潜む者
20話 変化
「どうかな修道服。変なところない?」
イリスがベッドに腰かけるグランの前でくるりと一回転する。
彼が眠りからまだ完全に覚醒をしていない頭と目とを凝らし、彼女の身に着けている衣服を観察する。
ゆったりとした、くるぶし程まであるローブ。
暗めの青色の布地には何も装飾は施されておらず、だが清らかであり、神に祈りを捧げる為に清貧なものとなっている。
窓から差し込む朝日が彼女とその聖なる服を照らし、神々しさを醸しだす。
だが、長い期間収納に居座っていたせいだろう。
それからは僅かなカビ臭さがし、彼の鼻がヒクヒクと動く。
「大丈夫だ。」
それでも彼女の修道服の着付け自体には違和感が見受けられなかったため、彼がそう口にする。
その言葉を聞き、じゃあ頭巾を、と彼女が膝を付いて目を閉じる。
彼がわかった、と返答してテーブルに置いてある白い頭巾をそっと持ち、その頭に被せる。
そして頭に被せたその布が肩と後ろとに掛かるように伸ばす。
そうして、彼女は美しい修道女となった。
「もう終わった?」
彼女が閉じていた瞼を開けると、彼が視線をすぐさま斜め下に逸らし、
「ああ、いいと思うぞ。」
と一言呟く。
頭巾の下から覗かせる髪は絹糸の如くサラサラと輝いており、それが修道服と相まってまるで天使の羽の様に彼の目に映った。
「それじゃあいってくるね。」
彼女が立ち上がって方向を変え、扉に手を掛ける。
「あ、そうだ。」
ノブに手を掛けたまま顔だけを彼の方へ向ける。
「お昼一緒に食べられそう? 昨日はバタバタして食べれなかったよね。」
「そういえばそうだったな・・・・・・。」
彼自身、昨日は空腹は感じてはいたものの食事をとる時間も、その隙を作ることもできなかった。
魔王の存在。
意思疎通と会話ができると分かってきたものの、彼にとってその存在は以前として異端で強大な存在のままであった。
だが、この先ずっとこのままという訳には行かない。
勿論、この先気を張り続ければならないだろう。
しかし、いくらか肩の力を抜く必要も彼は理解していた。
この先何年共にいるのかも分からない存在である。
だが、慣れてはいけない。
何か怪しい動きをした時は・・・・・・。
「グラン、お昼無理そう?」
その眉が下がり、普段のハリが失せた声で彼女が言う。
その様子に彼が慌てて頭を横に振り上擦る声で、
「いいや、大丈夫だ。」
そう言って顔を緩め歯を見せる。
「それじゃあ、一段落したら教会で待ち合わせね。」
分かった、と天使が満足げに微笑むと、そのまま扉を開けて外に出ていった。
「ふぅ・・・・・・。」
足音が離れていくのを確認し、彼が大きなため息を付く。
先ほどの彼女が一瞬見せた表情が脳裏に浮かび、自身のあまりに心配性な性格を呪う。
事あるごとに大げさに考え、時として人を不快にさせる自身の癖。
旅をしていた頃はそれのおかげで今の今まで生きてこれたのかもしれない。
だが今は状況が違う。
曲がりなりにも旅は終わり、状況も特殊だが平和の日々を過ごしている。
今は戦いのための思考ではなく、何気ない日々のための思考が重要である。
「そうだ、もう何かと戦う必要は無いんだ。」
膝に置いていた両手の平を見る。
魔物の血で濡れた時、同じ人間に襲われてその返り血がベットリと付いた時もあった。やらなきゃ自分がやられていた。
血の付いた回数と死にそうになった回数を最初こそ数えていたが、いつからかそんなことを数えるのも馬鹿らしくなるほどにそれをこなしてきた。
見た目は普通の男の手をしているが、鼻に近づけて臭いを嗅げばその生臭さが骨にまで染みてるのではないかという妄想を抱く。
目を閉じれば、あの時に出血多量により呼吸が止まり、胸の動きがピタリと止まった者たちの顔が、耳にはその時の断末魔がが響く。
「大丈夫。大丈夫だ・・・・・・。」
震える手をもう片手で抑え、震える喉で深呼吸をする。
こんな村で戦う事といえば、ならず者や低級の魔物しかいないだろう。
