ただ、そばにいたいだけなのに
神崎玲央
私の恋人
お婆ちゃんになるまで一緒に居よう、そう約束をした恋人が交通事故で亡くなった。
交通事故で亡くなった、らしい。
スッと手を挙げてタクシーへと乗り込み運転手にその行き先を告げる。
ゆっくりと動き出した車に揺られながら、私はぎゅっと通知の来ない携帯電話を握りしめた。
「3日前、トラックに跳ねられたって…」
「今日、お通夜が行われている」
そんな話を聞いた瞬間浮かんだ言葉は「は?」
だった。同棲中の恋人が家に戻らず早3日。
既読の文字は一向に付かず電話にも出やしない。
職場で徹夜、そのまま寝落ち。携帯の充電を切らしていた。
どれもこれも今までに一度は経験をしたことだけれど流石に3日連続で連絡がつかないのはおかしいと懸念を抱き、彼女の勤める職場へと乗り込んだ私に私の言葉に受付のお姉さん達は困ったように顔を見合わせた。
そしてとても言いにくそうにあの、と実は、とその言葉を紡いだのだ。
3日前って、交通事故って一体なんだ。
今日お通夜が、なんて一言も聞いてない。
「聞いてない…っ」
私は彼女の、恋人なのに。
ねえ、今どこにいるのとメッセージを送ってみるがその文字の横に既読は付かない。
受話器のマークを指で押し顔の横で構えてみるが、聞き慣れた音だけが絶えることなく響き続ける。
「お客さん」
着いたよと私を呼ぶその声に私は慌てて顔を上げ財布を取り出し車を降りる。
ありがとうございましたの言葉を最後にタクシーが遠くなって行き、私はその場に1人。1人で、葬儀場へと残される。
ふらふらとまるで吸い寄せられるかのように無意識に潜った入口のその先で
「、あ」
見慣れたその、名前はあった。
思わず近寄り手を伸ばしその文字に名前に触れる。
確かに、彼女の名前だ。
あぁ、本当に今ここで。私の、知らないうちに。彼女のお通夜が行われている。
「どう、して…」
ねえどうしてと沸々と怒りが込み上げる。
あぁ本当にどうしてと涙が私の頬を伝い頭が真っ白になった。
静かな廊下を歩いて行くと少し開けた場所に着き受付、なんて文字が私のことを出迎えた。そしてその場所のすぐ隣で
「………あ」
彼女の、お通夜は行われていた。
いくつかの椅子が並べられたその先に黒い棺が横たわっている。棺のその奥には
「あぁっ……」
彼女の写真が1枚、大きく飾られていた。
セーラー服に身を包み満面の笑みを浮かべる、彼女。私と出会う前の、彼女。
あぁ、あぁ、本当に。本当に、彼女は
「今日は娘のために、お越し頂きありがとうございます」
ふらりとよろけたその先でそんな声がした。そんな声が近くで、響いた。
黒い喪服に身を包んだその女性は一度深々と頭を下げるとその目でじっと私を見つめ
「えっと」
娘のお友達ですか?とそう口にする。娘、と言うことはこの人は
「っあ、あの」
わた、私はっ、と必死に言葉を紡ごうとする私にその女性は柔らかく微笑みを浮かべる。その目がとても、彼女に似ていて
「あっ、あぁ…」
なんて私は益々言葉を詰まらせた。
「はい」
あなたは、と女性は優しくそう呟いてそのままにっこりと私の言葉が続くのを待っている。向けられたその瞳にぼろぼろと涙が止まらない。
「わた、私は」
「はい」
「娘さん、のっ」
言葉を詰まらせながら私は
「私は、っま」
必死に、声を紡いでいく。
「マキさんの、」
とそう彼女の名前を口にしたその瞬間
「あ…」
なんて小さな声と共に向けられたその瞳の色が、変わった。
「あぁ、貴方が…」
「貴方が、娘の」
ぽつりぽつりと紡がれるその声には怒りが込められていた。痛く感じるほどのその鋭い瞳には憎しみが込められていた。
初めて真っ正面から受けるその感情に思わず私は無意識のまま小さく後ずさる。
そんな私にその女性は、彼女のお母さんは言った。
「帰ってください」
「え」
「帰って!」
帰ってよ!なんて響くその声に私の身体が大きく揺れる。
「今すぐにっ、帰って!!」
そんな叫びと共に向けられた双眸に
「っご、ごめんな、さい」
私はまるで逃げるかのようにその会場を走り出した。
気が付くと私は見慣れた部屋に居た。見慣れたいつもの、部屋に居た。
靴も脱がず玄関に座り込みひっぐと嗚咽をただ洩らす。手の中の携帯電話は、震えない。
「ねぇ私、女の子が好きなの」
私がそう親に話をしたのは高校生の時だった。補足するように
「恋愛的な意味で」
と言葉を続けた私にお母さんはまぁっと驚いたように声を出し、お父さんは一瞬その目を新聞紙から上げてそうかとだけ呟いた。
娘の告白に両親は
「まあそう言うこともある」
なんてなんとも淡白な反応を示し、それ以上特別に言及するようなことはしなかった。
私が転がり込む形でマキと同棲を始めた時もどんな人?や、可愛い?なんて多少の興味を示しただけで私とマキの関係や同棲を始めると言うことに反対したりはしなかった。
私の両親が私の恋愛観に寛容なこと、また同性が好きだと告げた後も変わらず関係が良好だったことから私は勝手に勘違いをしていたんだ。
きっとマキもそうなんだって、私とマキが一緒にいることは許された関係なんだって、勝手に思い込んでいたんだ。
そんなことは、なかったのに。
あぁそう言えば長期休暇やお盆、年末年始だって何かと理由をつけてマキは帰省をしなかったなぁって。私が話をすることはあってもマキの口から家族の話を聞くことはなかったなぁなんて。今更になって私は気が付く。
私が呑気に語る家族の話をマキは一体、どんな気持ちで聞いていたのだろうか。
妬ましく思っていたのだろうか、煩わしく思っていたのだろうか。あぁ、それとも羨ましく…なんて考えを巡らせてみたってその答えを知ることはもう出来ない。
もう、出来ないのだ。
「ふっ、ひっぐ、ぅ、うぁ」
ブブッと手の中の携帯電話が明かりを灯す。揺れる視界のその先には見慣れた名前が表示されていた。
ずずっと大きく鼻を鳴らして
「っ、はい…」
私は画面に触れた。あ、もしもしといつもと変わらない声が機械越しに響く。いつもと変わらない優しい声で私の名前を紡ぐ。
「う、っうぁ」
思わず洩らしたそんな声にえ、と驚いた声がする。大丈夫?どうしたの?と心配そうな声がする。
そんな声にもう一度私は大きく鼻を鳴らして
「ねぇ、お母さん」
お母さん、あのね、と込み上げてくるその言葉を口にした。
「ごめんなさい」
こんな娘で、ごめんなさい。
「ごめん、なさいっ」
そう繰り返す私にお母さんは落ち着いてとほら、大きく息を吸ってと優しくそう呼びかける。その声に従うようにひっぐと音を漏らしながら息を吸い込んだ
「っ、あぁ」
私の頬を、とめどなく涙が伝った。
その部屋は大好きな彼女の香りで溢れていた。
ただ、そばにいたいだけなのに 神崎玲央 @reo_kannzaki
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