第3話 ~ティターンで朝食を〜


「なんだ、これは…?」


 本来なら妖しげな器具や雑多な紙屑に覆われていたはずの丸テーブルが、いつの間にか綺麗に片付いている。

 清潔な純白のテーブルクロスが敷かれ、料理が盛りつけられたプレートと磁器のカップが白い湯気を上げていた。


「チキンの猟師風カチャトーラとベイクドエッグのチーズトーストですね」

「お前が作ったのか…?」

「逆にボクじゃなきゃ誰が作ったと…?」

「…… そうだな…」

「さぁさ、温かいうちに召し上がれ」

ゴーレムの少女が無表情にのたまう。


 まずはカップを手に取ってみる。

黒い液体がなみなみと注がれていた。

この香りには覚えがある。

確か『珈琲』とか言う飲み物だ。

 庶民が気軽に飲めるようなものでは無いが、王都に行けばどこの喫茶店でも出すくらいには普及している。


 香りは時として様々な記憶を呼び覚ます。

それは二度と会えない懐かしい人の笑顔も。


 ウィリアムは紅茶派だったが、いつだったか良い豆が手に入ったと『珈琲』を淹れてくれた事があった。


 ひとくち含むと芳醇な香りが口内に広がり微かな甘味の後に爽やかな苦味が残った。

おそらくは高級な豆なのだろう… そんな気がした。


「砂糖を使ったのか…?」

「使いましたが?」


「それが、何か?」とでも言いたげに少女が応じる。


「…… うまいな…」

「よかった。 この豆は結構奮発したんですよ」


少女が手を合わせて喜びを表現する。


「ミルクは如何ですか? 昨日買って来たのを保冷装置に入れたばかりですから搾りたての新鮮ですよ?」


「いや、いい…」


「そうですか… 残念です」


「もしやっぱり欲しくなったら言って下さいね」


「いや、いい…」


「搾りたてなのに…?」


 何が彼女にそこまでさせるのか、心底残念そうに少女はむくれた。


 おそるおそる皿に手を伸ばすと、目玉焼きとチーズの載ったパンの切れ端を一口齧ってみる。


「…… うまいな…」

「でしょ? 実は岩塩に秘密があるんです」


 何処から手に入れたのか、新鮮なオリーブオイルと挽きたての胡椒… 数種類の香草で味付けされたチキンもなかなかのものだった。

 彼がすっかり皿を平らげる間、少女は黙ってそれを見守っていた。


「なぁ… メナス…」

「はい、マスター」


「……」


「美味しかったですか、マスター?」

「…… あぁ… 旨かった」

「それは何よりです」


「……」


「なぁ… メナス…」

「はい、マスター」


「俺は… 生きてて… いいのかな…?」

「むしろなんで生きてちゃいけないと思うんですか…?」


A・Iアーティフィシャル・インテリジェンス】の彼女には当然の疑問なのだろう… その瞳には純粋な驚きが含まれていた。


 男の脳裏に、二人の尊敬する師の面影が浮かんで消えた。


「そんなことより何か忘れていませんか?」

「…… なんだろう…?」

「ごちそうさま… は?」


 ずっと遠い目をして、何処か遠い場所に魂を置いてきたような表情をしていた男は、まるで初めて少女の顔を見たように目を瞬かせた。


「ごちそう… さま」


「どういたしまして」


 男の灰色の目の端から、一筋の涙がこぼれ落ちた。


 窓の外から小鳥のさえずりとやわらかい朝の陽射しが差し込んでいた。



───────────



「メナス、髪を切ってくれ」


 その男… ユリウス・ハインリヒ・クラプロスは宣言した。


 ここは人里離れた山奥の中腹にある、彼の隠れ家セーフ・ハウスだった。

 切り立った岩山にここだけ削り取ったように緑の多い平地があって…  実際削り取ったのだが、麓からは丁度死角になる位置に建っている。

 一見二階建ての普通のログハウスのような外見だが、実際は背にした岩山や地下にまで建物が増築されており、さながら大自然の要塞と言った様相を呈していた。

