第40話 〜古き者の目覚め〜


 ルシオラとシャウアが泣き止んで落ち着くまで、少しばかりの時間が必要だった。

 ユリウスとメナスは、それを静かに待っていた。


 ようやくルシオラがシャウアが裸なのを思い出した頃、メナスは再び【異空間収納アンテラウム】で黒い小窓から外套を取り出してルシオラに手渡した。


 それをルシオラに着せてもらい身を起こしたシャウアは、その時やっとふたりに気が付いた。


「あなた… たち… は…?」


 まだ蘇生したばかりで暗闇でよく見えず、声もしわがれて片言だった。

 しかし、それもすぐに回復するだろう。


「この方たちは… この方は、賢者ユリウス様よ」

「えっ⁈ ユリウス… さま…⁈」


 ルシオラは、ここに至るまでの顛末を、例の件・・・をぼかして上手く説明した。


「あなたは失踪した賢者さま達を捜索する【クエスト】に参加中、命に関わる大怪我を負ってしまったの… それは… 覚えてる…?」


 ルシオラがおそるおそる尋ねる。


「ううん… 分からない…わ 捜索に参加したいと思っていたのは、もちろん覚えているけど…… おかしいわ… 出発した記憶すらないの……」

「いいのよ… いいの… 大怪我をした時にはよくある事なんだから…」


 ルシオラもユリウスも、内心ほっと胸を撫で下ろしていた。

 ここから先は、ユリウスが提案した作り話をしなければならないが…


「それでね、その時にユリウス様が現れて、一時的にあなたの【時間】を止めてくれたの」

「じ… 時間… を…?」

「そう、それで7年かけてあなたの治療法を探し出して、今日やっとあなたを完治させる事が出来たのよ!」

「そんな… コトが… 7年も……?」

「だから私… 23歳になってしまったわ…」


ルシオラは少しだけ哀しげに微笑んだ。


「ルシオラが23歳⁈ 私は14歳のまま… それって、なんだか… とっても変なの……」


 ルシオラとシャウアは顔を見合わせてくすくすと笑った。

その姿は本当に仲の良い姉妹のようだった。


 シャウアはだいぶ身体に自由が戻ったのか、ユリウスの方を向いて深々と頭を下げた。


「賢者ユリウスさま… 私のようなもののために、このような秘術を… それも7年もの時間をかけて… なんとお礼を言っていいのか見当もつきません…!」

「いや、礼を言わなければならないのは私の方だ… 私… 私たちのために、多くの者が多くの時間をかけて捜索に手を煩わされたと聞いている… 本当に申し訳なかった」

「いえ… そんな… それで… それでは帰ってきて下さったのですね…」


 ユリウスの胸にチクリと棘が刺さる。


「いや… それは……」


 彼が言葉を詰まらせていると、ルシオラがシャウアに「あとで説明するから」と耳打ちしてくれた。


「さあ、そろそろ帰るとするか──」


ユリウスが言いかけたその時だった。


(マスター、何か来ます!)


