薫子と肥前は名護屋と丹後少将
ある日、文をやり取りしている足利氏姫の御側衆の一人が面会を求めてやってきた。
「どうしても行かぬと申されて」
プライドの高い氏姫は、新しく頂いた領地の喜連川に、夫の足利左兵衛督国朝とともに赴くのを拒否して昔からの所領、古河御所に引き篭もっていた。
氏姫からすれば、勝手に分家した上に本家である
氏姫だけではなく、ここにきての合体を面白く思わぬ家臣も両家に少なからずいる。
それで何度も何度も両者に文をやり
「そんなもんだって!家同士の結婚って!」
実体験をもとに説いてはいたが、
「あんな失礼な男と一緒に住めません!」
「あの姫君が来ないのが悪いんです!」
「どうしたものでしょう」
「どうしましょう……って」
薫子は頭を抱えて溜息をついた。
「とにかく、家臣団に理を説いて、そういう機運を高めるしか無いわよね」
ちとばかり、恋愛系に疎いのは、質素にして堅実な大名家の深窓のお姫様の薫子としては致し方ない。
親の言う通り輿入れするのが、普通のお姫様なので、嫌がる娘をなんとかするノウハウはよく分からない。
むしろ「なんで?」と頭を捻る脳筋気味の薫子である。
「とにかく、辛抱強く機運を高めるの。
お互い絵姿を贈りあったり、お手紙を交わしあったりしてご覧なさい……」
とりあえず……責任はもてないが……
そして未来のために薫子は、全国チェーンを開拓していける、表立って動ける商人を探していた。
「そうね、九州方面の商人を呼び寄せてちょうだい」
「徳川幕府下の南蛮貿易は出島」
というのが、薫子の知識である。
なんとか鎖国までに長崎に縁を作っておきたい。
ご維新からは横浜、横須賀、神戸だが、徳川政権下では何がなんとなれば、長崎は出島が南蛮ビジネスのメッカである。
鎖国になったとしても、そこさえ押さえておけば、万々歳。
日本の物を海外に。
南蛮風にアレンジした更に上質の物を、貿易物とは格段に安く国内に。
南蛮風商品は長崎辺りからというのが、自然ではないだろうか。
「右府様に楢柴を贈り奉った、博多の島井宗室殿は……」
「なるますまい。殿下に近う御座いますもの」
「九州となると、なかなかねぇ」
と言っている時に、朝鮮に出兵を決めた干し柿殿下が前線基地となる名護屋城を築城し、「肥前に来い」と呼びつけてきた。
「これが渡りに船を得るってやつね」
さて、ここに荒木氏という男がいる。
薫子が太閤殿下に呼び寄せられた肥前名護屋城のある、肥前の侍である。
別段、才能を見出したとか、そういうものでは無い。
強いて言えば、ちょっとばかし算盤ができる。
薫子がわざわざ持参した猫脚の寝椅子や、透明感のある美しい磁器に洗練された花や蔓の紋様の絵付けのボンボニエール(菓子入れ)、見たことも無い曲線の燭台。
縞柄に格子柄など、斬新な絵柄模様の布。
肥前名護屋城の薫子の居室には、畳に分厚い絨毯が敷かれ、猫脚のテーブルに揃いの椅子。
1段上がった御在所には、天蓋付きの寝椅子が置かれている。
「これは、何とまた、お、お、お綺麗な……」
たまたま薫子付の取次の下っ端に抜擢された荒木は、見た事も無いような見事な品々に陶然とした。
「あら、こういうをお好き?」
薫子は、ぼ〜と調度に見入っている初々しい若者に微笑みかけた。
匂い立つように美しい天下人の寵妃は、あの伝説の右府様の姪御殿で……
下向された太閤御一行から漏れ出てくる噂に拠ると、かの右府様の再臨に在らせられるらしい。
あの本能寺で
まだ若い荒木氏はドキドキと胸が高鳴った。
「可愛いわね、あなた」
愛いやつめ?!
右府様の(乗り憑った)お方様に褒められた荒木氏は、額を椅子に座った自らの膝に擦り付けた。
「も、も、も、も、勿体なきお言葉!」
「手伝って下さらない?」
天下取りの?!
夢と希望に燃え立つ荒木氏は、感動に身を震わせた。
薫子は荒木に命じ、職工達に薫子デザインの漆器や、調度を作らせるのに必要な算段をさせた。
「天下取りのためには、先ずは金を握るのじゃ!」
腹心の大蔵卿局が荒木氏に囁いた。
確かに!
荒木氏は、小身と言えども家臣の居る立派な武士である。
「
家臣共々、腕の良い職人探しに走り回った。
大蔵卿局達も薫子デザインの帯留めに、打掛を着て練り歩き、宣伝に相勤める。
美しく斬新な品は、啓蒙力がある。
その品の「明治力」に魅入られた人は、薫子の周りに集まる。
オピニオンリーダーが出来上がっていく。
「要は金!」
「頼むべきは自らの手によって作り上げることが肝要じゃ!」
「金こそ天下掌握の原動力!」
フムフムと大蔵卿局の言葉に、神秘的にも閉じられた御在所のカーテンの前に居並ぶ、オピニオンリーダー薫子派閥の人々が頷く。
その日たまたま、斬新な調度に囲まれて、御在所の閉じられた天蓋付きの寝椅子に呆然と座っていたのは、松村の妻として明治を生きるかの姫君だ。
(何これ……怖うござり申す……)
一体どうなってるんだ?
