第8話 眠気。それから

 ブラフの死体を前に昂る感情を抑えるように深呼吸を繰り返していれば、不意に向けられている視線に気が付いた。戦いに夢中で、それ以外のことに気が回っていなかった。


 ナイフを手に振り返れば、部屋の入口には渡したローブを羽織った女性が不安そうな顔でこちらを見ていた。


「他の皆さんと一緒に逃げなかったんですか?」


「あの、えっと……とりあえず、これを」


 女性がローブを脱げば、その下には真新しい服を着込んでいた。


 ナイフを仕舞って受け取ったローブを羽織れば、また入口のほうから階段を降りてくる足音が聞こえてきた。


「っ……これは……」


 入ってきたのは無精髭を生やし、痩せこけた年老いた男性だった。


「何者ですか?」


 女性の前に立ちナイフの柄に手を伸ばせば、男性は両掌を差し出してきた。


「ま、待て! 敵ではない! 私はグリークという者だ!」


「グリーク……元領主ですか? どうしてここに?」


 ナイフから手を放せば、安心したように息を吐いて血溜りを避けるように歩み寄ってきた。


「私は君を見ていた。あの部屋で――君が、私の日記を見付けたあの部屋でだ」


「……なるほど。姿を消したと思われていた元領主は、今もその屋敷内の隠し部屋で隠れ生き延びていた、と。そういうことですか?」


「そうだ。英雄ブラフがこの地を訪れた時、領主の座を明け渡さねば殺すと迫られ、使用人たちは私を隠し部屋へと押し込んだ。いつの日か救いが来ることを願って」


 つまり、あの部屋の窓を開けていたのはただの空気の入れ替えでなく、そのついでに食事などを運んでいたというわけか。そこにいたのに気配に気が付けないとは、僕も随分と目先のことに囚われていたようだ。


「ですが、それだとタイミングがおかしくないですか? あなたが出てくるなら、ブラフが死んだことを知った後のはずです」


「そこは勘というか……おかしな話だが、話したこともない、一方的に顔を知っただけの君を信頼してのことだ。元からいた私の使用人たちと共に、彼に付き従っていた者は全員を捕らえた。もう、安心していい。地下にいた子らも皆無事だ」


「そうですか。それは良かったです。それで……僕をどうするつもりですか?」


 その問い掛けに、グリークは不思議そうに眉を顰めた。


「どうするつもりもない。君がなぜ――なぜ、このようなことをしたのかは知らないが、少なくとも私は感謝している。あとのことはこちらに任せてくれ」


「……では、そうさせていただきます」


 逃げる算段を立てる前に行動に移ってしまったから、その必要が無くなっただけ有り難い。


 頭を下げて部屋を出て、地下へと向かって階段を降り始めた。


「あ、あの!」


 呼ばれた声に振り返れば、階段の上から女性がこちらを見下ろしていた。


「なんでしょうか?」


「私……あの……私、は……」


 何かを伝えようとしているのはわかる。それにもしもお礼を言うのならば、ここまで口籠らないことも。


「僕はこれからこの町で宿を取って休みます。今日のことがどれだけ尾を引くのかわかりませんが、明日はギルドを訪れるつもりです。何かあれば、そこでお会いしましょう」


「え、っと……はい。わかりました」


「あなたも十分に休んでください」


 霞む視界に目を擦っていると、女性が深々と頭を下げる姿を見て踵を返した。


 誰もいなくなった地下二階を通り過ぎて、厩舎の馬を撫でて屋敷の正門から町へ。屋敷内の騒がしさは伝わってくるが、まだ外には広がっていないようだ。


 とりあえず手近な宿は……ギルドの近くか。冒険者をターゲットにしていれば当然の場所だが、この町には娼館もある。泊まる場所としては二分されるんだろう。


 宿のドアを開ければ、出て行く冒険者たちとすれ違い、カウンターのお姉さんの下へ向かった。


「すみません、今から泊まれますか?」


「可能ですが、明日までとなると二日分の代金になりますが」


「じゃあ、それで一部屋お願いします」


「明日までの宿泊で銅貨八枚です」


 代金を支払い、鍵を受け取り部屋に入って即座にベッドに倒れ込んだ。


 町の宿屋にしては安い気もするけれど、そこも娼館との兼ね合いだろう。安く泊まることを望むか、高い金を払って快楽と眠るか。僕は普通に眠りたい。


 夜通しの警備と、英雄との戦闘――体力の問題ではなく気力の問題だ。英気を養う、という言葉がこれ以上ないほどに当て嵌まる。


 ああ、駄目だ。さすがに思考も鈍る。眠ろう。



 ――――



 空腹で目覚めた時には次の日の朝だった。ほぼ丸一日は寝過ぎだな。


 水筒に残っていた水と、ダストラビットの肉と豆で腹を満たして風呂場へ。血を浴びたわけでは無いけれど、体を綺麗に洗い流してからギルドへ向かおう。


 宿を出て感じたのは、違和感だ。


「……静かですね」


 圧政だったとしても元英雄である領主が殺されたにしては穏やかな空気が流れている。まぁ、町が混乱していないのはいい。


 とはいえ、ギルドの中は雑然としていた。


「クエストが無くなったってどういうことだ!? こっちはちゃんとを届けてきたんだぞ!」


「そう言われましてもギルドとしては――」


「ふざけるなっ! そこを補填するのがお前らの仕事だろうがっ!」


 などという会話がちらほらと。


 さすがに奴隷売買と直結しているギルドは混乱を極めているな。


 しかし、少なくともブラフの出していた依頼が引き下げられたことはわかった。だが、どうやらこの場にその事情を知っている者はいないようだ。情報統制……いや、規制か? 予想では昨日のうちにでも各地に紙伝が回って英雄の死が世間に知らされると思っていたけれど、グリークが上手く後処理をしたということだろう。


