第30話 『魔王』も、ただの女
領主を継ぐ式典では幼い
自分の命を棄ててもダリアを助けたい。自分が毒に侵されてもローズを助けたい。『魔王』と恐れられるサナにすら、真っすぐに向かってきたレンに、初めてサナは心を動かされた。
国一番の魔術師であるサナを利用するでなく、どこまでも自らの力と命を懸けて、自分ができることを精一杯にしようとするレンの姿は、愚直で、信じられなくもあった。美しいものを作って自分に捧げながらも、掴めないレンの気持ちがじれったく、もどかしくもあったが、今は夫婦として仲睦まじく暮らしている。
レンは30歳で、サナも23歳で、どちらも大人なのだから、夫婦の営みも滞りなく、満足できているわけなのだが、新婚のサナには不満がないわけではなかった。
屋敷の寝室は二人で使っていて、私室も一応別々にあるが、朝の支度も同じ部屋でする。普段からセイリュウ領の民族衣装である着物を着ているサナは、式典ではレンにも着せてお揃いにしているが、一人で着られないし、作業着としては汚すのに抵抗があるのか、レンは普段はパンツと丈の長いシャツを着て仕事に出かけて行った。
どんな格好をしていても長身で鍛え上げた体付きをしているので似合って惚れ惚れとする。
「今日の着物も似合っとるね。サナさん、綺麗か、愛しとるよ」
「レンさんもめっちゃ素敵やで。大好きや」
新婚らしくお互いに褒め合って、愛を囁いて、サナは領主の執務室に、レンは屋敷の敷地内の工房に通っている。技術者を育てるために、レンの工房は大改築中で、技術者が使う薬草畑も領地の端に新しく開墾して、そこに植える薬草のリストもレンに確認してもらっていた。
二人とも忙しく働いているが、領地が豊かになれば領民も潤って、サナやレンの評価も高くなる。
「はよ、レンさんの赤さん欲しいなぁ」
「そ、そうやね。それじゃ、今日も一日頑張って」
新婚なのだから行ってらっしゃいのキスとか、せめてハグとかあっても良いような気がするのだが、照れ屋なのかレンは挨拶だけして足早に仕事に行ってしまう。忙しいので仕方がないのだが、初めての恋が叶ったのである、もっと堪能したいサナは、物足りなくもあった。
領主としての自分をレンが尊重してくれるのは嬉しい。しかし、新婚の妻としての自分ももっと甘やかして欲しい。
他の相手ならば甘やかすどころか、甘い言葉を囁こうとしたり、サナにいい顔をしようとするのを感じ取るだけで、ぞっとするものだが、レンにだけはもっと優しくされたいし、触れられたい。抱き締められたいのに、それが夜の寝室の中だけなんて、子どもを作るためだけに結婚したようでサナは不満を募らせていた。
「チケットもらったから、今週末はレンさんとデートやし、綺麗て言うてもらえるようにせなあかん」
今週末は王都で同じく新婚のローズとリュリュとの食事会と、従妹のツムギの所属する劇団の公演を観に行く予定が入っていた。魔女騒ぎで碌にお付き合いもなく、デートもできないままに結婚したサナは、貴族の結婚とはそういうものだとは分かっていたが、夫婦になってからでも睦まじく出かけられるような姿を夢見ていた。
遅れてきた初恋を拗らせたと、イサギ辺りには言われそうだが、サナは結婚してもレンに恋をしていた。
魔術師としての才能が非常に高かったサナは、本来ならば幼年学校を卒業した12歳の春から魔術学校に入学するのを、10歳から飛び級して入った。その頃、貴族階級以上だけが通える魔術学校の幼年部に通っていたローズとダリアの双子の女王とは、身分の近いものを触れ合わせるようにという配慮から、学友として交友させられた。
将来領主になるために親元から離されて育てられているサナと、産まれたときに母親を亡くし父親からは見放されているようなローズとダリアは、周囲からは美しい女子生徒同士の友情を育んでいると見られていた。その実、サナはローズの魔術の効きにくい体質と解呪の能力、ダリアの大人しい顔に似合わぬ大胆な考え方に、敵に回すと怖い双子として、警戒していたのだった。ローズとダリアの方も、付き合いは上辺だけで、セイリュウ領の領主となるサナと将来揉めないように関係を築いておくくらいの感覚しかなかったのだろう。
王都での食事会は、現時点で一番豊かで安定しているセイリュウ領の領主が、女王に反発する気がないことを示す場所でもある。
「ほんに可愛い伴侶と結婚しはって、楽しい新婚生活ですやろ」
「リュリュは可愛いが、それだけではなくて、命を賭してもダリアを救おうとしてくれる勇気がある」
「ローズ様、そんなに言われると恥ずかしいです」
頬を染めて照れながらも、ローズにしなだれかかるリュリュは、少女のように可憐だった。年もまだ15歳で、ローズ本人はイサギには18歳まで結婚してはいけないと命じているのに、自分の相手が15歳という矛盾については、誰も突っ込めないようだった。
