第8章 正体その2

「さて」

 紅倉は里香に向いた。

「言ったとおりあなたのことは麗美さんともおキツネ様とも関係ありません」

「じゃあ……」

 それじゃあやっぱり、わたしが死神ということじゃないか!?…………

 紅倉は柔らかく笑った。

「あなたは霊感が強いのです。

 一度、死を予言したことがあったでしょう?」

 あっと里香は思い出した。

「おばあちゃん……。わたしが7歳の時、おばあちゃんが死ぬ前にわたしを訪ねてきたんです。わたしがおばあちゃんがさよならだってと泣いていたら、病院から危篤の連絡があったんです……」

 紅倉は頷いた。

「順序が逆なんです。

 あの女性は日頃から悩みがあって、あの時はひどく不安定な状態だった。多額の借金があって、悪質な取り立てに悩んでいたんです。帰りたくない。どこかに逃げてしまいたい。電車が入ってきて、あの人は、逃げた。悩みから、この世から、人生から」

 逃げた……。

 どこかに逃げなくては………、

 それはつまり……、

「あなたはその女性の不安に同調して、未来を、予知してしまったんです」

 あの不安、強迫観念は、あの女性のものだったのか!?

「体育の時間の望さんの場合。

 あなたはおキツネ様と違って望さんの運動音痴をよーく知っていた。

 だから、ああなることが分かってしまった」

 なるほど。でも……

「わたし、あの時もやっぱり同じように感じたんです。やっぱり、逃げなきゃ、って」

「ふうん」

 紅倉は小首を傾げ、

「それはまた別の原因ね。

 あなたは望さんが麗美さんの呪いで殺されると思った。その死のイメージがそういう反応を引き起こしたんです」

「はあ……」

 今ひとつ釈然としないが。

「そして再び駅。表の車道の事故。

 老人が歩いていたのは横断歩道ではありませんでした。

 早く向こうに渡りたくて、何の気なしに車道を渡り始めてしまった。

 自動車が走ってきた。クラクションが鳴らされる。

 老人は思った、」

 逃げなきゃ。

「そう、逃げなきゃ」

 紅倉は笑った。

「そういうことです。

 順番が、逆なんです。

 あなたはただ、人の死を、敏感に感じ取って、予知してしまっただけなんです」

 紅倉は里香が聞きたかった言葉を言ってくれた。

「あなたは、死神なんかじゃありません」

 里香は芙蓉を見た。芙蓉は優しく笑ってくれた。里香も嬉しくて笑って、涙ぐんでしまった。

 しかし、すぐに不安がもたげる。

「でも、じゃあ、教室のことは?……」

 あれは………、

「集団ヒステリー」

 紅倉はいとも明瞭に答えた。

「下地は十分出来ていました。

 麗美さんを教祖様とする教団。

 恐ろしい予言。

 死。

 クラスメートの悲惨なケガ。

 とどめにあがめたてまつる教祖様の異様な醜態。

 思い込みが思い込みを呼び、」

 死神、死神、死神、……。

「異常な興奮状態を作り出し、ついに爆発した」

「でも……」

「中世の魔女裁判に実例があります。なんでもかんでも心霊現象に結びつけてはいけません。それは、

 人を不幸にします」

 紅倉の冷ややかな目に見すくめられ、

「はい………」

 里香は頷いた。叱られた気分だ。

 紅倉はため息をついて気が進まぬように言った。

「納得できていませんね。では、あなたが聞きたくない、本当のところを明かしましょう」

 紅倉の赤い瞳に覗き込まれ、里香は緊張にゴクリとツバを飲んだ。

「死の予知が、

 あなたの不幸な前世の記憶を甦らせてしまったのです」

「前世の……記憶?……」

 紅倉は重く頷く。

「そうです。

 あなたは前世で、

 殺されています。

 ちょうど、

 今の年齢で」

 ゾクリと戦慄が走り、怖いイメージが浮かんだ。

「あ……」

 思わず足がすくんだ。

 布団の中に這い上がってきた少女。

 黒く汚れて……………、

 里香はめまいがした。

 芙蓉が支えてくれた。

 紅倉は哀れみの目で言う。

「彼女……、前世のあなたは、暗い地下室……お酒の貯蔵庫のようなところに数日間監禁された後、殺されました」

 芙蓉にソファに腰掛けさせられる。

「その男はあなたの他にも何人もの少女を殺しています。楽しんで殺していたのです。あなたは、暗い密閉された空間で、さんざん怖がらされた挙げ句、無惨にも殺されたのです」

 ああ、分かる。イメージが、頭の中に……

 逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ!!!!!

 アッ、アッ、と、息が出来ずに苦しい。

「それが」

 紅倉が歩いてきて里香の額に触れた。

 途端に頭の中から一切のイメージがかき消えた。

「あなたの不安と強迫観念の正体です。

 もう、終わったことです。

 あなたの、生まれてくる、前の、

 本来決して思い出すはずのない記憶なのです」

 紅倉はニッコリ笑った。

「終わりです。もう怖がる必要はありません」

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