 メナスが【念話テレパシー】で警告を発した。


ズン… ズズン… ズン… ズズン…


 確かに洞窟の奥から、巨大な何かがこちらに向かってくる気配があった。


 どうやら洞窟内の魔素マナの異変に気付いたらしい。


 このまま【転移門ゲート】に急いで入る事も出来そうだが……


 ユリウスはルシオラの表情を伺った。

彼女の瞳が「正体を確かめるべきです」と告げていた。


 例の異変の真相に迫りたいと言う強い意思の表れだろう… しかしそれは危険な好奇心かも知れなかった…


 ユリウスはふたりに背を向け語りかけた。


「そこから一歩も動くんじゃない… そこは安全だ」


そしてそのまま何歩か足を進める


ズズン… ズン… ズズン… ズン…


 地響きのような音はどんどん大きくなってこちらの方に近付いてくる。


死の谷の洞窟トートタール・ダンジョン】の深奥は、太古の【ドワーフの大洞窟グレート・ダンジョン】に繋がっていると言う伝承がある…

 それ故に古代遺跡に強い関心のあった賢人、錬金術師のミュラーを捜索するための【クエスト】が古代遺跡などを中心に募られたと言う経緯があったのだ…


 もっともその【クエスト】は遺跡そのものの探索と言うより、ミュラーが立ち寄った痕跡の捜索に限られたものであったが…



 それはまさしく、深奥で眠っていたこの迷宮の主人ぬしだった…

【賢者の石】が集めた膨大な魔素マナにつられて実に数十年ぶりに目を覚ましたのだった…


ズン… ズズン… ズン…


 それは躊躇ためらうことなく真っ直ぐこちらに向かっていた。

自分の存在を隠すつもりもない…

『彼』は自分が最強だと知っているのだ…

獲物が逃げても走って追いつく自信があるし、例えこの洞窟を逃げ出たとしても『彼』には翼があるのだ。


 それは絶対的強者の余裕だった。


ズズン… ズズン… ズズン…


 それがいま洞窟の曲がり角、20mほど先の所に姿を現した。


 ルシオラは息を飲んだ。


 全高4m、体長12mはあろうかと言う巨大な威容…

 全身を漆黒の鱗で覆われ、鉤爪のある4本の足、左右三対ずつ6本の角のある頭と長い首、燃えるような赤い瞳、太く長い尾に巨大な翼…


 それは【古黒竜エンシェント・ブラック・ドラゴン】だった。


【竜】は言うまでもなく、世界最強種族の一角だ。

 その中でも長く生きたものは、人語を解し高位の呪文を操る【古竜エンシェント】と呼ばれ怖れられ、または敬われていた。


【竜】は一般に『金属光沢』を持つものが善竜… それ以外のものが悪竜とされているが、そんなカテゴリーがなくても【黒竜】は破壊と混沌の化身として怖れられただろう…


 それほどまでに過去歴史に姿を現した【黒竜】たちの伝承は、破壊と災厄に地塗れていたのだ…


 そしてそれは『彼』をして例外ではなかった…


 彼の名は【漆黒の暴竜ルイン】… 700年の時を生きた伝説の古竜だった。

 王都の図書館を探せば、必ず彼の名を見つける事が出来るだろう。

痛ましい災害の記憶と共に。


 『彼』は視界に入った四つの人影を静かに見下ろした。


 人間… こいつらが、あの高密度の魔素マナの集中を引き起こしたのか…

何故…? どうやって…?

 その時『彼』は、メナスの持つ『それ』に気が付いた。


 あれだ… あれが、あれ程の魔素マナをこの場所に集めた【魔導器】だ…‼︎

 そしてそれを持っている奴も… おそらくは【魔導器】の一種だ… 人の形をしてはいるが…


 欲しい…‼︎


【竜】としての本能が、どうしようもなく『彼』に希少な『財宝』を求めさせるのだ。


(メナスは手を出すな。 お前の動きで正体がバレるかも知れん)

(了解でーす)

(まさか本当に古竜が出るとはな…… これが言霊ことだまと言う奴か……)


 ユリウスは更に一歩だけ前に出て、竜に向かって片手をかざした。


 もし人語を解するなら、交渉で戦闘が避けられるかもしれない。


(竜よ… 貴方は歳を重ねた古く賢い偉大な竜と見受ける。 知らぬ事とは言え、貴方の領域を侵した非礼は詫びる。 我々はもうここを立ち去る。 これ以上お手を煩わせたくはない。 貴方もそのまま玉座へと戻ってはもらえないだろうか…?)


