もう一つの最終列車

吉田文平

第1話


寂れた、ある地方の駅である。


なんとなく切ない汽笛を鳴らして、最終列車が、無明の闇の中へと消えてゆく。


「いそいで、巡回をすまそう」


若い男の駅員はそう呟くと、懐中電灯を片手に、さっそく、ホームへ向かった。


辺りを丁寧に照らしながら、ホームを見て回った。


すると、懐中電灯の光の中に、ベンチに腰をおろした人の影が、ふいに浮かんだ。


その影は、おぼろげで、何者かは、とんと判然としない。


ただ、男だろう、それだけはわかる。


その男の方へ、若い駅員は、恐る恐る近づいた。


そうして、おずおず、声をかけた。


「あのう、今のが最終なんですけど」


ところが、男は、ぴくりとも反応しない。


困ったな、ーー。


駅員は、小さく舌を打った。


これから、彼は、ここから少し離れた病院へと向かわなくてはならない、そんな予定があった。


そこには、ながらく闘病生活を続けている、彼の父親が入院していた。


急いでいるのにな、ーー。


ため息交じりに、心の中でそうつぶやくと、駅員は、不機嫌そうな眼差しで、男をにらんだ。


しかし彼は、すぐに、いやいや、と、かぶりを振り、思い直す。


はからずも、父親の言葉が、ふと頭をよぎっていたのだ。


「いいか、息子よ。けっして、優しさだけは忘れてはならないよ」


そうだった。


頭をかいた。


すると、若い駅員は、ダッシュで、もう駅舎へと駆け出していた。


それからしばらくして、彼は、毛布を片手に、再び、男の元へ戻ってきた。


「風邪をひきますよ」


優しく声をかけて、毛布をその男にそっとかけてやった。


うつむき加減の男が、その頬を、密かに、弛緩させていたことを、むろん駅員は、知る由もない。




ややあって、駅の灯りが、すっかり消えた。


ベンチに腰を下ろした男は、知っている。


まもなく、もう一つの最終列車が来ることを。


にぎった拳を、その男が、おもむろに開いた。


一枚の切符が、そこにある。


見ると、こう記されている。


「天国行き」


若い駅員は、いまは、知らない。


この男が、もうすぐ息をひきとる、そんなじぶんの父親の影であることをーー。







〈了〉

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