油断さえしなければ相手を峰打ちで逃がす様に促すこともできる。
そして、ようやく彼の体が普段の調子に戻り、ベッドから腰を上げた。
数年の末に染みついたその考えは簡単に忘れる事などできる筈はないが、それでも薄めることはできるはず。
そう決意し、扉を開けて外へ出た。
「ぶぇっくしょいっ!」
カルボがズズ、と鼻をすする。
赤く充血したその目が歩いてくる彼の姿を捉える。
「来たかグラン、遅ぇぞ。」
鼻声でそう言い、すすり切れなかった鼻水を裾で拭う。
スイマセン、とグランが頭を掻き片目を閉じる。
「あれ、まお・・・・・・ヴァルドとフィオレはどこに?」
キョロキョロと視線が動き、ピタリとそれが止まる。
その先には魔王が畑作業をしている姿があった。
小さな麻袋を手にしており、傍にいる村人から何かを聞いてはその中身から種を取り出して目下の土に埋めている。
「あの子はイリスが今日から教会で働く、っつったらそれを手伝う、と言ってくれてな。」
ほら、と彼の指さす先には、フィオレが川の方から水の入っているであろう桶を抱えてよちよちと歩いてくる。
彼らの姿に気が付き微笑みかけると、そのまま水の重さに幾らか振り回されつつ教会の方へと歩き去ってゆく。
「花壇で花を育ててるだろ?その水やりをするって言ってくれてな。」
教会では祭りのときや祝い事の際に神へと捧げる花を育てており、その花の事かと彼が思い出す。
白くて甘い香りのするその花はそのような時期に見てきたもの故に、もれなくイリスや村の人の幸せそうな顔が彼の脳裏に浮かぶ。
「で、だ。旅をしていたお前を見込んで頼みたいことがあってな。」
カルボの顔つきが険しくなり、それを見た彼が自らの緩んだ頬を引き締める。
「近くに盗賊が潜んでいるらしい。」
「盗賊・・・・・・ですか。」
盗賊。
彼にとってその存在は身近な存在であった。
旅費を稼ぐために人から依頼を受けた時に盗賊を相手取るものがいくつかあった。
馬車道の近くに陣取る盗賊の集団を追い払ったり、それらの手から人物や場所を護衛したこともある。
一方で、盗賊という存在と一時旅をしていた時期もあった。
持ち前の身軽さと早業で未開の地での斥候を申し出てくれた者を彼は知っている。
そのため、彼の中で盗賊という存在自体は決して悪いものではない。
だが、目の前の村の長たる人物の顔を見るに、前者の盗賊であるということを彼は察する。
「本当は熊とかの獣だったりなんてことは?」
それはない、とカルボが眉間に刻まれた皺をより深く刻み、
「獣用の罠毎持ち去られていたり、矢が落ちているのを見かけたからな。」
森の方を見てその目じりを上げた。
「お前ならそこらへんのヤツなんかよりも腕が立つだろ?」
かつての少年の姿に、今の成長した姿を重ねる。
自身と同じくらいにがっしりとなった体つきに、経験を培ったことによりいくらか迷いの消えたその眼差し。
旅に出ていた時に履いていた靴はボロボロになっており、獣の皮で継ぎ接ぎした部分が目立つ。
その肩をポン、と叩く。
「分かりました。でも、ヴァルドは・・・・・・。」
彼の顔が魔王の方に向く。
畑作業に精を出しているその姿は、角さえ目に入らない様にすると異国の衣装を身に纏った美しい女性であった。
頬には土が付き、手にはその姿に似つかわしくない薄汚れた麻袋を持っているという、どこか浮世離れしたその光景はとある名画の切り取きかの様に錯覚する。
俺が目の前から消えたら、何をしでかすんだ・・・・・・。
だが。
「俺が変わるならいいきっかけか・・・・・・。」
自身の異常なほどにまで研ぎ澄まされた警戒心と心配性な性分。
それらを変える為の一歩となるだろう。
魔王を見ていたその双眸を閉じ、ジッと体を静止させて深呼吸を行う。
そしてゆっくりと目を開き、視線の先にいる彼女が変わらぬ様子を確認し、彼が決意する。
「わかりました。そいつらってどこらへんにいるんスか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます