第47話 ~フィオナの修行〜


 ユリウスたちが王都で世話になった知り合いに挨拶に行き、ルシオラとシャウアは王都での新生活の準備を進めている間、フィオナは冒険者ギルドのサムライの職業訓練に通っていた。


 冒険者実技試験は無事合格出来たものの、本人としては決して満足のいく結果ではなかった。


 【SSS+】判定のメナスはもちろん、【D-】のシンや試験官のルシオラにまで助けられてばかりで、彼女なりに自分の未熟さを痛感したのだ。


 やっと倒した【腐肉喰らいスカベンジャー】や【ジャイアント・グラストード】も、サムライの師範だったダンに貰ったカタナが無かったら、どうなっていたか分からない。


 これから始まる冒険者生活の中で、フィオナは大好きなシンやメナス、そしてルシオラたちのお荷物になるのは嫌なのだ。

 だから彼女は、自分から一週間の職業研修を申し出たのだった。


 そこは王都の東側にある、大きな湖のほとりにある大きな屋敷だった。


 ヴェルトラウム大陸の中央を南北に走り、人の勢力圏を事実上東西に分断しているザントシュタイン山脈。

ツェントルム王国の首都、王都ミッテ・ツェントルムは、その西側中央付近の山の麓に位置していた。


 中央には高い城壁に囲まれた王城がそびえ、その東側には山脈の雪解け水が流れ込んで出来た大きな湖が広がっている。

 それらを『C』の字型に包むように城下の街並みが広がっている。

 その城下町の外周を馬蹄形にぐるりと城壁が囲んでおり、その両端は岩山まで繋がっていた。


 湖のほとりは、王都で言う所の一等地だ。 

誰でも住める場所ではない。

中央の王城を境に北側に貴族の屋敷や別荘が並び、南側には大商人や成功した冒険者などが屋敷を構えていた。


 ここは侍の師範、ダン・アウゲンブリックの自宅兼道場なのだ。


「来たのか……」

「はいっ師匠っ! お世話になりますっ!」


 玄関まで出迎えたダンに、フィオナは元気よく挨拶した。


 ダンは現役の冒険者だが、同時にギルドの師範の仕事も請け負っている初老の男性だった。 なんと【Sクラス】のベテラン冒険者だと言う。

 痩せ型で長身、長い髪を頭の後ろで束ねている、無口で無愛想な男だった。


 彼は高齢のため、今ではもうほとんど冒険に出る事は無かった。 では何故まだ現役として籍を残しているのか……? 実は【Sクラス】以上の冒険者は、王都のギルドにも現在10人と在籍していないのだ。

