第二章・孤独の玉座編~次は、命を狙われる~

一話・暁月と龍

 暗い森の中、立ち止まったアルタナの手には模様のない仮面が握られていた。

 仮面には手紙が同封されていてそこにはこう記されていた。


『やぁ、その仮面はロキの悪戯仮面。それを、かけている間君の存在はひどく曖昧になる。新月の夜には、誰も君を認識できない、神も同様だ。だから、まずは次の新月三日後の深夜を待って、使うといい。ロキより。』


 夜明けの瑠璃の空には、細長い暁月が輝いていた。新月まで正確にあと三日。ロキは、まるで全てを知っているかのように思えた。アルタナが王都でメティスを屠った日も、その時間も、場所ですら正確に読んでいたのだろう。


 ロキは異常だった、超常の存在とされる神々の中でも、それは頭一つ抜けていた。それはロキの権能ではなく、予測や、読みといった部分だ。ロキは。おそらく神でなかったとしても強いのだろう。そんな考えが頭をよぎった。

 やがて、夜明けの瑠璃が朝焼けの橙に犯されていく。まるで夕暮れのような空の色。そこに巨大な羽音が鳴り響いた。

 アルタナは咄嗟にロキの悪戯仮面をかぶると、音の方向に目を向けた。


「良い朝であるな客人よ。」


 それは赤い龍であった。

 中でも、言葉を話し、害なきものを見過ごす度量を持つ龍は特に危険とされる。

 神に最も近い生物と言われ、接触禁忌に名を連ね無い龍。彼らが危険でないのは、ただ単に敵意がないからである。


 人間は彼らに敬意を評し、彼らをこうよぶ……。

「エルダー(長老)」

 と……。


「幼き神よ、お目にかかれて光栄だ。我が名はラハトハ、汝と同じ邪神である」

「やはり、というべきでしょうか……」


 龍の言葉を受けてアルタナは顎に手を当て考えた。

 龍を殺す人とはSランクの冒険者であり、アルタナの知るそれは、マーリンという邪神であった。ならば、その神ですら触れなかった相手とは何か。それは、同じく神である者か、あるいは仲間である。二つの条件を、邪神という神格を持つラハトハは同時に満たしていた。


「今日は汝を迎えに参った。詳しい話は向かいながら話すとしよう。さあ、我の背へ」


 通常、龍は背中に乗られることを嫌がる。乗せるのは、友、同胞、我が子、自らより優れたもの、そのどれかだ。


「いいのですか?」


「汝は二つの神格を持つ、我らの同胞。汝を乗せることは我が名誉である。故に、敬語は控えていただきたい。汝とは人と龍ではなく、肩を並べる友になりたいと願っている。」


 ラハトハは、なんの含みもなく言った。龍は嘘をつかないとされている、彼が神だとしたら、誇り高く、正直で、自由な神だ。邪神の多くは人の思いから生まれるのだから、ラハトハはきっとそういう神だとアルタナは確信していた。


「わかったよ、ラハトハ。じゃあ、行こうか」


 アルタナが言うと、ラハトハはアルタナを乗せ飛び立った。

 力強い羽ばたきは、不思議と小さな風しか起こさず、僅かに落ち葉を舞い上げてラハトハは雲を超える。

 やがて水平飛行に移ると、揺れは収まり、まるで地上に建っていると思うほど安定した乗り心地だった。


「今より参るのは、同胞の住処だ。我々邪神は、古くからずっと創造主たちと戦ってきた。創造主たちは、徐々に直接的な手段を用い始めてきた。」


 ラハトハは昔話をするかのように目を細めながら語り始めた。

 彼の話はこうだった。


『かつて、地上には人と動物達だけがいた。その頃、龍はただの動物に過ぎなかった。人は人同士時には争い合うこともあったが、その数を徐々に増やしていった。やがてそこに魔族が現れた。魔族は人と違う特徴を多く持つが概ね、人と同じであった。

 やがて、人と魔族の領地がぶつかり、大きな戦争が始まった。長い戦争の、時代の始まりである。その時代、無力な人や魔族は多くの強い同族を夢想する。

 夢想は物語となり、多くの英雄たちが寝物語の中で剣を振るった。やがて、人々の希望は物語の英雄達に集まっていった。賢き者、優しきもの、力ある者、信念を貫く者。人々は舞台の上の英雄がいつか現れると信じ、祈った。

 いつしか、英雄たちは物語から現実へと姿を現した。勇者と魔王という二人の英雄をはじめ、多くの英雄たちがこの時代を戦った。剣と剣で、彼らは心を交わした。分かってみれば何のことはない、話し合うことだって出来るのだと互を知った。そして、たがいの王は不戦を誓い合った。

 だが、神々はそれをよしとしなかった。

 やがて、最初の魔物が現れ、人間はそれを魔族の所為にし、魔族も人間の所為にした。

 邪神たちはそこに作為的なものを感じ、世界を駆け回った。

 結果、邪神たちは魔物は神によって地上に解き放たれていると知ってしまった。

 だが、邪神は創造主に比べ弱く、小さかった。故に、直接神に抗う術もなく、現れる魔物を倒すにとどまっている。それが、今の時代だ。』


 アルタナはその話に聞き入り、噛み砕いて嚥下していく。


「創造主たちこそ、やっていることが邪だ」


 噛み砕けば噛み砕くほど、アルタナにとってはそうとしか思えなかった。


「邪神と呼ばれるのは、我々が創造主に歯向かうからこそである。だから、我々は我々自身をこう呼ぶ『簒奪者』と」


 世界を創造主たちからいつの日か奪い、そして、人や魔族があるがままで居られる場所を夢想する英雄たち。そんな彼らにとって、その呼び名は自らの誇りを込めたものだった。

 やがて、ラハトハは高度を落としていった。


「着いたぞ」


 と呟いて。

 ラハトハが降りた先には、まるで鉱山の入口のような扉があった。

 ラハトハは龍の魔法で人の姿になると、その扉を開いてアルタナを中へと導いた。

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