かわねこ
釣りというものが好きになれない。
ぎょろぎょろした魚の目玉が嫌いとか、餌をつけるのが嫌いとか、そういうのではなくて、僕は根っからの旅烏のせいか、どうもあのひとところでじーーーーっと座って待っていることに耐えられないのだ。子供の頃友達に無理矢理連れて行かれた用水路で、まぬけなオイカワを一匹、それが僕の長くもない人生における通算釣果である。
ところが、僕の相棒のちび黒猫トントンは、どうやら釣りが好きらしいのである。いや、もちろんその小さな体短い爪では、小ブナさえ捕らえるのは容易でないし、そもそも水そのものが好きではないから、川に入りたがるわけじゃない。正確には、釣り人が好きなのだ。釣りをしている人を見かけると、とととっと歩み寄って横にぽてんと座る。そしてじっと川面を見ている。じーーーーっと浮きが動くのを待っている。……トントンは僕と逆に、動かずに待つのがわりと好きなタイプだ。
トントンが待つと僕も待たなくてはならぬ。川の流れを眺め、蘆の揺れるさわさわと涼しげな音を聞くのは悪い気分ではないが、こうして僕とトントンとが隣でじっとしていると、釣り人というのは次のどちらかの行動をとる。
ひとつは、そんなことは絶対にないし、あるとすればその声の大きさが理由であるはずなのだが、魚が逃げるからあっちへ行けと怒鳴る。この方が僕は助かる。これ幸いとトントンを抱えて去ってしまえばいいのだ。
もうひとつは、こっちの方が数段困るのだが、話しかけてくるのだ。しかも、飼い猫が釣り好きと見るや、その飼い主も釣り好きと見て、釣りの話題で話しかけてくる。トントンは雑魚などもらってご満悦だが、素人の僕は気のない返事をするよりない。これは、釣り人にアタリが来て魚との格闘を始め、僕らのことを忘れてしまうまで、延々と続くのである。
だから僕は、川べりを歩くときは、トントンがどこにも行ってしまわないように、しっかりと抱きかかえて歩く。トントンは、歩く揺れの中で抱かれるのを嫌がる。すぐもぞもぞと動いて逃げ出そうとする。
その日もそうだった。川へ落ち込むように突き立つ峻厳。その中腹を切り欠くように踏み固められて、急に下ってゆくそば道をゆっくり進んでゆくと、谷懐に抱かれた町が見えてきた。そして、山に取り付けられるように作られた堤の上を、流れとともに歩いてゆくと、その内側に集落が、外側の、流れに突き出した岩の上に、濃いカーキ色の服を着た釣り人が……僕はすかさずトントンを抱え込んだ。
山深いところではあったが、流れはほどほどに緩く水量はほどほどに豊かで、人々は谷間のわずかな平地に寄り添うように住んで、漁や、舟による交易で生計を立てているようだった。こういうところでは、仕事ができなくなった御老体は、およそ太公望として余生を過ごすものだ。港の桟橋の先で、あるいは堤の上から糸を垂れて。今の人も、多分そんなとこなのだろうと、そのときは思った。
もう、夕暮れどきだった。僕は集落に入り、取っつきにある、老夫婦が経営する静かな宿に身を投じた。風が、水の匂いを含んでいた。長く旅をしていると解る、それは嵐を伝える匂いだった。この町にしばらく留まることになるだろう、と予感した。
「猫、いいですか」
宿のおばあさんは顔をしかめた。
「もう、冬毛の時期ですからねぇ。中にはちょっとねぇ」
そこで、玄関先の軒下に小さなぼろ切れを詰めた木箱を用意してもらった。トントンをそこに収め、おとなしくしているようにしっかり言いつけて、僕は中に入った。
宿の二階の部屋からは、堤の向こう側がよく見えた。岸辺には、宵闇の中でまだ釣りをしている人が多く見受けられた。天気が荒れそうなときは、魚の食いつきがいいそうだから、釣り好きにはたまらないだろう。
と―――上流の方にも、釣り糸を垂れているひとつの影があった。さっき、見た人だ。彼もまだ、じっと岩の上に腰掛けて釣り糸を垂れていた。……だが今、その隣にある黒い塊は? 何しろ暗いからはっきりと解らない。闇に溶け入りそうな点にしか見えないが……あれはトントンではあるまいか?
