ミコトの理

紫乃

前編

 全世界の人が固唾を吞んでその映像を食い入るように見ていた。

 片画面では星条旗の下で黒いスーツを着た金髪碧眼の男がアタッシュケースを開ける瞬間が、もう片画面では五星紅旗の下でこれもまた黒いスーツを着た黒髪黒目の男がアタッシュケースを開ける瞬間が映し出された。

 そして、その2人の男はほぼ同時に何かを押す仕草を見せた。

 世界が終わった、人々は誰しもがそう思った。

 ……彼女が現れるまでは。


 軌道を間違うことなく進んでいた両ミサイルが衝突する寸前に、どこからともなく一人の少女が出現した。上空数百メートルのありえない空間に彼女は威風堂々と浮かんでいた。

 青く輝いているように見間違う烏羽色の髪を風に棚引かせ、何色とも形容しがたい色の瞳でミサイルを睨みつけると、それらの間に体を滑り込ませた。彼女は両腕をピンと張り掌をミサイルに向けて広げた。

 すると、両ミサイル共に何かの壁にぶつかったようにそれ以上進まなくなったと思えば、彼女が一言二言何かを呟くと時空が歪み、やがて音もなくミサイルが消え去った。ミサイルを止めた当の本人はというと、衛星放送のカメラに向かってにっこり微笑み跡形もなくその場からいなくなったのである。


 これが世に言う「中米危機」であり、およそ3年前の出来事である。

 謎の少女に関しては「宇宙人説」、「女神説」、「AI説」など色々と一時期は話題沸騰したものだが、半年もすればそのニュースも消え去った。それよりも経済の低迷が大きな問題となり、オカルト話に花を咲かせている場合ではなくなったのが要因の一つとも言えよう。


 こうしてその少女の存在を誰もが忘れかけた頃、彼女はこの街へやって来た。


 ***


「初めまして、お姉さん。私、ミコトって言います。単刀直入に言うと家がありません。保護してくださいませんか?」


 駅の改札口を抜け帰路につこうとしていた私はくるりと振り返り、タチの悪い誘い文句を堂々と言ってのけた幼さの残る声の持ち主を見据えた。驚いたことに、3年前に映像で見た黒髪に形容できない色の瞳の美少女が白いワンピース姿でにこにこと立っていた。声も出せずに固まっていると、少女はお構い無しに間合いを詰めてきた。


「あれ?人間は挨拶を返さない生き物だったのでしょうか?おかしいですね、今までのところそんな人間は見たことないのですが」


 人差し指を態とらしく顎に当てながらこちらをちらりと見上げた少女に、私は我に返り言い返す。


「ごめんなさい、あなたがあまりにも有名人にそっくりなものだから」

「ああ、もしかして3年前の出来事のことを仰っていますか?」

「そうよ。でも、そんなわけないわよね。3年も経ってるんだし、当時と同じ姿形なんて」

「ご名答です。あのミサイル?とやらを止めたのは私です。なんだ、覚えている人間もいるのですね。やっぱりあなたに声をかけて正解でした」


 ミコトはまたしてもにっこりと笑うと「それで、あなたの家はどちらでしょうか?」と聞いてきた。私はつい自分の家の方向を教えてしまい、彼女は早く早くと私の手を引く。私は一度深くため息をつくと、仕方なく歩き始めた。


 ***


 玄関の鍵を開けながら、私はミコトに尋ねた。


「あなた、一体いくつなの?」

「秘密です。」


 「女性に年齢を聞くとはいくら同じ女性でも失礼ですよ!」とミコトはそう言って「きゃあ」と甲高い叫び声をあげながら家の中へと入っていった。


「あ、コラ。靴はちゃんと揃えて脱ぎなさい!」

「ごめんなさーい!」


 やれやれと頭を振りながら、無造作に脱ぎ捨てられた白い靴を揃える。ハッとしてミコトの姿をよく見れば、何から何までが白で揃えられている。それはまるで白装束のようだった。


