エピローグ スローライフがしたいです

「ふんぬぅうううう…………だめだ。何も反応がない」


 皆が寝静まった深夜。

 辺りには何一つ灯りが無く、月の光のみが田舎の町を照らしている。


 そんな中私は一人、部屋を抜け出して家の屋根に上がり、天に向かって両手を万歳させていた。


 かれこれ一時間はこうしているけど、私は何の成果も得られていなかった。


「はぁ……疲れた……」


 私は屋根のちょうど段差になっている部分に腰掛け、天を仰ぐ。


 まだ高さが足りない。

 跳びたいけれど、それでは家の中にいる二人に迷惑だろう。


 ……それでもやるしかない、か。


「よしっ! もう一回!」



「──何をなされているのですか?」



 もう一度両手を挙げようとしたところ、リリスの声がした。


 振り向くとそこには、悪魔の羽を生やしたリリスが宙に浮いていた。彼女は月に照らされながら夜空を舞い、静かに私の隣へ降り立つ。


「……町中で羽を生やすのは危険じゃない?」


「問題ありませんわ。もし見つかっても、魔物の羽を模して飛べるようになる魔法だと言えば、ここの人々は信じます」


「まぁ、それもそうか」


 普通なら「そんな馬鹿な」と鼻で笑われることだけど、リリスはこの町で唯一のSランク冒険者だ。


 Sランクというのは、常人よりも人間離れしているという認識だ。なので「S級なんだからそれくらいなら出来るか」と信じてもらえるのだろう。


 ……それに、こんな夜中だ。


 魔物が特に活発になる危険な時間帯に、わざわざ外を出歩いている人なんていない。

 もしいるとしたら、こんな夜まで酒場で飲んでいた酔っ払いくらいだ。

 そんな人に悪魔の羽を見られても、リリスなら上手く言いくるめてしまうだろう。


 そう思った私は、問題がなければ良いかとこれ以上追求はしなかった。


「それで、ティア様は何をされていたのです?」


「天界との交信」


「…………ああ、すいません。そういえばティア様は創造神でしたね」


「もしかして忘れてた?」


「長く共に過ごしていたので、少し忘れかけていました」


「ひっどいなぁ……」


 私は時々、こうして天界と交信をしている……と言っても、今の所一回も繋がったことないけどね。


 でも、それは予想していたことだ。下界と天界の境界は、天界側から一方的に遮断されている。つまり、私のように神が天界から下界に降りることは出来るけど、逆は出来ない。絶対に不可能だ。


 ある人が『英雄』と呼ばれるようになり、伝説を残すだけの名声を得た時、たまに神として昇格する時がある。神も人手不足で、優秀な人材をその人生だけで終わらせるのは勿体無いと思った神々は、その人を神に昇格させてしまおうと考えた……らしい。


 世界を創世した私は疲れて眠っていたから、その重要な会議に参加していなかった。だから詳しくは知らないんだけど、適当に纏めた内容だけは部下から聞いていた。その時も半分意識が覚醒していない状態だったので、ちょっと情報は曖昧だ。




 ──っと、話が脱線してしまったな。


 つまり、基本的に天界から下界にコンタクトを取ることは可能だけど、下界から天界にコンタクトを取ることは不可能ということだ。


 『英雄』等の伝説を残した人が神に昇格する時だけ、特別に外界から天界に繋がる回路が開かれる。でもそれは、普通では見ることの出来ない不可視の回路だ。


 探すにしてもタイミング良く見つけるのは極めて難しい。


 時々、私の部下が正体を隠して下界に降りていることがあるって聞くけど、どうやって帰ってきているのだろう?


