英雄殺しの復讐譚
化茶ぬき
第1話 英雄には憧れない
父と母は行商だった。
馬車を引き、各地の街を回って商売をする。あらゆる地域の名産品を売り、そこでまた名産品を買い揃えて次の街へ。
五歳になった子供としては、目まぐるしい生活だったのだと思う。だが、僕自身は両親のことが好きだった。人当たり良く誰とでも上手く接する母と、時には強気で商売っ気を優先する父――
「いいか、知識は武器だ。家業を継いで行商人になるにも、お前が好きなことをするにも常に学ぶ意識を持っておけ」
その言葉は、まだ子供だった僕には難しいものだった。けれど、心の奥では理解していたのだろう。
「わかった!」
だからこそ、あの時に小指を差し出したのだ。
「よし。ルール一だ」
事あるごとに父が言っていたルールは――生きていくため、仕事をするための指標だった。
ルール一・守れない約束はするな。
それに倣ったこともあった。
「じゃあ、僕のルール一もそれにする!」
と。しかし、父はそれを許さなかった。
「それは駄目だ。自分のためのルールは自分の経験から作らなければならない。お前もいずれは自分のルールを決めることができるだろう」
やはり、それも幼かった僕には理解できなかった。
「焦らなくていいのよ。どれだけ偉そうなことを言っても、お父さんだってそれを言い始めたのはあなたが生まれてからなんだから」
母は優しく誠実な人だった。
だからこそ――あんなことになった。
「すみませ~ん」
「……あれは王都の紋章だな」
夜の森を移動中、前に飛び出してきた数名の冒険者に父が馬車を停めると母は荷台を覗き込み、寝ていた僕を起こした。
「あなたはそこにいなさい。何があるかわからないから、出てこないように」
寝惚け眼のまま頷いて、また眠りに落ちた後――再び体を揺さぶられ起きた時、目の前にいたのは焦ったような父だった。
「いいか? 馬車を降り、森の中へ向かえ。振り返らずに――お前は自由に生きろ。やりたいことをやり、ちゃんと生きるんだ」
「……? 何を言って――」
「これを持って、行け!」
布袋と片手ナイフを無理矢理に持たされ、馬車の外へと放り投げられて森の中へと駆け出した。
駆け出したけど――父の言いつけを守らなかった。
森の中で、草むらの陰に隠れてずっと見ていた。
父が嬲られ母が犯され――そして、殺されるのをただ眺めていた。
冒険者の中には女もいたが、誰一人として止めることもなく、食料や物資を奪い、両親を殺し死に逝く姿を笑いながら見ていた。
息を殺しながら、流れ出る涙を拭うこともせず、ただじっと耐える。
動かなくなった父と母が馬車の荷台に放り込まれ、全てが燃やし尽くされるのを目に焼き付けていた。
カサッ――
草に体が触れた瞬間、冒険者たちが一斉にこちらを振り返ったのを見て、一目散にその場から駆け出していた。
森の中を走って、山を登る最中にいつの間にか父に渡された布袋を落として、残ったナイフだけを握り締めていた。
血の臭いと叫び声、喉の奥が焼かれるような煙の渦……その全てを体と脳裏に焼き付けながら。
夜通し走って、走って、走って――走って。見えた明かりに辿り着いた時、安心からか疲労からか、その村の入口で力尽きるように倒れて眠ってしまった。
「ん? おい、〝ロロ〟だ! 医者を呼べ! あと神父だ!」
声が聞こえてきたところで反応はできないけど、持ち上げられた体がどこかに連れていかれて、柔らかいベッドに寝かされたことに気が付いた頃には完全に意識を失った。
次に目が覚めた時、心の中は嫌悪感と憎悪に包まれていた。
「目が覚めましたか。ここはウルステ村です。貴方は村の入口で倒れていたところを保護されました。言葉はわかりますか?」
「……はい。ここは……」
「ここは村に一つだけある診療所です。先生は他の患者さんを診察しているため、神父の私がここに。何があったのか話せますか?」
「なに、が……っ」
答えようにも言葉が詰まる。
「まぁ、こんな辺境の村まで一人で来たのです。色々あったのでしょう。深くは訊きません。けれど一つだけ確認しておかなければなりません。あなたに、帰る家はありますか?」
行商の家は馬車そのものだったけど、その馬車は今は全て燃やし尽くされた。
寝たままゆっくりと顔を横に振れば、神父は覗き込むように前のめりになった。
「では、今日から私と共に暮らしましょう。教会での生活は質素ではありますが貧しくはありません。如何ですか?」
「……よろしくお願いします」
選択肢なんて、無い。
「では、自己紹介をしましょう。私はウォードベル。あなたのことはなんとお呼びすれば良いですか? お名前は?」
「……なまえ……」
「お~い、神父様! 〝ロロ〟は目覚めたか!?」
部屋に入ってきた男性の声には聞き覚えがあった。
「はい。もう目が覚めていますよ。大きな怪我もなく、倒れていたのは疲労からでしょう」
「そうかそうか! そいつぁ良かった!」
「……ロロ?」
「ロロとはこちらの地方の言葉で〝迷い人〟という意味です。使っている人も多くないので覚える必要はありませんが」
「ロロ……僕は、ロロ、です」
「それは――……そう、ですか。では、今日からあなたのことをロロと呼びます。ウギさん。その旨、村の皆さんにお伝えください」
「合点承知だ!」
そうして、ウルステ村での生活が始まった。
ウォードベル神父は優しかった。こうなった経緯を訊くことはせずに食事を与えてくれて、生活に慣れてからは勉強も教えてくれるようになった。
村には同年代の子は一人もおらず五十人にも満たない村民は全員が家族のように接してくれて……あの出来事を忘れることはできないけど、それでも穏やかに過ごすことができていた。
なのに――あの日にすべてが変わった。
「おい! 街から紙伝が届いたぞ!」