「目指せ!天下!」
「天下!」
薫子の知らないところで気勢は上がる。
「天下を我が手に!」
が、好事魔多し
薫子がまたもや妊娠してしまった。
「あ〜なんてことかしら」
朝帰りであちらのベッドで朝寝をしているところを、こちらも朝帰りの松村が……
うっかり……
(いやいや今度こそ天下殿を)
野望の衆は目を輝かせる。
「良い子を産めや」
太閤殿下も恐る恐る腹を撫でる。
(何故に茶々にばかり子が出来る)
これはやはり、右府様の思し召しであろうか。
白い顔の大きな瞳を見ると、彼岸の果てから右府様に見られているようでゾッとしてくる。
おまけに、最近夢に右府様が出てくる。
「天下を返せ」と見るも恐ろしい顔で迫ってくる。
乗り憑っているとかいう噂の女が側にいるからだろうか?
早々にあっちへ返してしまおう。
荒木を残して薫子達は、京を目指して肥前を去っていくことになった。
「必ずや!この店を大きくし申す!」
すっかり商売に目覚めた荒木氏とその家臣団は、薫子たちを見送る。
「宜しくね」
彼はこれを機に侍をやめ、長崎目指して商人として旗をあげることにした。
かくして時は満ち。
「男の子だわ」
がっくりと薫子は肩を落とした。
歴史というのは恐ろしい。
何とか降りたと思った椅子に、また座らされそうな状況だ。
「また
それに反して、太閤殿下は真っ青になった。
そして新たな噂が流れる。
「於捨殿は、殿下の
ヒソヒソとヒソヒソとしめやかに。
「らしいぞ」
「では、
それが……と青ざめた顔で首を振る。
「お袋様(薫子)の肥前の名護屋城の
「そんな奇体なことがある筈無かろう」
その噂は城から城下へ、城下から街道へ。
街道からよその街へ。
繰り返し、繰り返し囁かれる。
武家のみならず、内裏から町屋まで。
「あれは、右府様があの世から蘇り、乗り移っていた御側室の腹に入り給い産まれた、右府様の再来に違いない。」
この日の本の国に、最早この噂を知らぬ者はいない。
薫子たち以外は。
「イエズス会の南蛮坊主が、デウスの御子とやらは左様にして生まれたとか申しておった」
「何と!実例があるのか」
「なるほど、世の中にはそういう事もあるのじゃのう」
何しろ、南蛮贔屓の右府様だし。
生前、左様な秘儀を伝授されていたかも知れぬ。
そういう事もあるだろう。
成る程、成る程。
なるほどね?
そういうけったいな噂こそ流すのは面白い。
そして繰り返す度に、けったいな噂はけったいであればあるほど、けったいだからこそ、何やら真実味を増してくる。
かくして噂は流れていく。
その噂が広がるごとに、豊臣家は今や二派に分かれている。
薫子の元には右府様恩顧の家臣が集まりそうなものだが、右府様の生き様が鮮烈過ぎたのか
信長公の孫か息子を盛り立てるどころか、主家を見捨て秀吉についた自責の念が、今や
「仕返しされるに違いない」
という恐怖へとシフトして、再誕の右府様を
それに反して、右府様と縁のあまりない家臣達は、薫子に取り入るように動き始めた。
豊臣家分裂の危機である。
揺れまくる豊臣家に崩壊の足音が響く。
そんな中、織田恩顧の武将が一人、薫子を密かに訪うようになっていた。
偏屈で有名な美男子の丹後少将、細川与一郎忠興である。
非常に無愛想で、眼を合わさない。
「かの茶会で使われたあの水指は」
何の用事か分からないが、茶道具の話をしにやってくる。
そして勧めると嫌な顔をしながら、買っていく。
上客だ。
何と言っても天才茶人千利休の高弟、利休七哲の一人にして後の三斎流の開祖である。
新しい意匠には目がないのかも……知れない。
(細川、細川……)
薫子の明治の知識が総動員される。
(肥後の大名家じゃない)
ポン!
薫子は膝を打ちそうになって、慌てて手を止めて、やり場に困ったその手を真っ直ぐに丹後少将へ伸ばした。
まるでダンスを申し込むように……
「そうね、あなたは物の価値が分かっておられそうね」
(変なポーズ)
薫子だってそう思っている。
丹後少将も驚いて薫子の真っ白で陶器のような手の先が、乙女の頬のようにほんのりと桜色に色付いているのを見た。
更に眼を向けると、薫子の強い光を帯びた黒い瞳が微笑んで、こっちを見ていた。
ま、俗にいう照れ笑い、である。
が、しかし、お堅い少将はそうは思わなかった。
(君に決めた!)ポーズが丹後少将のハートをきゅうん。
丹後少将は回顧する。
(ああ、右府様には可愛がって貰った)
父親はいつも不在がちで、右府様の方が親しみがあった。
踊りを披露して褒めてもらったり
武家の嗜みだって、右府様にお教え頂いたことの方が多い。
いつも強い光の瞳を細めて微笑んでくれた。
今のように……
(私は……寂しかった)
丹後少将の頬は、その指先の桜が舞い落ちたように染まった。
そして胸の奥に秘めていた小さな宝箱の扉が開かれ、思い出が蘇ってきた。
父に連れられて訪れた城で偶然見かけたあの美しい少女。
あの強い光を帯びた透明な双眸を持つ、まだ幼い、
いや、少女というよりも、まだむつきも取れたかどうかの幼女だった。
あの右府様にそっくりな面差しの……
(あれがわしの初恋だった)
ツンデレの殿様は、懐かしさに駆られて足繁く二之丸へ足を運ぶ。
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