 今になってその方法を聞いておけば良かったと後悔している。問題を起こさないのであれば、私には関係ないと思っていたのが仇となった。


「というわけでね、こうして天界にいる私の部下に、どうにかして気付いてもらおうと頑張っていたんだよ」


「……そう、ですか。もう……危険ですので夜は一人で出歩かないようにしてくださいと、お願いしたではないですか」


「あはは、ごめんね──っと?」


 悪びれもなくそう言う私を見て、リリスは小さく溜め息を吐く。

 おもむろに近寄り私を抱き上げ、自身の膝に置いた。側から見れば仲の良い親子に見えることだろう。


 私の後頭部を弾力のあるものが包む。


「リリス?」


 いきなりどうしたんだろう? そう思っていると、リリスは私のことを強く抱いた。


「申し訳ありません、ティア様」


「どうして謝るのさ」


「私は今から、ティア様に失礼なことを言います。なので、先に謝りました」


「私に失礼なこと? ……私がリリスに怒ることなんて、あまりないよ」


「……少しはあるのですね」


「自覚しているでしょう?」


「まぁ、そうですわね」


 こんな冗談を交えても、背中に伝う微かな震えは収まっていなかった。


 ……本当にどうしたんだろう?


「私は、このまま一生迎えが来なければいいのに、と思っています」


「……なんで、そんなこと言うの?」


「だって、迎えが来れば、ティア様は天界へ帰られるのでしょう? ……ティア様は、遠くへ行ってしまうのでしょう?」


「…………そうだね。そう、かもしれないね」


 今は充実した生活を送れている。

 でもやっぱり私は、神なんだ。我が子達とは全てが違う。


 その町に来てから、色々な人とどれだけ親しく接していても、不意にどうしようもない壁を感じてしまう時がある。


 今はまだいい。

 でも、それが十年、百年になったらどうだろうか。


 私は神であり、リリスは悪魔だ。姿も形も変わらない。人はおそらく、そんな私達を奇異な目で見てくるだろう。


 その視線に耐えられるかと聞かれたら、今の時点では何もわからないと答える。

 だから私は、もしその時になったら『帰る』という選択をしてしまうかもしれない。


「ティア様が帰られるまで、下界でのお世話を私がする。……それだけの関係だというのは理解しています。ですが、私はあなたと離れたくありません」


 何度も言うけど、私達は絶対に関わりのない立場だ。

 本当に帰る場所は、それぞれ異なる。


 でも、これだけは言っておきたかった。


「私だってリリスと離れたくないよ。離れてやるもんか」


「っ、ティア様……!」


「だから私は、上に帰ることになってもリリスを連れて行く。ミアも望むなら、彼女も連れて行くつもりだ。ちなみにリリスだけは拒否権ないからね。私の身の回りのお世話を任せられるのは、どこを探してもリリスだけだ」


 私はリリスから離れる。

 そして、正面から彼女を見据えた。


「だからリリスは、私から離れないでね」


 私は手を伸ばす。



 …………。



 …………あれ? 反応が返ってこない?


 どうしよう、言葉を間違えたかな。


「こ」


「……こ?」


「こ、ここ! こここ、こ……!」


 ようやく何かを発したかと思えば、何やら様子がおかしい。

 心配になって近づくと、私の手が勢いよく取られた。


「これは告白と捉えてよろしいですわよね!?」


「待って?」


「式はいつにしましょう! 私は今すぐでも構いませんわ! いえ、今すぐ行いましょう。ティア様の心が変わってしまう前に!」


「変わるも何もやるつもりはないからね!?」


「今夜は初夜ですわ! 私、初めてはティア様にと決めていたのです! さぁお部屋に戻りましょう。今すぐ夜の営みを! どうせならミアも巻き込み、酒池肉林で永遠の快楽を──!」


「ちょ──それ以上はやばいって! 色々と危ないから!」


 さっきまで良い感じの雰囲気だったのが、一瞬にして崩れ去った。


「ああ、もうっ……うるさいから静かに! ご近所迷惑でしょ!」


「あぁん! そんなティア様も最高ですわぁ……!」


「意味がわからないからね!?」


 その後、リリスはしばらくの間騒ぎ続けていた。


 挙句には勝手に発情しだして、抑えるのが大変だった。それでも収まりが効かなくなり、いい加減ウザくなってきたので、最終的に地下室へぶち込んでおいた。勿論、暴れて道具を壊されないように、リリスは簀巻き状態にしておいた。


 それでもどうにかして私から慈悲をもらおうと必死になり、芋虫のようにビッタンビッタンしてくるから怖かった。暗闇で巨大な芋虫が迫ってくるんだよ? 普通なら腰を抜かすわ。