 竜からの返答はなかった。

しかしこれほどの竜だ… 人語を解さない筈はない。


(重ねて問う… 竜よ──)

『それは何だ… 人間よ…?』


 それは地の底から響いてくるような低く冷たい声だった。


 竜の冷たく赤い瞳はメナスの持つ【賢者の石】に向けられていた。


『本来我は貴様らのような下等な種族とは口を利かん… しかし、その高密度の魔素マナを秘めた魔導器に免じて言葉を話す事を許可してやる…』


『それは何だ? 説明して我に献上せよ』


(そうか… これを渡す事は残念ながら出来ない… もし渡さなければどうする…?)


 700年の時を生きた伝説の古竜は、巨大な翼を揺らし愉快そうにわらった。


『どちらにせよ同じ事だ… それが何か説明し大人しく献上すれば、その時間は生かして置いてやろう… 渡さなければ全員殺してから奪う… それだけの事』


(そうか… 古く美しい竜なのに… とても残念だ…)

『ふん… 世辞で命乞いしようなどと──』


 ユリウスは片手をかざして呟いた。


(【重力の渦グラヴィティ・ヴォルテクス】!)


 すると突然、黒竜の巨大な姿がまるで最初から折り紙だったかのようにくしゃりと潰れた。


それで終わりだった。


 断末魔の悲鳴すらなかった。

700年の時を生きた悠久の古竜の… それが最後だった。

 体高4m全長12mはあろうかと言う巨体は、一瞬にして直径2mくらいのただの黒い球になっていたのだ。


(脆いな… もっと高い魔法耐性を持っているかと思ったが… これなら【重力の中心グラヴィティ・ハート】で充分だったか…)


 ルシオラは呆気に取られ言葉を発する事が出来なかった。


 人語を解する竜など遭遇するのは初めてだ。 いや、竜自体が初めてだが…


 それがどれだけ恐ろしい存在か、ギルド職員として… 冒険者として、知識としては知り過ぎるほどに熟知していた。


 それが今あっさりと紙切れのように畳まれてしまったのだ…

 しかも、まるでトーストでも焼くかのような気軽さで…


 一応この世界では、習得難度や消費する魔素マナの量などに応じて『呪文』にもランク分けがなされていた。

 実際、冒険者ギルドが把握しているのは7ランクまでで、そこから上は伝説や神話の領域なのだ。


 ちなみに【重力の中心グラヴィティ・ハート】は、第9ランクに…

重力の渦グラヴィティ・ヴォルテクス】は、第12ランクにそれぞれ相当する。

 いずれも【賢者の石】を得たユリウスが、あの広大な図書館で習得した『太古の禁呪』であった。


(さぁ、帰ろう… ここは帝国領だし… これほどのヌシを排除したら周辺にどんな影響が出るか分からない…)

「は… はい…」


(マスター… ほんとは竜の死骸を持って帰ってフィオナの鎧とか作ってあげたいんじゃない…?)


 メナスがユリウスだけに聞こえるように【念話テレパシー】で呟いた。


(まぁな… でもどこで手に入れたか説明は出来ないだろうし……)


 ユリウスは、ルシオラとシャウアの目の前に彼女の部屋へと続く【転移門ゲート】を開いた。


──────────


 冒険者ギルドにあるルシオラの部屋へ一行は戻ってきた。


 まだ足元がおぼつかないシャウアを、ルシオラがベッドに寝かしつけてやる。


(これからどうするつもりだね…?)


 ユリウスがルシオラに尋ねた。


「はい… とりあえず彼女の籍をどうにかして手に入れて… ギルドか教会に相談するコトになると思いますが……」

(それは難しくはないのかな…?)