そこへ宿のおばあさんが食事を持って上がってきた。
「猫……あいや、見えませんねぇ」
猫が見えますかと訊いたのは、ちょっと間が抜けていたかもしれない。だが、その隣の人のことも聞けた。
「いや、ねぇ、……あの人もよく解らないんでねぇ。いつもあぁして釣りしてますけどねぇ……町の誰も名前を知らない、奇妙な風来坊でしてねぇ……」
食事を少し残して、ひとつの皿にまとめて、僕は木箱のところへ下りてきた。だがそこに、やはりトントンはいなかった。皿をその場に置いて、僕は外に出た。
堤に上って、川伝いに歩いてゆくと、その大きな岩に出る。だいたいその岩は、どうだろう、堤と同じくらいの高さがあるだろうか。堤からそこまでは、また別のやや小さな岩を伝っていくことで、流れに濡れなくても辿り着くことができる。
そこに釣り人と、そして、小さな黒猫は座っていた。
辺りはすっかり暗くなり、宵闇の紫が川面を伝っていた。黒いトントンはもちろん、釣り人の方も、濃いカーキ色のつば広の帽子とマントのせいで、このまま川の中に消えてしまっても、何の不自然もないような風貌だった。
釣竿は、ごく普通の細竹の葉を払って先に糸をくくりつけただけで、釣り道具も日進月歩のいまどき、これでいったいどんな魚が釣れるのかという代物だ。しかも、魚篭がない。釣ったらすぐ逃がす主義なのだろうか。
僕が後方からその岩に登っていくと、釣り人の竿を握る手元がぴくりと動いた。そして、振り向きもせずに話しかけてきた。
「その猫は……あなたの猫ですか」
暗いが、よく通る声だった。帽子からはみ出す、ぼさぼさの長い黒髪が、川風にわずかに揺れる。帽子を目深にかぶっているので、顔は見えないが、わずかに見える横顔も、髭がぼうぼうだ。
「先ほどから待ってくれてますが……釣れるまでにはもうしばらくかかります。今夜は、もうお帰りなさい」
僕の答えを待たず、もしゃもしゃと髭が動いて、言葉を発した。拒絶にしては、奇妙な言葉だ。思わず、僕は訊いてしまった。
「何を、釣ってらっしゃるんですか」
「……知りたいですか」
「はぁ」
「鯉です。とても、大きな」
釣り人は、じっと動かなかった。おそらく、目は、浮きだけを見つめているのだろう。やはり髭だけが動いていた。
「川のヌシ、って奴ですか」
「ヌシ……川のヌシねぇ……は、は、は」
釣り人は、初めて、肩を揺らして笑った。
「川のヌシかぁ……面白いことを言いますね、あなたは」
何が面白かったんだろう。
「まぁ、そんなもんですよ。いずれ釣れます。明日あたり、きっと生きのいいのがかかります。……でも、今夜は、もうお帰りなさい。……ね?」
言いながら、釣り人は、やたらに指の太い、しわの浮いて見えるごつい手で、トントンの頭を撫でた。言っていることが伝わったのか、トントンは川に尾を向けて、僕の体を駆け上って腕の中に収まった。
それきり釣り人は何も言わなかった。話しかけることばをしばらく探してみたが、見当たらなかったので、僕もその場は引き下がることにした。