「どうやら冒険者がついに魔王を倒したらしいぞ!」
「例の奴らか! とうとうやったんだな!」
魔王については知っている。長らく人間と戦争をしていて、大陸に四つあった大国が統合一国へと成った原因だと教えられていた。
集まる村人の下へと向かえば、一人が紙伝を傾けてくれた。
「ロロ、お前も見て見ろ。ここに描かれているのが魔王を倒した十三人の英雄だ!」
「十三人……っ――」
描かれているその顔を見た瞬間、全身が総毛立ち、駆け巡る嫌悪感と吐き気に冷や汗が噴き出して、力が入らなくなった体は地面に倒れてしまった。
「ん? おい! ロロが倒れたぞ!」
「大丈夫です、私が運びます」
「おお、神父。頼んだぞ」
ウォードベル神父に抱えられて、いつもの部屋では無く神父の部屋のベッドに寝かされた。
「先生から薬をいただいてくるので寝ていてください」
湧き上がる憎悪で眠れるはずもない。
神父が出て行った明かりの無い部屋の中で無理矢理に目を瞑る。眠ることができれば、少しはあの時のことを思い出さずに済むかもしれないから。
なのに――それなのに、瞼の裏に浮かぶのはあの時のことばかり。まるで心臓を握り締められているような感覚で、もがいて悶えて体の内側が熱くなってくる。
――ガタンッ
「っ……」
気が付いた時には、ベッドから落ちて床に倒れていた。
体の中に熱さと冷たさが同居する――ぐるぐると回る天井から目を背ければ、ベッドの下で光る何かを見付けた。
手に取り抜き出した時、部屋のドアが開いて神父が入ってきた。
「おや、音がしたと思って来てみれば……見つけてしまいましたか」
「これは……?」
剣を手に体を起こせば、神父に体を持ち上げられてベッドに座らされた。
「護身用に、と言いたいところですが……丁度いい機会なので話しておきましょうか。村の方々は皆さん知っていますが、私は元冒険者です。数年も前のことですが、仕事道具であった剣だけは捨てられずに取ってあるんです」
「……ウォードベル神父、僕に戦い方を教えてください」
気が付いた時には、言葉が口を衝いて出ていた。
「戦い方、ですか……理由を訊いても?」
「戦う必要があるから、です」
「なるほど。そうですね……確かに、生きていくための術は必要です。ロロも大人になればこの村を出て行くかもしれませんが……では、こうしましょう。戦い方は別にしても体を鍛えておくことは大事です。なので、まずは体を鍛えましょう。ロロも知っているウギさんとザジさんも昔は冒険者だったので、お二方には話を通しておきます。体を鍛えて、話はそれからです」
「体を鍛える。わかりました。よろしくお願いします」
決意は、揺るがない。
そして、次の日から生活が変わった。
「神父から話を聞いたが、戦えるようになりたいんだってな。そのために必要なことはまず飯を食え! そんで次に大事なのがバランス感覚だ」
「あとは持久力も、だな。だから、まずは俺らの畑仕事を手伝ってもらう。それが終わったら山に入って追い駆けっこだ」
「はい!」
最初は鍬を振ることも難しかった。
畑仕事を半日しただけで体力が尽きてベッドに沈み込む日々が続き、ひと月が経った頃にようやく山での追い駆けっこを始めることができた。
やり始めた時はウギさんとザジさんから追われる側で、半日をフルに逃げ切れるようになった後は、二人を追う側へと変わった。
ただひたすらに体力づくりに勤しむ日々が過ぎ――一日の畑仕事と追い駆けっこでも疲れなくなった頃、ようやくウォードベル神父に戦い方を教われることになった。
「お二方から体力は十分に付いたと聞きました。なので、ここからは引き続き体力づくりと並行して私が戦い方を教えます。とはいっても、冒険者時代からあまり人にモノを教えるのが得意では無かったので……魔法の使い方は教えられませんが、武器の扱いなどなら」
「はい、それでよろしくお願いします」
「それではこちらを返しておきます。ロロがこの村の入口で倒れていた時に握っていたナイフです」
「ナイフですか……」
久し振りに握ったナイフは手に馴染む。けれど――
「剣を使いたいですか? でしたら、どうぞ」
渡された剣を握って振ってみたけれど、鍬とは違って先端に重さが集中しているわけではなく、重くて上手く扱えない。
「これ、僕には使えません」
「その通りです。武器とは身の丈に合ったものを使うべきだと考えてください。あなたはまだ子供なので、今はまだそのナイフを使ってください。肌身離さず、順手と逆手を違和感なく持ち替えられるように練習を。では、始めましょう」
その日から、また生活が変わった。
朝起きたら、まずは畑仕事を終わらせてから追い駆けっこを始める。追う時も追われる時もひたすらナイフを持ち替えて。
どれだけ体力が増えたといっても神父との特訓は追い駆けっこの比にならない。倒れて血反吐を吐いても、あの時のことを思い出せば何度だって立ち上がれる。
「常に考え続けてください。戦いの中で思考停止した時、あなたは死にます。弱さを自覚し、だからこそどう戦うのか――どう生き残るのか、策を練るんです」
「相手が、絶対に勝てない敵だったらどうすればいいですか?」
「状況にもよります。ですが、今はもう魔王のいない時代です。勝てない相手からは逃げてください。次の機会はいつでも訪れます」
「それでも……絶対に退いてはいけない相手なら?」
「絶対に勝てない上に、絶対に退いてはいけない、ですか……なら、やることは変わりません。勝つことではなく生き残ることを考え続けてください。死ななければ、活路は見出せます」
そして――この村での生活を始めてから十年の月日が経った。
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