 それはつまり、彼もまたギルドマスターに匹敵する恐ろしい手練れだという事である。

 つい先日も【S-クラス】の冒険者が一人、死んだばかりだった。

 彼が現役でいるだけで、ギルドの冒険者全体のランクが上がり、層が厚くなると言うわけなのだ。


 ダンは引退したくてもギルドがさせてくれないと、家族や弟子たちによくボヤいていた。


 その数時間後、フィオナはダンの屋敷の道場で座禅を組んで『瞑想』していた。


 彼女が特に鍛えたい部分に、精神メンタルの問題があった。

 それには『瞑想』はうってつけの修行だった。


 一番の目的は『集中力』を高める事だが、己の内面を知り感情の抑制を覚える事で、人間として成長する事も出来ると言う。

 さらに極めれば『神さま』に触れる事さえ可能だと言うが、そこまでいくと流石にフィオナには眉唾な話に思えた。


「いたたたたっ… 足が痺れてもうダメ……」


 1時間くらいそうしていただろうか、突然フィオナが足を崩して寝転がった。


 ダンが口を開こうとした瞬間、タイミングよく彼の奥方がお茶と茶菓子を持って道場に入ってきた。


「そろそろ休憩の頃かと思ってね……」


 品のいい白髪のその女性は、60代のようにも40代のようにも見える不思議な雰囲気を纏っていて、フィオナはじっとその顔に見入ってしまった。


「わたしの顔に何か付いていますか?」

「あっ ごめんなさいっ すっごく上品って言うか…… 不思議なオーラって言うか……」

「変わってるわよね? 無理に言葉を飾らなくていいのよ…… 私はね、遠い東の島国の出身なの」

「えっ…… それって、もしかしてサムライのっ⁈」


 奥方は微笑みながら小さく頷いた。


「え〜〜っ すご〜い! 師匠やるじゃん!」


 何がやるのかは不明だが、彼女の言葉に不快な印象は受けなかった。

 ダンは軽く咳払いをして奥方に促した。


「もういいだろう…… それを置いてさっさと行きなさい」


「え〜〜っ わたし奥さんに東の国の話聞いてみたい!」

「今は修行中だ……」

「そうね、また今度ゆっくりね…… いつでも遊びにいらっしゃい。 この人もきっと喜ぶから」

「おいお前、何を勝手に……!」


 フィオナは、きょとんとしてダンの顔を見た。


「この人ったらね、あなたが来るって言うから、今朝からずっとそわそわして玄関の前を何度も何度も行ったり来たり……」

「おいっ‼︎」


 それはフィオナの知るダンからは想像も出来ない姿だった。


「どんなお弟子さんが来るのかと思ったら…… なんて可愛らしいお嬢さん!」

「えへへ〜 ありがとうございます〜!」


 フィオナは、大輪のヒマワリのような笑顔を見せた。



 研修の最後の日…… 志願者研修の最終日と同じように、やはり木刀を持って師範のダンと試合をする事になった。

 前回の試合では全く歯が立たず、軽〜くあしらわれてしまった。

 師範の繰り出す剣は全く見えず、フィオナは何度も木刀を叩き落とされてしまったのだ。


 道場の木の床に裸足で立ち、木刀を持って向かい合うと深く一礼をした。

 剣を両手で正面に構えてもう一度軽く礼をする。


 屋敷の前に広がる湖面の様な、波ひとつ…… 風ひとつない、しばしの静寂……


 先に動いたのはフィオナだった。

細かい突きや籠手を狙い、立ち止まる事なく隙の小さい剣撃を浴びせ続ける。

 技術に劣る分、手数で攻めて息つく間を与えない作戦だ。

 一週間前と何が変わったでもない、変わったとすれば気持ちだけだ。


 みんなのお荷物になりたくない……

いつまでもシンと一緒にいたい……

その気持ちだけでフィオナは懸命に剣を振るっていた。 そしてそれは、剣を受けるダンにも伝わっていた。


 ダンは彼女の剣をひとつひとつ丁寧に受け、あるべき形に導くように捌いてやった。

正しい場所、正しい呼吸、正しいタイミングを『言葉』ではなく『剣』で伝えてやるために。


 だから彼は無口なのだろう…… ダンは『言葉』を軽薄な物だと考えていた。 

 これは、彼とその小さい弟子との饒舌じょうぜつな会話なのだった。


 湖畔の屋敷の広い道場に、木刀と木刀がぶつかり合う乾いた音だけが響いていた。


 ダンが大上段から大きく踏み込んで放った攻撃をフィオナが後ろに跳んでかわした時、大きく間合いが開いた。


 ダンは汗ひとつかかず呼吸も乱れていなかったが、フィオナは額に珠のような汗が浮かび肩で息をしていた。


 そろそろ決着の時が近付いている…… ダンはそう思った。


 その時フィオナが何を思ったか…… 右手一本で持った剣を背中に隠し、左の手の平を真っ直ぐと前に突き出したのだ。

(その構えは……)


 ダンは一瞬落胆しかけたが、思い直してその決意を正面から受け止めてやる事にした。


 どれくらいの時間が経ったろう…… 3分…… 5分…… もしかしたら、5秒くらいしか経っていなかったかも知れない。


「いやぁぁぁ〜〜〜っっ‼︎」


 突然フィオナが気合と共に踏み込んできた。 姿勢を低くし滑るように走ってくる。


 初老の侍は木刀を水平に構えて剣撃に備えた。


 そのまま右手を袈裟斬りに振り降ろすと見えた瞬間、凄まじい速度で下から左手で斬り上げてきた。


(やはりか……!)


 ダンはそれを剣先で冷静に受け止め、巻き取るように手首を返してフィオナの木刀を宙に跳ね上げた。


カァァァーン…ッ!


 道場の床に木刀が落ちて、乾いた音を立てる。


「あぁっ…… やっぱダメかぁ〜っ‼︎」


 フィオナが悲鳴のような声を上げる。

しかし、師範の言葉は意外な物だった。


「見事だ……」

「えっ?」


「今のは、エルツの奥義【月牙朧月げっがろうげつ】だな」

「なぁ〜んだ、知ってたのぉ〜? まぁギルドの師範なんだから当たり前かぁ〜……」


 当たり前ではなかった。

実は… ダンとエルツは現役時代、同じパーティーの仲間同士だったのだ。


「見よう見真似で放ったにしては上出来だ…… 知らなかったら、俺でも躱せなかったかも知れん」

「ほんとっ……⁈」


 よほど悔しかったのか、初老の侍はそのまま押し黙って道場を出て行ってしまった。


 やがてフィオナが、ひとりでしょんぼりと帰り支度を終えた頃に、ダンが葛籠つづらを抱えて戻ってきた。

 フィオナがきょとんとした顔で見ていると彼女の足元にそれを置いて言った。


「これをやる。 開けてみろ」


 おそるおそる蓋を外してみると、中には和紙で包まれた風変わりな赤い鎧が入っていた。

 革と金属片を組み合わせ、美しい組紐で縫い合わされた美術品のような見事な鎧で、籠手も脛当ても兜まで揃っていた。


 フィオナは驚いて声も出ず、黙ったまま師匠の顔を見上げた。


「俺が若い頃使っていた鎧のひとつだ…… 東方の国の、本物の侍の鎧だ」


「師匠ぉ…… わたし…… こんなのもらえません……」

「気に入らんか? 朱色が映えてお前に似合うと思ったんだが」


 フィオナは、ただただ首を横に振っていた。


「どうせ俺はもう着れん…… 若い奴に使ってもらうのがそいつの為だと思ったんだがなぁ……」


「いいんですか…… ほんとうに……?」


 口ではそう言いながら、フィオナはその鎧をしっかり胸に抱きしめていた。

ダンはそれを見て満足げに頷いた。


「またいつでも来い…… 相手してやる」


 そう言うと彼は背を向け、道場を出て行こうとする。


フィオナはその背中に深々と頭を下げた。


「師匠っ! ありがとうございましたっ‼︎」


 すると彼は、思い出したように振り向いて付け加えた。


「そうだ…… 胸当て・・・だけは、防具屋のブライにでも言って直して貰えよ……」


「もうっ 師匠のえっち!」


 ダンは、その返事に面食らった。 彼としてはいたって大真面目だったのだ。

 自室に戻る縁側の廊下を歩きながら、彼は珍しく薄い笑みを浮かべていた。


 そしてザントシュタイン山脈に夕陽が傾く頃、フィオナは葛籠を抱えて宿屋への帰路についていた。


 ニマニマと笑みを浮かべながら大事そうに大きな葛籠を抱えて歩く姿は、まるで誕生プレゼントをもらった子供のようだった。

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