「どうしたんです?」


 部屋を粗方見終えたミコトは茫然としている私に声をかけた。


「ううん、何でもない。そういえば、夜ご飯は食べたの?」

「まだです!!」

「じゃあ、適当に作るからその辺に座ってて」

「はーい」


 すっかり私に懐いた様子のミコトを見て可愛く思いながらも、今後のことを思うと先が思いやられた。


 ***


 数日後、すっかりミコトが家にいることに慣れた私は、彼女に合鍵を渡すことにした。


「それじゃあ、私、行ってくる。合鍵はここに置いておくから出掛けるならちゃんと鍵閉めてね?」

「はーい」


 ミコトは寝ぼけ眼を擦りながらも返事をした。それを合図に「行ってきます」と私は家を後にした。

 出勤後、デスクが隣の同僚のマイコが話しかけてきた。


「おはよう、レイさん」

「おはよう、マイコはん」

「その言い方はやめてと言ってるどす」

「絶対使い方間違ってる」


 くだらないことで笑いながらも、不意にマイコが真剣な声色で話し出した。


「最近、いじめが多いみたいよ。今朝のニュースはそれで持ちきり」

「いじめ?」


 始業前のメールチェックに追われている私は話半分で聞いていた。


「そうそう。この地区の中高で最近やたらと多いらしい。三橋さんのとこの息子さんが中学校でいじめにあったらしくて、殺気が半端ないのよ!!」

「なんだ、三橋さんが最近冷たいのってそれが理由だったの」

「なんだじゃないわよ〜〜。経理に行くの、本当に怖いんだから!!ねえ、次も一緒に来てね?お願い!!じゃないと、喧嘩になっちゃうよ。レイがいると自然と和が生まれるんだよ、この私とあの三橋さんの仲でも!!」


 マイコは身震いしながら、大袈裟に言った。三橋さんというのは経理の部署に長年働いている40代半ばの女性だ。元々生真面目で細かい人だったが、息子がいじめに合っていることを受けてその性格にさらに拍車がかかっているらしかった。マイコと三橋さんの相性は言うまでもない。


「いじめの何がいいんだか」

「いじめられたことも、いじめたこともない人が言う台詞ね〜〜さっすが〜〜」

「なにがさっすが〜よ。ほらほら、あと1分で業務開始ですけど?」

「っげ。チェック終わってない!!」


 慌てて自分のデスクに戻るマイコを笑いながら見送り、私は自分の業務へと集中し始めた。


 ***


 最近、帰る途中にある公園にミコトが迎えに来ることが多くなった。その公園の正面にある交差点を渡った先のスーパーに夕飯を買い出すのが日課となりつつあった。


 今日もいつものように、公園まで歩いているとパトカーと救急車が停まっているのが見えた。野次馬も何人かいたが、バイクと車の接触事故だったようだ。少し歩くスピードを落として事故現場を尻目に通り過ぎると、いつもの場所にミコトが立っていた。


「おかえりなさい!」

「ただいま〜〜事故があったみたいね。怖いなあ。ミコトも気をつけて」


 ミコトは一瞬顔を曇らせたが、すぐに「はーい」といつもの気の抜けるような返事をして青信号の交差点を渡り始めた。

 その後も、ミコトが迎えに来る度に事故現場の横を通り過ぎることが多くなった。今の所死亡者は出ていないようだったが、流石にその光景を見るのが4回目になった時、私は異常さに気が付いた。事故が多発するのはミコトが関係している。なぜかそう確信していた。

 スーパーで買った食材を冷蔵庫に仕舞いながら平然を装い、私はミコトに聞いた。


「ねえ、ミコト」

「何ですか?」

「あなた、何者なの?」


 私の問いに体を硬直させたかと思うと、ため息をついてミコトは答えた。


「事情も話していない私に快く宿を与えてくれたレイには真実を打ち明けましょう。私の真名は成神姫命なるかみひめのみことのりと言います」

「え、それって……」

「そうです。私、神様なんです」


 ミコトの正体があまりにも理解の次元を超えており、私はあんぐりと口を開けたままただただ彼女の姿を見つめることしかできなかった。

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