第2話 ~脅威と言う名の少女〜
(また… 夜明け… か……)
白濁した意識の片隅でそう彼が思った時、地上階へ続く扉が開いて小さな人影が姿を現した。
そのまま明かりも点けず軽い足取りで階段を降りてくる。
「起きてますかマスター? 朝ですよー」
鈴の音が転がるような澄んだ声音が地下室に反響する。
返事はなかった。
というか今日も返事はなかった。
人影は寝具の傍まで降りてきて少しだけ腰を折って男の様子を伺った。
「今日も生きてるみたいですねー 安心しました」
その人影… 10歳前後のまだあどけない少女は、穏やかにマスターと呼ぶ男の姿を見守っていた。
透き通るような白い肌。
吸い込まれそうな黒い大きな瞳。
小さな鼻はけれども決して低くはなく、少しだけ下唇の厚い小さな唇は上品で全体的に整った顔立ちと言えた。
艶やかなプラチナブロンドの髪を肩の辺りで綺麗に切り揃えている。
すらりとした華奢な手脚の、線の細いどこか儚げな少女だった。
実は少女は人間ではなかった。
【
三賢人は共同研究の始めに、まず『
それは雑談の中から飛び出した他愛のないアイディアが元だった。
しかし完成したゴーレムは冗談のような出自に反して、その完成度は国宝級魔導器の域を軽々と凌駕していた。
本体の素材には【チタニウム】が採用された。
金や白金に匹敵する安定性・耐食性を持ち塩素ガスとも反応しない。
鋼鉄以上の強度を持つが質量はその約半分。
何より美しい銀灰色の光沢を持っている。
これには産出地が近く王都で比較的怪しまれずに入手が容易であるという理由も大きかった。
錬金術師ミュラーは球体関節人形のような素体に無数の【
血液のように体内を
金属部分でさえも
彼女に搭載された【
より人間らしく少女らしい無垢な心と知識を吸収し経験を積み重ね成長するという画期的な学習型の【A・I】は、かつて誰も見たことがないと断言出来る出色の完成度だ。
完成した素体の表面は錬金の技術で人肌そっくりのテクスチャーに覆われていて、その表情すらも変化させる事が出来た。
実験として数人の使用人に対面させて見たが、彼女に違和感を覚えた者はいなかった。
こうして彼女は普通の人間と区別がつかない完璧な人造人間… 【
「外はいい天気ですよー たまには空気を吸いに出てみませんか、マスター?」
少女は寝台の横にある木の椅子にちょこんと小さな尻を乗せて腰掛けた。
男に向かって穏やかに話しかける。
大概は昨夜雨が降ったとか、ニワトリが 3つも玉子を産んだとか、とりとめもなく他愛のない内容だった。
まるで返事をしないどころか聞いている気配すらもない男に向かって話を続ける彼女は、健気なようにも見えたしどこか狂気めいているようでもあった。
少女には、メナスという名前が与えられていた。
チタニウムの産地であるメナス山と彼女が小さな【
こんな姿からは想像も付かないが彼女は恐るべき存在であった。
無限に等しい攻撃力と防御力を持ち、魔法攻撃も物理攻撃も人間の最高術者のそれを凌駕する。 学習能力で成長を続けるし自己修復能力により事実上永遠の命を持っている…
実は、彼女を動かす動力源兼情報処理装置には【賢者の石】そのものが使われているのだ。
まさに小さな【
三賢人は全員一致で彼女の存在を秘匿する事に決めた。
彼女の存在は国家どころかそれこそ世界を転覆させてしまう程の脅威だったのだ。
しかし、それ以上に彼らはこの少女を愛していた。
「そう言えば昨日、天気が良かったので麓の村までパンと牛乳を買いに行ったんですよ。そうそう、それからヤギのチーズも」
表情はそれほど大きく動かないが、どこか楽しそうに見える。
男がこんな状態になっているのをどう思っているのか…
それはその日あったことを一生懸命父親に伝えようとしている幼い娘のような、そんな微笑ましい光景だった。
「そうそう、帰りに村の子供たちが泥だらけで遊んでいましたっけ…」
「確か冒険者ごっことか言いながら…」
「ボクも少し泥をかけられちゃって、スカートの裾をめくり上げてお気に入りの下着を確認してたら男の子たちが目を白黒させて固まっちゃってたんですけど… あれ、なんだったんでしょうね?」
開いてはいるがどこにも焦点の合っていなかった灰色の瞳が、その時少しだけ揺れた。
少女はそれに気付かなかった。
「それじゃあ夕方になったらまた様子を見に来ますねー」
少女は腰を上げるとスカートの裾の形を手で整えた。
その姿はまるで人間の少女そのままだ。
霞がかかったような男の思考に、その時どんな科学反応があったのか。
少年たち… 泥だらけで遊んでいる…
山の端に沈む夕陽… 母親の呼ぶ声…
服を汚して叱られた… パンと牛乳…
冒険者ごっこ…
ヤギのチーズ…
温かいシチューの香り…
冒険者ごっこ…
木の棒を削って自分でこしらえた剣…
気になる女の子に泥団子をぶつけて死ぬほど親父に殴られたな…
冒険者ごっこ…
ニワトリの玉子の目玉焼き…
パンと牛乳…
朝陽に染められるベッドの傍の窓…
母親の呼ぶ声…
膝をついて両手を広げる母親の優しい笑顔…
その胸に全力で飛び込んでいく…
冒険者ごっこ…… 冒険者…
冒険者……?
(そうだった… オレはガキの頃、冒険者になりたかったんだな……)
石の階段を登り扉のドアノブに手をかけたところで、少女は思い出したかのように振り返った。
「そうだ、マスター……」
言葉の続きはそのまま闇へ溶けて、少女の可愛らしい顔が小さく驚きの表情を作る。
仄暗い地下室の底で、実に7年ぶりに男は
立ち上がっていた。
「おはようございます、マスター」
「……」
「メナス… オレは冒険者になるぞ…」
少女は愛らしく小首を傾けると、花のようにニッコリと微笑んだ。
「はいマスター。 さっぱり分かりません」
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