夜。僕はふっと目を覚ました。なぜ目を覚ましてしまったのかはすぐ解った。猛烈な雨が屋根を貫かんばかりに、ど、ど、どと叩いていたのだ。寝る頃にはもうぱらぱらと降り始めていたが、こんなにひどくなるとは思わなかった。
外も騒がしく、夜中なのに明るかった。窓を開けると、通りと川べりを、慌ただしくランプが行き来していた。ランプの多く集まる場所では、港への扉を閉め、砂嚢をあちらこちらうず高く積んでいた。だが、見る限りでは、堤防の高さにはまだだいぶ余裕がある。増水はこれからだろうが、雨が止んでくれれば、決壊がない限りはなんとか保つだろう。
「お客さぁん、すんませんがぁ」
僕が部屋の明かりをつけると、起きたのに気づいたらしく、宿のおじいさんの間延びした、けれど最大限引き縮めた、あわを食った声が階下から聞こえた。
「この荷物二階上げるの、手伝ってはもらえませんかのぉ」
四の五のいう場合でもない。
僕は箪笥だの衣装箱だの、水に浸かると困るものを次から次へと二階に運んだ。何せ僕しか泊まっていなかったから、おじいさんの力で動かせないものはみな僕がやらねばならなかった。古い本が物置にしまってあったりして量は結構多く、しまいには僕の泊まり部屋までが半分かた占拠された。
すべてが終わったときにはもう、空は雲を通してやんわり明るくなり、平地ならとうに朝の時間になっていた。へとへとだったが、寝直すこともできなかったし、どたばたのせいで朝食もまだ当分先だと言われた。冷や飯のおにぎりふたつとおしんこだけが出て、しかたないので僕はそれをもぐもぐやりながら玄関先に出た。雨はまだ降り続いていたが、だいぶ弱まっていた。いま大丈夫なら、もう川が溢れる心配はないし溢れても被害は少なくて済むだろう。そう思った。
安心して、おにぎりの残りひとつを半分に分けた。半分を僕は口の中に放り込んだ。もう半分を、……木箱の中にトントンはいなかった。
どこにいったかと頭をめぐらせて、はっと思い当たった。あの釣り人のところへいったんじゃないだろうか。
冗談じゃないぞ。彼のいた岩は、堤防の向こう側だ。昨日見た川への突き出し方から察するに、いまあの岩の真上、彼の座っていた部分は、ちょうど増水した川の流れの中に孤立している。
僕は疲れも忘れて宿を飛び出した。
どぉう。ぼぉう。るううううううううう。
死者の魂が、怒りにまかせて行進しているかのような、激しい泥流。いや……この中のどこかに、上流の集落の誰かの魂が、いくつも浮き沈みしているのは間違いない。それを安全な堤の上から眺めるのは、いささか気分が悪い。
だからといって、……。
トントンは無事だった。堤の上で、あおー、あおーと叫んでいた。呼んでいた。完全に孤立した岩の上で、泥飛沫を浴びながら未だなお釣り糸を垂れ続けるあの釣り人を!
「おじさぁん! 危ないよぉ!」
思わず叫んだが、僕らと彼の間には渦巻く泥流があった。水位は堤防ぎりぎりの高さまで達しており、手を伸ばせばしぶく川波に手が届きそうなほどだった。この状況では、今さら助けに行けるはずもなく、また彼が戻ってくることもできなかった。このまま水が引くのを待つしかないのか。長い綱とか、棒とかあれば、届くかもしれない?