遠回しに嫌みを言っても、言葉通りに受け取って気にしている素振りはない。
「レン様もお幸せなようで良かったですわ。サナ様とお揃いのお着物、とてもお似合いですわよ」
「ありがとうございます。セイリュウ領ではサナさんがとても良くしてくれています」
「レンさんこそ、物凄く良い夫で、優しぃて、最高ですわ」
同席していたダリアから話を振られれば、サナも嬉しくなって惚気てしまう。
「そういえば、ダリア女王はんは、ツムギの劇団がお気に入りやとか」
「魔女のせいで荒れた国民の心には、癒しが必要だと思っています。文化的なものは、触れて飢えがしのげるわけではありませんが、豊かな感性を作り、国の復興に繋がると思い、支援させていただいております」
ダリアには民を思い政策を考える役割があり、ローズはそれを実行する行動力がある。一人では成り立たない、二人だからこそできる政治を、双子の女王はしようとしていた。
「失礼いたします。ダリア女王の支援する劇、楽しんで参ります」
「サナ様の付けていらっしゃる簪、レン様の作ったものでしょう? とても美しいですわ」
「分かりますか? あの方の癖のない黒髪は、艶やかでとても美しいので、飾らせていただきたいと作らせていただいたのです」
「熱々ですわね。羨ましいですわ」
「私とリュリュも熱々なのだが?」
「お姉様は、リュリュ様の年を考えて、お控えになってください」
サナとレンには好意的な言葉をかけてくれるダリアだが、姉のローズには遠慮がない。挨拶をして辞して、劇場に向かう途中で、サナはレンの着物の袖をツンッと摘まんだ。
「手も繋いでくれへんの?」
「手が塞がると、何かあったときに対応できませんので」
「うちの髪にも、耳にも、首にも、指にも、手首にも、足首にも、しぃっかりレンさんが魔術具で守ってくれはるのに、怪我でもすると思うん?」
それ以前に、サナはこの国一番と言われる魔術師なのだから、襲い掛かる暴漢がいても、対処ができる自信がある。僅かでもサナに危険がないようにと配慮してくれるのは、『魔王』ではなく、普通の女性のように扱われているようで嬉しいが、それならば手くらい繋いで歩きたかった。
簪にイヤリングにチョーカーに指輪にブレスレットにアンクレット。どれも華奢で繊細な作りのものばかりだが、守護の魔術がしっかりとかかっていることは、間違いない。それよりも幾分かごついデザインで、レンも同じような髪飾り、イヤリングにネックレス、指輪にブレスレットにアンクレットと付けているが、これはレンの安全のためにサナがお揃いのものを付けてくれるように頼んだのだった。
「レンさん、うちのことばっかりで、結婚指輪も気付いてへんかったし」
「あのことは、謝ります」
結婚が決まってから指輪を作ってくれたというので喜んでいたら、サナの分だけで、結婚指輪はお揃いで作るというのが頭から抜けていたレンと揉めたこともあった。
どうにも、レンはサナを大事にし過ぎていて、もっと求めて欲しい女心を汲み取ってくれない。
「慎ましやかな御人やから、人前では望まへんけど、二人きりになったら、抱き締めて欲しいし、触って欲しいし、キスだってしたい。うちも、普通の女なんよ?」
拗ねたように唇を尖らせるサナをイサギなどが見れば、「誰?」と目を疑っただろう。しかし、レンはそんなことはしない。褐色の肌なので目立ちにくいが、赤面して手を繋いでくれた。
引き寄せられて、耳元で囁かれる。
「俺も、サナさんにはいつでも触れたいっちゃけど……その、着物とか、サナさんの綺麗に整えた髪とか、崩してしまうんやないかって怖くて」
美しいサナを乱してしまうのが怖いから、寝室以外では深く触れないようにしてくれているというレンに、サナは髪から簪を引き抜いた。癖のない真っすぐな黒髪が、さらさらと腰まで流れ落ちる。
「どれだけ乱してくれてもええんやで? そのために、うち、手伝いがなくても自分で全部着付けも髪もセットもできるんやから」
他人に触れられるのは、危害を加えられたり、毒を仕込まれたりするので、避けて来ていたが、そのおかげで召使いなしで身支度ができるのが、サナはこんなにも嬉しいことだとは思っていなかった。
劇場内の人気のない通路に、レンの手を引いて連れて行き、サナは壁にレンを押し付けるようにして、その滑らかな褐色の頬に手を触れて、口付ける。物を作る大きなレンの手が、サナの髪に差し込まれる。
口付けを堪能して、髪をもう一度纏めてから、サナはレンと共に劇も楽しんで領地に帰ったのだった。
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