 何か間違いが起こる前に、「置いて行かないでくださいーーーー!!」という声を置き去りにして、私は地下室から退散した。


「──あ」


 階段を上がってリビングに戻った時、眠そうに目を擦っているミアと遭遇した。可愛らしい枕を持って、それを抱きしめている。


「起きちゃった?」


「……ええ、何があったの?」


「リリスが発情中だから地下室に放り込んできたんだよ。いつものことだから気にしないで」


 リリスの発情した声が家中に響き渡り、それがうるさすぎて眠れずに苦情を言いに起きてきたんだろう。


「やっぱり、リリスの声なのね……にしても発情って、何したの?」


「別に、何もしていないよ」


 リリスが発情するのは、いつものことだ。

 特別何かがあったとか、私が何かをしたという訳ではなく、いつもリリスは唐突に発情する。


「ああ、そう……これはいつになったら終わるのかしら?」


「朝まで」


「朝!? ……リリスは悪魔公デーモンロードじゃなくてサキュバスなんじゃないの?」


「元はサキュバスだったらしいよ」


「へぇそうなの。下級悪魔が悪魔公デーモンロードになるなんて……珍しいこともあるのね」


「悪魔界の事情は把握していないからね。頑張ったんだろうとしか言いようがないよ。……まぁ、どうしても眠れないんだったら──はいこれ」


 私は小さな物体を二つ渡す。


「これは……?」


「耳栓だよ」


 しかも、ただの耳栓ではない。

 外の音を完全に遮断する『超高性能耳栓』だ。

 能力の無駄遣いというやつをフル活用したオリジナル商品である。


「眠れないんだったら、これをつけて我慢して」


「リリスを、どうにかするのは──」


「無理」


「……ですよねー」


 これだけ騒がれたら、流石に主人だろうと手に負えない。


 でも、ご近所迷惑のことはあまり考えなくていい。仕事をする上で作業等の音がうるさいかなと思い、家の壁に防音機能を付けておいたのが幸いした。


 ……まぁ、この家に住むなら我慢してもらいたい。


「……まぁ、いいわ。二人の関係に文句を言うつもりはないけれど、やるなら程々にしておきなさいよ。お休みなさい」


「うん、おやすみ〜────って待って! やるならってどういうこと!? ねぇ、どういうこと!?」


 私の叫びに振り返ることなく、ミアは自室へと戻って行ってしまった。


 まさかリリスの奴……ミアに変なことを言っているんじゃないだろうな。

 もしかしたら他の冒険者や中央区のおば様達にまで……?


 気になる。変なことを言いふらしているんじゃないだろうなと問い詰めに行きたい。


 でもリリス現在発情中だ。原因は私なんだから、そんな中で地下室へ乗り込んだ際には……色々な意味で食われてしまう。



「はぁ……私のスローライフはどこに行ったんだろう?」



 田舎でのんびり暮らそうと思っていたのに、そんなのお構いなしに、色々なことに巻き込まれている気がする。


 悪魔に邪魔をされたり、王国の姫様に簀巻きにされたり、そしてまた悪魔に商売を邪魔され、嵐の中誘拐されるとか……『スローライフ? なにそれ美味しいの?』と言わんばかりの忙しさだ。


 天界に帰れない。迎えも来ない。

 それだけではなく、錬金術が廃れているとか……!


 ほんと……予想から外れすぎだよ、私の世界……。


「あぁ……! ティア様、ティア様ぁああん!」


「いやうるさっ……寝よ…………」


 私のスローライフは何処へ。


 そんな嘆きは、この先も満たされることはないのだろう。


 それでも私は、意外と今の生活に満足しているのかもしれない。


 安定している収入。


 慕ってくれているただ一人の従者、リリス。


 そのリリスに仲間が出来て、新しく私の家に住むことになった。


 今の所、不自由なく暮らせている……スローライフがないだけで。


 でも、身の回りに起こった問題は、ようやく全て解決した。


 私なりのスローライフは、これから築き上げていけばいい。それこそゆっくりと、自分のペースで。




 きっとそれが、私なりの『スローライフ』なんだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天界に帰れなくなった創造神様は、田舎町で静かに暮らしたい 白波ハクア @siranami-siro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