「大丈夫だと思います… 記憶喪失の身元不明者が教会で新しく籍を作った事例に関わったコトがありますから…」

(そうか… それなら安心だ。 …あれを)


最後の言葉は傍の従者に向けたものだった。


 小さな人影は腰のポーチから革袋を取り出すとルシオラに手渡した。


「これは……?」

(開けてごらん)


 ルシオラがおそるおそる開くと、中には大金貨と小金貨が合わせて数十枚入っていた。


 現金を渡すのはいやらしい気もするが、人ひとりの命を蘇らせておいて裸で放り出すのは無責任に思えたのだ……


(当座の資金にするといい… それでは私たちはこれで失礼するよ…)


 ユリウスがふたりに背を向け【転移門ゲート】を開こうとしたその時だった。


「待って下さい!」


 ルシオラはユリウスを呼び止めた。

ユリウスが黙って振り向く。


「実は… 私の仲間に、彼女のコトを… シャウアのコトを話してしまいました…」


 ユリウスはゆっくりと体をルシオラの方へ向け直した。


「信頼できる仲間たちです… 彼らにだけは… このコトを話してはいけないでしょうか…?」


 ユリウスはしばらく黙っていた……

本当にどうしていいのか分からなかったのだ。


(私の知らない君の仲間たちの事を… どうして信用出来るだろうか…?)


「私は彼らを信頼しています! 彼らは絶対に約束を破ったりしません! 私を信頼して下さるなら… どうかっ…」


 ユリウスの胸に暖かいものがこみ上げてきた。


 知り合ってたった一週間で何故そこまで言い切れるのだろうか…

 しかし、そう思う自分自身… 知り合ってたった一週間の少女と将来を誓い合ったばかりではなかったか……


「わかった… 貴女を信頼するように、貴女の仲間たちを信頼しよう」

「あ… ありがとうございますっ…」


 ルシオラは深々と頭を下げて肩を震わせていた。


 その時ユリウスは異変に気が付いた。


(マスター、気付きましたか?)

(あぁ… 【侵入感知インベージョン・センス】に反応があったな… しかもお前たちふたりの部屋とオレの部屋、ほぼ同時にだ…)


 片方だけならフィオナがトイレに行ったとも思えるが両方同時となると……


(急いで戻るぞ! 【転移門ゲート】!)


 ユリウスとメナスは、ルシオラとシャウアに軽く会釈をし空間に浮かんだ黒い窓に急いで飛び込んだ。


『砂岩の蹄鉄亭』三階にある廊下に出る。

時間はまだ深夜だ。 人の姿はない。 既に扉は、二つとも閉まっているようだ。 侵入者を迎撃する類の呪文は敢えてかけていない。 それはフィオナにも全て説明しないと危険すぎるからだったが、今はそれすらも悔やまれた。


 フィオナとメナスの部屋の前に立つ。


(マスター、生体反応はありません…)


 扉を開いた。 鍵はかかっていない。

室内は暗く、フィオナの姿はなかった。

 それは分かっていた事なのに、頭から血の気が引いてゆく。


(オレの部屋だ!)


ユリウスは踵を返して隣の部屋へ急いだ。


 やはり鍵のかかっていない扉を開けると、室内はランタンの明かりが灯り、ユリウスの寝台の上に猫のように丸くなっているフィオナの姿があった。

 その体がもぞもぞと動いた。


ユリウスの胸に安堵の感情が広がっていく。


 勢いよく扉を開いたためか、眠っていたフィオナが目を覚ました。


「あ〜 メナスちゃん、シン… どこいってたのよ? ふたりともいないからビックリしちゃった…」

「ごめんごめん… こいつがトイレに付いてきてくれって言うから…」

「フィオナ、気持ちよさそうに寝てたから起こしちゃ悪いかなって…」

「うん、そうだと思ってここで待ってたの… わたし寝ちゃってた?」


 言いながらフィオナは猫のように伸びをした。


「それにしても、鍵の開けっ放しは物騒だぞ」

「でもメナスちゃん、すぐ帰ってくると思って……」

「そうだな… これから気をつけるよ」


 その夜は結局、なし崩し的にユリウスの二人部屋に三人で寝る事になった。


メナスを真ん中に川の字のようになって。

 ちょうどフィオナと出会った日、草原の丘で満天の星空を見上げた夜のように…


 何故だか分からないが、ユリウスの目の端から一筋の涙が流れ落ちた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る