第14話 遠距離恋愛の始まり?

ニューヨーク事務所に赴任して、ようやく仕事にも生活にも慣れたころ、もう1か月が経っていた。いつも月初めにしていたように紗奈恵にスカイプで連絡を入れてみようと思った。


時差があるので、いつも連絡していた向こうの土曜日の午前9時は、こちらでは前日の金曜日の午後8時になる。紗耶香は受信してくれた。


画面に紗奈恵が映った。久しぶりに顔を見た。あのころの憔悴した様子は全くなっていて、落ち着いていた。でもやっぱりどことなく寂しげだ。


「おはよう。そっちは午前9時?」


「そうです。そちらは何時ですか?」


「金曜日の夜の8時。ほら窓の外が真っ暗だろう。時差が13時間もあるから」


僕はマンハッタンにコンドミニアムを借り上げてもらって住んでいる。ここは前任者が住んでいたところで、身の周りで使う食器や調理器具、家電など必要なものはすべて残しておいてくれたので、新たに調達することもなくて助かった。


今、リビングのソファーに座って紗奈恵の顔を見ながら話をしている。便利になったものだ。一昔前ならテレビ電話なんか研究所の会議でも使えなかった。


「久しぶりに池内さんの顔を見られた。元気そうだね。声はだいぶん元気になっていたけど、電話では表情が分からないから。顔を見たらほっとした」


「気にかけてくれてありがとう。ご心配をおかけしました。だいぶ元気になりました。そちらの生活はどうですか?」


「高槻にいた時と変わらない。ただ、会話はすべて英語だから、もう少し英語を勉強しておけばよかった」


「市瀬君は私なんかよりずっとお勉強ができたから、あなたなら大丈夫よ、身体に気を付けて」


「ああ、君も、また連絡する」


「これからは映像が映るから、しっかりお化粧をして身なりを整えておかないといけないわね、じゃあ」


短い会話だった。でも紗奈恵の最後に言った言葉、これからも連絡してねと言っているのと同じだった。これからは紗奈恵と顔を見ながら話せる。会って話すのとほとんど同じで、楽しみだ。


◆◆◆

それから毎月第1週の金曜日の午後8時に僕は紗奈恵とスカイプで話した。そして、こちらの生活の様子や見物に行ったところなどの写真も送ってあげた。


本当に便利な世の中だ。こんなに距離が離れているのに、容易に意思疎通ができる。これが海外赴任してからの唯一の僕の楽しみになった。


そばにいて毎日顔を合わせていても意思疎通ができるとは限らない。僕にはそれができなかった。また、しようともしなかった。こういうなにげない二人のやり取りが大切だったことが初めて分かった。


◆◆◆

赴任してから1年半ほど経ったころ、僕はこちらの仕事と生活にすっかり慣れていた。僕は紗奈恵に気晴らしにこちらに遊びに来ないかと誘ってみた。


こちらで航空券を手配すると格安に入手できるし、ここで使っている旅行代理店に頼めばホテル代も安く済むと伝えた。少し考えさせてほしいとの答えだった。


翌月のスカイプの日に、僕も知っている同窓生の大森芳恵さんと二人で一緒に行きたいと言ってきた。大森さんは僕たち中学の同窓生仲間では彼女と一番仲が良かった。実家に帰ってからも親しくしているみたいだった。二人で来るというのは今の彼女らしい。


それを聞いた時は、折角だから一人で来てくれればと思ったが、よくよく考えてみると二人で来てもらった方が、何かと間が持っていいと思った。二人でいるとどうしても二人の関係をお互いに意識するに決まっている。きっと会っていてもぎこちなくなるのが容易に想像できた。


大森さんと二人で来るのなら、お互いに余計な気を使わなくてもよい。紗奈恵もきっとそう思ったのだろう。考えることが似ているのかもしれない。


8月の下旬に1週間ほど夏休みを取って、二人でニューヨークを見物したいとのことだった。それで訪問場所などのスケジュールを考えてあげようかと言うと、是非お願いしたいとの返事だった。


すぐにスケジュールを考えて、次週の金曜日の午後8時にスカイプで連絡を入れる約束をした。これでこれから毎週、彼女と話ができそうだ。


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