相棒のちび黒猫は、そのことを知らない。町に入らないのかと言いたげに、僕を呼んでいた。


 僕は、その町に入る道へと歩を進めた。




 町の中は、碁盤目状に石畳の道が通っていて、それに沿って整然とれんがづくりの四角い塔が並んでいた。僕の背の七~八倍ある、とても高い建物だった。れんがの積み方はとても丁寧で、目地がはみ出しているところなんかひとつもなかった。外側から見ると、積み木で積み木を作ったようにも見えた。


 塔には、とても小さな窓が順番に並んでついていた。窓を数えてみると、建物はどれも同じ大きさの五階建てで、それぞれの階に部屋はふたつ並んでいた。一階の窓から中を覗いてみたけれど、壁紙も貼っていなかったし漆喰も塗っていなかった。外と同じれんがづくりの地肌がむきだしになっていた。


 とても高いといっても、僕の背の七~八倍で五階建てだから、天井はさほどではなかった。のっぽの人が背伸びしたら、頭をぶつけてしまうほどの高さだった。片方の部屋の天井の隅には穴が開いていたけれど、そこから階上へ上がるための階段はとりつけられていなかった。


 「やぁ! よく来たね!」


 突然、背後から声をかけられた。僕より、ずっと若い声だった。振り向くと、セメントで顔を汚した、縁なし帽をかぶりオーバーオールを着た十歳ほどの男の子が、塗りごてを持って立っていた。


 「君が、僕の町の第一号の住人だよ!」


 「君の町?」


 「そうだよ! この町は、僕が造ったんだ。僕の町だ!」


 男の子は大きく手を広げて見せて、とても誇らしげだった。


 「僕が初めてと言っていたけれど、他に住んでいる人はいないのかい?」


 「いないよ。でも、まだいないだけさ。きっとたくさんの人が住んでくれるよ。だってこんなステキな町なんだもの!」


 僕はぐるりと周りを見回した。れんがの赤、セメントの灰色、石畳の花崗岩の幾何学模様、ともかく、石の色しか見当たらなかった。僕は芸術にはあまり興味はないけれど、もっといろいろな要素を持っていないと、ステキ、とは言い切れないような気がする。


 「でも、まだできていないんだろう?」


 「できてるよ! 確かにできてないように見えるかもしれない、だけどそれは、住む人が好きに作り替えていいってことなんだ。君の好きな建物をひとつ選んだら、その中は、君の好きな壁紙を貼って、君の好きなテーブルを置いて、君の好きな花を飾ればいい!」


 「ふぅん」


 それなら、ステキっていえるんだろうか。僕はもう一度ぐるりと周りを見回した。


 でも、どう言いつくろっても、この町はまだできてはいなかった。僕はまた近くの建物を、一階の窓から覗き込んで、男の子に話しかけた。


 「この建物の、どこから中に入ればいいんだい?」


 「扉も君が好きに決めればいいんだよ」


 「どうやって上の階に上がるの?」


 「階段でも梯子でも、好きにとりつければいいんだ。わかんないかなぁ、もう」


 しまいには、男の子は少々不機嫌になって、また新しい建物を作るためにか、ぷいとそっぽを向いて、どこかへ去っていってしまった。


 と、トントンがその一階の窓からするりと中に入り込んだ。ひょっひょっと中を見るか嗅ぐかよく解らないしぐさで頭を動かし、それから、お得意の壁登りで、天井の隅に開いていた穴から、二階へと上った。トントンには階段がなくても平気なのだった。


 すぐにトントンは、二階の窓から顔を覗かせて、なおーと鳴いた。その姿を見上げてから、僕はもう一度一階の窓の中の部屋を覗き込んだ。床に丸石をせいぜい敷き詰めて、豪華な猫小屋にするのが最善のようにも思われた。こんなに猫小屋を建てても、ひとりで飼える猫の数は知れている。僕なんか黒猫一匹で手一杯だ。しょっちゅう、振り回されている。