 玄関前に設えた木製のバルコニーに椅子を置いて、そこで眼下に広がる麓の景色を眺めながら髪を切ってもらう事にしたのだ。


 何年振りかで主人が目覚めたせいか、心なしか少女も楽しげに見える。

 いそいそとハサミやカミソリや石鹸などを用意する様子は微笑ましくもあった。


 彼の髪はこの臥せっていた歳月で伸びに伸び、尻のあたりまで届くまでになっていた。

 ヒゲも伸び放題で、もつれた灰色の縮れ毛が木の根のように胸元まで垂れ下がっている。


「なぁ、メナス… オレはどのくらい眠っていたんだ?」


彼には時間の感覚がまだ無かった。


「そうですね…  あの日からざっと、2497日目ですね」


「そんなになるのか…」


 逆に、まだそんなものかと言う思いも無いではない…

 永劫の時の狭間を彷徨っていたような思いもある。


「どうせなら、あと3日は寝てればキリも良かったんですけどね」


 冗談とも本心とも知れない調子で少女が呟いた。


 その時、ふいに少女が何かに気付いたように顔を上げ、眼下に広がる草原の先を目で追った。

それに気付いたユリウスが、少女の美しい横顔を伺う。

その表情は何かを探しているようでもあった。


「どうした、メナス…?」

「……」


「いえ… 唄… が…」

「唄…?」


「はい、時々聞こえるんです… 鼻歌ハミングみたいな唄なんですが……」

「……」


「オレには聞こえないが…」


 もっともメナスは、その気になれば人間の数千倍まで聴力を上げる事が出来た。

麓の村で子供か誰かが歌っていても何も不思議ではないのだが…


「どんな唄なんだ…?」

「はい… 楽しげなメロディなんですが… どこかとても寂しげで… それがなんだか気になって… いつも…」

「いつも同じ唄なのか…?」

「……」


 その後メナスからの返事はついになかった…


 そして思い出したかのように振り返り、手を合わせて明るく花のように微笑んだ。


「すみません、マスター… せっかく沸かしたお湯が冷めてしまいますね!」


「どんな感じにしましょうか? いっそ思い切ってイメチェンしちゃいます?」


「イメチェンて…」


 どこで覚えてくるのやら… 目覚めてから気付いたが成長型A・Iのこの少女は、三賢人にはなかった語彙を着実に増やしているようだった。


 もともと彼は髪型など外見に頓着する性分ではない。

 確か眠りにつく前も適当に切り揃えた髪にヒゲも伸ばし放題だった筈だ。


「そうだなぁ、髪型の事はよくわからん… お前の好きにしていいぞ」


 世界最高水準の【A・I】の少女が選ぶ【イケてる】髪型というモノに、魔道士として純粋な興味もあった。


「そうですかー それじゃあせっかく伸びた事ですし、少し残して後ろでまとめてもいいんじゃないですかねー」


 そう言うと、ゴーレムの少女は何の前触れも躊躇もなくハサミを入れ始めた。


シャキシャキ… シャキシャキ…


 しばらくの間ハサミが髪を切る音だけが岩山に響いた。


 ハサミを置くと、少女は手首に巻いていた紐を外し彼の髪を首の後ろでひとつに束ねた。


「これでよし… いい感じじゃないですか?ボクはいいと思いますけど…」


 手鏡を渡されたが正直彼にはよくわからなかった。


「そうなのか…? うーん…」


「ヒゲを剃ったら実感出来ますよ、きっと」


 そう言いながら少女は、小さな器にハケを使って石鹸の泡を細かく泡立て始めた。


 その時小さなシャボン玉がいくつか生まれ、風に流され山の麓へと消えていった。


彼はそれをいつまでも目で追っていた。


「おヒゲはどうしましょう? 以前のように少し残しますか?」

「いや、いい… 全部剃ってしまってくれ」

(生まれ変わるために…)