 さて、どうするか。


 情報収集と金欠を補うためのクエストを受けに来たのはいいけど、この状況では難しそうだ。


「先に換金所に行ってしまいましょうか」


 呟くように言って、ギルドを後にした。


 すぐ隣の換金所はギルドと違って静かなものだ。まぁ、こちらに関しては騒ぐ理由が存在しない。奴隷売買が無くなろうと、素材の価値は変わらないからな。


「換金をお願いします」


 認識票をローブの間から出し、ダストラビットの毛皮をカウンターに載せた。


「今、確認しますねー」


 やってきた女性は認識票を見ると、毛皮を手にしてその手触りを確認し始めた。


 まぁ、大した額にならないことは予想している。


「……はい。ダストラビットの毛皮が一匹分で銅貨十五枚ですね。よろしいでしょうか?}


「はい。それでお願いします」


 銅貨を受け取り、これで所持金は銀貨一枚と銅貨十六枚か。


 今にして思えば、あの時のオークたちは何か売れる素材があったのだろうか? 持っていた武器は大して売れないだろうし、突き出た牙なら可能性はあったのかもしれないけれど……まぁ、今更だな。


「あ――あの!」


 換金所を出たところで声を掛けられ振り返れば、見覚えのある女性がいた。


「どうも。また会えましたね」


「ギルドに行くと仰っていたので。あの……これ」


 そう言いながら、首に掛けていた認識票を見せてきた。


「冒険者だったんですか?」


「いえ、今朝一番で冒険者登録をしました。あ、あなたにっ――付いていく、ために」


 これは困った。


 目の前の女性は明らかに僕よりも年上だが、そんな風に改まられるとどう反応していいのかわからない。同行者などに関するルールも作っていないし……どうしようかな。


「……朝食は食べましたか?」


「え、いえ、まだですが……」


「では、場所を変えましょう」


 近くにあった食事処に移動して、空いている席に腰を下ろした。


「いらっしゃいませ~、ご注文お決まりですか?」


「ミルクを二つとパンを一つお願いします」


「畏まりました~」


 喋り口調の緩い店員さんは厨房に向かうとすぐに戻ってきた。


「ミルク二つとパンで~す。ごゆっくりどうぞ~」


 二人の中心に置かれたパンを女性のほうに差し出して、ミルクを一口飲んだ。


「どうぞ、食べてください。バターもあるので」


「あ、ありがとうございます」


 小さく千切ったパンをバターに付けて食べる女性を見ながら考える――同行者について。


 これはあくまでも僕の復讐であり、他人を巻き込むつもりは毛頭ない。立ち向かってくる者には容赦をしないが、こちら側となると話は変わる。巻き込むとか巻き込まないとか以前に、一人で行動する身軽さが無くなるし、足手纏いになる可能性が高いことを考えれば断る一択なのだが……とりあえず、話を聞いてみよう。


 パンを食べる手が止まったのを見て、静かに息を吸い込んだ。


「それで、どういうことなのか説明していただけますか?」


 問い掛ければ、女性は居直って大きく深呼吸をした。


「はい。じゃあ、まずは自己紹介から、ですよね。私はクローバー、です。その……助けていただき、ありがとうございました」


「いえ、あれは偶々と言いますか、運が良かっただけです」


「それでも、私以外にもあの場にいた方々は救われて、グリークさんの助力もあってそれぞれが帰路に付くことが出来ました。それもこれも、あなたのおかげなんです」


「まぁ、それはそれとしてですが――どうしてクローバーさんはここに残ったんですか?」


「それ、は……私には、帰る場所が無いから、です」


 苦しそうに振り絞り、今にも消え入りそうな声で言葉を発して俯いたクローバーを見て、ゆっくりと背凭れに体を預けた。


 僕自身も、自分のことを話そうとは思わないから他人を追求することはしたくない。けれど、昨日のあの状況を見ても一緒に付いてきたいということは、それだけの意思があるということ。ならば、問うべきことは一つだけ。


「クローバーさん。……ですか?」


 含みを持たせるように言うと、ゆっくりと上がってきた視線が交わった。


「私……私は、あなたのお手伝いがしたい、です」


「わかりました。では、よろしくお願いします」


「え、い、いいんですか!? 何も訊かずに決めてしまって……」


「深く訊くつもりはありません。僕も、僕自身のことはほとんど誰にも話していませんので。それに、あの時の光景を見た上で、付いてくると言ったんです。なら、目指すところは同じだと判断しました」


「あっ……ありがとう、ございます」


 座ったまま深々と頭を下げるクローバーを見て、静かに肩を落とした。


「では、改めまして。僕はロロです。クローバーさんのほうが年上だと思いますし、敬語も必要ありません」


「わかり……わかった。それで、私は何をすればいい?」


「金欠なので適当なクエストを受けようと思っていたのですが、今のギルドの状況では難しいでしょう。……とりあえず、外に出てクローバーさんの実力を――というか、魔法の使い方と役割を決めましょう」


「わ、わかった!」


 これはルール一とルール七だ。熟慮し、思考し続けろ。そして、目的のために手段を間違えるな。


 今はまだどうするのが正しいのか判断する材料が少ない。少なくとも、悪手だと断言できるまでは意志を尊重するつもりだ。僕自身がそうであるように――復讐は、全ての人間に与えられた権利だと信じているから。


 つまり、僕が誰かに復讐されて殺されても恨むつもりは無い、ってことだ。

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