 「下りておいで、トントン」


 僕は二階に向かって手を広げた。トントンは少しだけ名残り惜しそうに遠くを見てから、僕の手の中に飛び下りてきた。


 トントンをいつものように肩にのせて、どこまでも景色の変わらない碁盤目の道を、歩いてみた。道のはるか向こうに、行き止まりがあるように見えるのだけれど、歩いてもちっとも近づいてこない。


 僕ら以外に、動くものは見当たらなかった。薄曇りの真っ白な空を飛ぶ鳥は、一羽もいなかった。石だたみの隙間からは、おおばこも生えてはいなかった。低地のはずなのに、水たまりもなかった。雨はしばらく降っていないらしく、風が吹くと砂埃が上がった。蚊も住めそうになかった。


 変だな、と気づいた。やはり歩いても歩いても景色は変わらないのだ。しばらく歩けば海に出るはずなのに。海岸は、どこまでいっても見えてこない。ふっと気になって、十字路の真ん中で、周りを見た。振り返って、右を見て、左を見た。見える景色はすべて同じだった。ずううっとまっすぐ、整然と向かい合って並び立つ五階建ての塔の姿があった。


 あの塔の屋上に立てば、何か違うものが見えるだろうか。トントンはさっき、何を見ていたのだろう?


 「どうしたの?」


 また、オーバーオールの男の子が現れた。


 「いや、ね、せめて海に近い建物から景色を眺めてみたくて」


 「うみ……う……み?」


 男の子は目をしばたたかせた。


 「うみって……なに?」


 表情は本当に知らないようだったが、なぜだか膝は震えていた。


 「海は、海さ」


 「そう言われたって、解んないものは解んないよ」


 そう反駁されると、確かに、海というのはとても説明が難しい。


 「えっと……そうだね、言うなれば、とても大きな水たまりさ」


 「何だ、水たまりか。そんなものは、この町にはいらないよ」


 僕のつたない説明を聞いて、男の子は、少し嬉しそうに微笑んだ。慌てて僕はつけ足した。


 「でも、とても広いんだ。とっても。生き物がたくさん住んでいて、風が吹けば波が立つ。すべての生き物は、そこから生まれてきたともいわれている、この世で一番たくさん水がある場所さ……」


 「この町よりは、小さいよね?」


 男の子はにこやかに笑って言った。にこやかに。


 はっとして、僕はもう一度ぐるりと辺りを見回した。前後左右、どこまでもどこまでも、平坦でまっすぐな道が続いていた。男の子が言っていることは、正しいのかもしれなかった。


 ……僕は、この町にどうやって入ったんだろう。どうやって出ていけばいいんだろう。


 僕はしばらく黙っていた。男の子もにこにこ笑いながら、僕が何かを言うのをじっと待っていた。


 「そろそろおいとましたいんだけど、どっちへ行けば町の出口になるのかな?」


 訊いてみると、笑っていた男の子は、突然厳しい顔になった。


 「この町に出口はないよ。入り口だけさ」


 両手を腰に当て、僕をぎゅっと睨みつけてきた。


 「君はここに住むんだ。ずっと、ずっとだ!」


 何せ小さな男の子だったから、きつい表情もちっとも怖くは見えなかった。僕はゆっくりと首を横に振った。


 「僕には帰るふるさとがあるんだ。ここには、住めない」


 「だめだだめだだめだ! 君はここに住むんだ! この町の、第一号の住民なんだ!」


 男の子は僕の体にすがりついてきて、僕をとどめようとした。見上げる瞳が、涙でいっぱいになっていた。


 「いっぱい人が来てくれるよ。おしゃべりするんだよ。語り明かすんだよ。ものを売り買いするんだよ。何をしてもいいんだよ。法律はないよ。誰も縛らない、誰も縛れない、何もかもが自由な町なんだよ。だからきっと、みんな来てくれるよ。待っていてよ……」


 「何もかもが自由なら、僕はふるさとへ帰る自由がほしい」


 「それだけはだめだ!」


 金切り声だった。


 「この町から出ることだけは、だめなんだ! 許されないんだ!」


 その後には、嗚咽が残った。男の子は、こうべを垂れて、目のふちからぼろぼろと涙の粒をこぼした。僕は腰を落として、その肩をしっかりと掴んだ。彼がこうまで拒む理由は僕にも飲み込めた。彼自身ここの出口を知らないのだ。入ってきて、町を作った。彼には、それだけで十分だったのだ。