周りを見渡したがそんなものはない。そうだ、ここは山が近い、竹林でもあれば、……そう思って視線を上げたとき、はるか川上の山の頂に、のろしが上がるのが見えた。何の合図なんだろう。
途端に川下で大声が挙がった。
「山津波だ! 山津波が来るぞ!」
「……業中止! 作業……即刻避……」
叫ぶ人が顔の向きを変えるたびに、まだ不気味にとどろく風の中で、言葉は断片となって伝わってきた。
僕は愕然とした。今の水量に山津波がかぶさったら、あの岩の上などひとたまりもない。
急がなくては。竹、竹、竹。あった。竹林ではなくて、近くの畑に、きゅうりの棚でも作るためにか、切り取られてきたものが捨て置かれたように転がっていた。あまり太くはないが、傷はなく、しなやかで丈夫な竹の良さはそのままだ。
長さは足りるか。そして、もしこの竹に釣り人が捕まったとき、その重さと激流の勢いに僕の腕が耐えられるか。あまり考えていなかった。
竹を岩に向けて突き出す。
「おじさぁん! これに掴まってぇ!」
釣り人に反応はない。聞こえていないのだろうか? ……聞こえていないのだろう。こんなになってまで釣りを続けるというのは、もう、正気の沙汰じゃない。いったい何のつもりなんだ。そう、彼が助かりたいという意志を一片でも持っているのなら、彼はその釣り竿をこちらに向けて突き出せばいい。
竹の先を濁流につけてしまった。流されて、危うく逆巻く泥の中に転ぶところだった。慌てて引き上げる。先に大物でもぶら下がっているような重さ、だが、何もない。
川上をふっと見る。何か白いものが踊っていた。来る。山が崩れて川に落ち込み、急激に増水して起こった波の、先端だ。
「おじさぁん!」
釣り人はぴくりとも動かない。
暗濁色の泥の津波は、谷間を埋め尽くし、岸の木々をその中に巻き込みながら押し寄せてくる。今の僕のいる場所とは、水位がはっきり違っているのが見て取れた。
ため息も出なかった。もう、間に合わない。もう、どうしようもない。この優しさすら垣間みえる堤には、大岩を丸ごと大木を根こそぎ巻き込んだあの獰猛な泥水から、町を守ることなどできはしない。この町自体が、今や風前の灯火にあるのだ。
僕は竹を取り落とした。泥流の中に転がり落ちて、そのまま川下へまっすぐに消えていった。トントンが僕の体をかけ登る。僕は堤の上でトントンを抱きながら呆然と、見る見るうちにかさを増していく泥流を見つめていた。
自然と恐怖はわかなかった。完全にそんなものを超越していた。こんなとき人はどういう顔をしたらいいのだろう。背後では、町の人たちが山へ山へと逃げていた。挙がる悲鳴や怒声が谷間に反響して、その泥の魔物を追い返したいというはかない希望のドームを形成していた。多分、どの人も、間に合いはしないだろうし、間に合ったところで、命以外のすべてを失うことになるのだ。
と、突然、釣り人が立ち上がった。そしてゆうべ見たときの、あの落ち着いた雰囲気からは、想像もつかない荒々しい声で叫んだ。
「来た! 来た! 来たぞぉ!」
竿の先に、アタリが来ている。何かが糸を引いている。死の淵としか見えぬ、この濁った川の中に、餌を求めて泳ぐ魚がいた……?
水が迫ってくる。
そして釣り人の竿がしなる。きりきりと、音が聞こえそうなほどに。
マントの裾がまくれ上がって釣り人の腕が見えた。思いがけなく肉のついた、血管が浮き出て見えるほどのごつい腕だった。
竿を引き、戻すたびに頭が大きく揺れる。褐色の大振りの帽子が、とうとう頭から脱げて空へ舞い上がり、やがてぽとりと川面に落ちて泥の中に消えていった。竿の根元をベルトに押さえつけ、必死に髪を振り乱して、背を反らせる釣り人。
僕の足元を泥水がよぎった。そう、この辺りは、岩が多い場所だった。水はよそへよそへと流れようとする場所だ。水にとっては、ただ低い場所へ行ければ、それが堤の内側か外側かなどどうでもいいことだ―――今まさに、僕の足元から堤防の決壊が始まったのだ。
いったん始まってしまえばあっという間だ。たちまち泥水が堤の中へ流れ込んでいく、わ、わ、僕の足も水に飲まれた。転ぶ、転ぶ、……。
「えぃやあああああぁ!」
足を取られて堤の内側に転がり落ちる瞬間、気合一声、一気に竿を引いて、巨大な鯉を釣り上げる釣り人の姿が、僕の目に映った。