そう彼は心の中で呟いた。


「了解しました」


 少女はカミソリの刃を構えると、これも躊躇なく男の首筋に当てがった。


 はたから見ると危なっかしい事この上ない光景だが、超高性能【A・I】の彼女は正確無比な動作で男のヒゲを剃り落としていく。


「できましたよー」


 お湯に浸けてあった温かいタオルが顔に乗せられた。


本当に生き返ったような気持ちになる。


空気も風も気持ちがいい。


 まったく笑ってしまう。

人間と言う奴は。

さっきまでの絶望と虚無感は何だったと言うのか…


何も変わっていないと言うのに…


「うん、悪くない」

「でしょー ボクもいいと思います。もともとマスターは男前なんですから!」


 ヒゲを剃り落としただけで随分若くなったように見える。 実際20代半ばでも通るくらいではないだろうか…?


 彼の灰色の髪と瞳は年齢によるものではなく生来のものだった。

 瑞々しい肌ツヤは魔道の力で実年齢よりも10歳以上彼の容姿を若く見せていた。


 後ろで髪を縛る髪型は一般にはあまり見かけないが、冒険者のようなアウトローな雰囲気もあって意外にも気に入っている自分に苦笑してしまう。


「ところで、マスター…  話は戻りますけど…」

「ん、何だ…?」

「何ですか、さっきのって…?」

「何ださっきのって…?」

「冒険者にオレはなる! とかなんとか…」

「あーあれか… そのままの意味だが?」


しばらく辺りを沈黙が支配した。


「また、ボクが自動人形オートマータだからって馬鹿にして…」

「そんな事はない! 馬鹿になんかしてない」


「マスターは、ヴェルトラウム大陸にその人ありと謳われた三賢人の一人なんですよ! 言わば生きた伝説的な… アレ的な存在なんです!」


「それが何で今さら冒険者なんて…」


 この反応が、彼女が本心から思っているものなのか正直彼にも判断はできなかった。

【A・I】である彼女は、こういうシチュエーションでメイドが主人に言うべきセリフを、膨大なデータから類推して演技する事も出来るからだ。


「メナス… オレはな、三賢人ではない… 天才魔導師ではない普通の冒険者としての人生を一度でいいから味わってみたいんだ…」


「これはオレの… 我儘わがままなんだろうか…?」


「それじゃあ魔法は使わないんですか?」


(そうか、そう言うことになるのか… そこまで考えてなかったな…)

「そうだな… いっそそれもいいかも知れない… この肉体の力だけで何が出来るか試して見るのも…」

「いまそこまで考えてなかったなって言う顔してましたよ」


恐るべし人工知能!!


呆れ顔のまま少女は大きくため息をついた。


「わかりました… その代わりボクもお供させて頂きますからね」

「え? それは…」

「7年も放ったらかしにしといて、またどこかにボクを置いていっちゃうって言うんですか?」

「うぐ… それは…」


痛いところを突かれた。


「泣いちゃいますよ? ていうか普通グレますよ?」


 この反応も本心なのか演技なのか… いずれにせよこんな事を考えている時点で、少女の事を無意識下には【物】だと思っている証拠なのかも知れない…


 彼の胸に罪悪感の棘がチクリと刺さった。


「それにボクは三賢人を守るのが役目なんですからね! マスターは 三賢人最後のおひとり何です! ダメと言われても絶対付いて行きますよ!」


 両手の拳をグーにしてブンブン振り回している様は本当の少女のようにしか見えない。

 この少女が実は人工物で、世界を滅ぼす程の力を持っている…

 我が師匠にして友人たちは、何というモノをこしらえてしまったのか……

 

「わかった、好きにしなさい」

「もちろん好きにします」



 その日のうちに、さっそく二人は旅の準備を始める事にした。

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