 男の子は、ただ泣きじゃくった。


 トントンが、肩からすたりと地面に下りた。男の子を見やりもせずに、とととと走って、例の立ち並ぶ四角い塔のひとつの一番下のれんがに前足をかけた。ぽん、ぽんと、何かを試すように、肉球でいくどか叩いた後、……爪を研ぐ要領で、トントンはそのれんがをかりっと引っかいた。


 次の瞬間。轟音と地響きが、僕らを襲った。れんがの塔が、崩れ始めたのだ。あるわけもない大黒柱を失ったかのように、内側へ。まるで、塔を吊り上げていた天からの綱が、今この瞬間に断ち切られたかのようだった。


 猛烈な風が巻き起こり、砂埃が視野をすべてさえぎって舞い上がった。僕は自分の顔を守りながらも、男の子を抱き締めた。彼の体温は僕よりも少し高いようだった。


 風と砂埃が収まった。僕は顔を上げた。男の子も僕から離れて、崩れた建物の方を見やった。


 そこには、何もなかった。瓦礫も、れんがのかけらひとつも、その場所には落ちていなかった。ただれんがの塔が建っていたはずの土地が、更地となって地肌をさらしていた。


 トントンは、その更地を乗り越えて、その先の別の塔に足をかけていた。


 「やめてよ……やめてよ!」


 男の子は叫んで、トントンを追って走り出した。


 「ここは僕の町だ! 僕が作ったんだ! なのになんで……なんで壊すんだよぅ!」


 トントンは聞いていなかった。ふたつ目の塔を、引っかいた。再び起こる轟音。……壊れる、塔。やはりあとには、砂埃以上には、塵ひとつとして残らなかった。


 男の子に追われながら、トントンは次から次へと塔を壊していった。五つか六つ壊したところで、トントンは戻ってきて、僕の肩へまた駈け上った。そして大きなあくびをした。


 男の子は、砂埃を目の下の涙の跡にこびりつかせながら、またその上に大粒の涙を流していた。嗚咽を繰り返しながら、もはやその涙を拭おうともしていなかった。顔も髪も、砂だらけだった。


 彼は僕とトントンをじっと見据えて、何か言おうとしていた。言葉を探していた。けれど、どうしても見つけられないのだった。


 僕はもう一度、腰を落として、その両の肩をしっかりと握りしめた。そして、言った。


 「僕は、……旅を続けるよ」


 僕がそう言ったとたん、世界は、はっと白くなった。




 気がつくと、ぼろぼろの小屋の中にいた。破れた壁から、日が差し込んでいた。


 起き上がって、外を見やると、そこは広い湿地帯だった。泥に陽光が反射して、きらきらと輝いていた。


 天井の隅には、壊れたコガネグモの巣がふらふらと風に揺れていた。ここは、いつか僕が街道から見つめていた、見捨てられた開拓小屋の跡なのだった。


 なーお、とトントンの声がした。かつては戸口だったところで、僕が旅に戻るのを待っていた。


 僕は、しばらくの間、逆の壁にある窓から、はるか遠く水平線までを見渡す、穏やかな遠浅の海を眺めていた。海は、日光を受けてきらきらと輝き、僕を誘っているかのようだった。水鳥や蛙の声も、どこからともなく聞こえて、蘆が広がるばかりの荒れ地に、大小の命が息づいていることを伝えていた。


 背中をとんとんっといつものリズムが駈け上った。そして、耳元でなーおと鳴いた。僕はその喉をそっと撫でてやってから、


 「行こうか、トントン」


 きびすを返して海に背を向けた。小屋を出て、靴をじゅくじゅくと泥で汚しながら、湿地帯を渡って街道へ戻り、また次の町へと歩き出した。




 そうして僕は、トントンと一緒に、今日も旅を続けている。

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