怪我はなかった。
子供の頃、すべり台を、仰向けに寝ながら後ろ向きに滑り下りることができるか、などという、年齢にふさわしい勇気試しの儀式をした記憶がある。泥のおかげで、僕は転がり落ちたというより、その儀式のように堤の坂を滑り下りただけで済んだ。
そう、泥だ。僕の後頭部も、服の背も、お尻も、泥でべたべただ。服の中にしみこんで、気持ちが悪い。……僕の周囲は泥だらけだ。体を起こしてみると、さっきまで僕が立っていたところは、確かに落ちくぼんで、泥水の流れ込んだ傷跡が生々しく残っていた。堤防は、確かに決壊したんだ。しかし。
僕は立ち上がり、堤を駈け上った。
水は澄み渡っていた。
この町にやってきたときのように、豊かな水が穏やかに流れていた。赤子を育み、子守歌を歌う母の優しさが、水面に垣間見えた。空は雲が切れ、谷間の短い朝日が静かに差し込んでいた。
僕は泥で汚れている。さっきの、夜叉のごとき濁流は何だったのだ。
「はははははは。やった、やったぁ」
呟くような笑い声が、僕の耳にようやく入ってきた。釣り人だった。岩の上に座りこんで、トントンが自分の体よりはるかに大きな鯉と格闘するのを微笑みながら眺めていた。トントンはいつの間にやら大岩の上にいて、鯉のえら口をくわえたかと思うと尾ひれに殴られて放してしまう、そんなことを繰り返していた。
僕も岩によじ登ってみた。そして釣り人の向かいに座り込んだ。巨大な鯉はようやく弱って、トントンのおもちゃになっていた。柔らかな腹部をぺんぺんと叩いては、それに反応してひれをばたばたふるわせるさまを面白そうに眺めていた。
「その鯉は差し上げますよ。洗いにでもして下さい」
釣り人は、入れ替わりに岩を下りていこうとした。
「とびきり生きのいい奴でしたから、食べたら精がつくと思いますよ」
「あなたは……?」
「ここで釣りたいものは釣ってしまいました。また別の川へ行って、別の大物を釣り上げるつもりです」
ぼさぼさの髪とカーキ色のマントが岩を下り、川を渡っていく。彼は岩を渡らず、川の流れに踏み込んで、じゃぶじゃぶと水を蹴立てて進んだ。その足元を、優しい流れと小魚がからみつきまた離れていく。
僕は、その背中を呆然と見送った。二度とその姿を見ることはなかった。
町はさほどの騒ぎにはならなかった。みんな逃げるのに精いっぱいで、川の方を見やる余裕がなかったらしく、どんな山津波が来たのか誰にも解らなかったのだ。僕が伝えるまで、堤が切れたことにも気づかなかったくらいだ。大騒ぎをしたわりには、大したことのない山津波だったなと、町の人たちはなぜだか不服を並べていた。
その夜の食卓は、宿のおばあさんの心尽くしの鯉料理で埋められた。トントンもあらなどご相伴にあずかりご満悦だった。鯉の身はよく締まっていておいしく、食べれば食べるだけ力がわいてくるように思えた。
翌々日、泥まみれの服をすっかりきれいに洗って乾かしてから、僕はその町を去ることにした。堤の上を、トントンを抱き締めながら歩いた。しかし、味をしめたかと思われたトントンは、その町を通り抜ける間は、魚篭に魚がたくさん詰まった釣り人のそばを通りかかっても、じっとおとなしくしていた。
と……流れに沿って、町を抜けてまた山道に入ろうかという頃、トントンが突然、にゃっと一声鳴いて腕を逃れると、堤を下り、岸辺に降り立った。追いかけていくと、トントンが行った先の岩と岩の間に、かの釣り人の帽子が引っかかっていた。水がすっかり引いたせいかそれは流れには浸かっておらず、僕の服同様二日間のあたたかい日差しですっかり乾いていた。
僕はそれを手に取った。軽くはたいてみると乾いた泥が砂煙になって飛び散った。だいぶはたいて多少きれいになったところで、ひょいと頭にかぶってみた。僕の頭の大きさには合わなくて、ぶかぶかだった。だから脱ごうとしたら、トントンが僕の体を駆け上がってその帽子の上に座り込み、脱がせてくれないのだった。しかたがないので、僕はしばらくその泥臭い帽子をかぶったままで旅をした。
帽子は、泥の臭いと水の臭いと魚の臭いを辺りに漂わせ、トントンをいつまでも僕の頭の上から離さなかった。
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