第29話 料理は愛情
お弁当用にエドヴァルドが作ってくれていたのは、小分けにされた数種類のディップと一口サイズのクラッカーのセットだった。休憩室のテーブルにディップの入った容器の蓋を開けて並べ、アイスティーをカップに注ぐ。風は冷たいが日差しは強かったので、外で仕事して汗をかいた身体に、冷たい紅茶がしみ込んでいくようだった。
卵とチーズのディップ、トマトと細切れにした玉ねぎを煮込んだディップ、アボカドとベーコンのディップ……スプーンで掬って、クラッカーに乗せて食べるとヨータとジュドーが顔を見合わせる。
「美味い!」
「めっちゃ美味しかね。イサギくんの婚約者さんは料理上手やねぇ」
「……材料がいいからじゃないの?」
食べながらもどこか不満そうなマユリに、ヨータが顔を顰める。
「マユリの料理、食べられたもんやないからなぁ」
「煩いわね! レシピ通りにやれば、料理くらい、できるわよ」
話を聞けば、今年の夏休みに三人でバーベキューをしたらしいのだが、そのときにマユリは肉を焦がす、魚は捌けない、野菜は生焼けという有様だった。最終的に、居酒屋で仕事をしているヨータが全部焼いて、ジュドーが火の管理をしてバーベキューは終わったのだが、そのときの失敗をマユリは恥じているようだった。
「厨房にお願いして、向日葵駝鳥の身、分けてもらうか?」
「ええの!? 俺、食べてみたい!」
「俺も、ぜひ」
珍しいものがタダで手に入ると、日ごろからお弁当を自分で作っているヨータとジュドーは乗り気だったが、マユリは迷っている。
「俺が焼いたる。イサギ、マユリの分も俺に渡してや」
「……女子寮の共同キッチンは、競争率が高くて使えないんだもん」
男子寮も女子寮も、寮生が使える共同のキッチンが付いているが、食費を浮かせようとする学生たちで朝から朝食作りやお弁当作りで、埋まってしまって、下級生のマユリはなかなか利用できない。料理をする機会がないと上達するはずもなく、マユリは料理が苦手だった。
毎日カレーという同じメニューだが、具材やスパイスを変えているジュドーは、部屋に下が鍋になっていて、上で薄焼きパンを焼ける調理器具を持ち込んでいる。仕事が居酒屋のヨータは、朝ご飯とお弁当を仕事の後に作って持ち帰って、腐らないように薬草を混ぜて部屋に保管しているのだそうだ。
「寮暮らしも大変なんやなぁ」
「寮に入れただけマシだけどね」
学校に定員があるように、寮の定員は更に少ない。上級生になれば移転の魔術も上達するので、学校から離れた場所からも楽に通えるようになるが、下級生はまだ移転の魔術も上手に使えない。移転の魔術は失敗すると、川や建物の上や馬車の走る道など、危険な場所に出現するという取り返しのつかない事故が起きかねないので、ある程度の学年になるまでは使用が禁止されていた。
「実家から通いたいけど、遠すぎるのよね」
「マユリの家はセイリュウ領の端やったっけ?」
「そうよ。今度、サナ様が薬草畑を作られる場所の近くだから、これから交通の便は良くなると思うんだけど」
実のところ、魔術学校の学費を免除されるくらい成績のいいマユリは、移転の魔術も問題なく使えるのだが、学年と年齢が低すぎて使用許可が下りないために、寮から通うしかなくなっているのだ。
「あー美味しかった。ご馳走様でした。婚約者さんに、ありがとうって伝えてや」
「本当に美味しかったわ。こんな贅沢なもの食べたの久しぶり」
「カレー以外食べたの久しぶりやったわ」
「……ジュドーは時々、一緒にご飯食べよか?」
コウエン領では基本的な食事はカレーと薄焼きのトウモロコシ粉のパンで、それ以外が出ることはほとんどない。ヨータがジュドーの肩を叩く様子に、様々な食材が領民にまで行き渡っていないコウエン領と、少し値段は高いが豊かな食材が手に入るセイリュウ領は、領主の政策の違いがこれだけ出るのかと実感させられる。
「俺の店に食べに来たらええやん」
「そんなにお金がないとよ」
「ジュドーさんは、なんの仕事をしてはるん?」
学校の後で居酒屋で働いているとヨータは言っていたし、マユリはまだ年も若いし実家からの仕送りもあるようなので働いていないのは知っていたが、魔術具関係のことについて以外は口数の少ないジュドーが何をしているのか、イサギは聞いたことがなかった。
他人に興味がなかった以前ならばわかなかった疑問が、自然と口を突いて出る。
「俺は、魔術具工房で下働きをしよるとよ。コウエン領での下積みがあるけん、小さい工房で材料を運んだり、使用済みの器具洗ったり、掃除したり、くらいやけど」
学校が終わってから領の門限までの短時間しか働けないので、お金はあまり入ってこないが、それでも自分のやりたい仕事に携われている。それがジュドーを支えている。
昼食を終えて、休憩した後で、薬草保管庫に移動して、マユリとヨータが形が崩れないように花から種を外していくのを受け取って、ジュドーとイサギで手分けして種を乾煎りして、籠に広げて粗熱をとる。よく乾燥させておかないと、すぐに黴が生えたり、腐ったりしてしまうのだ。
薬草保管庫の中でも、火を使える部屋は小さくて、熱気が籠って全員汗だくになりながら黙々と作業をしていると、ドアがノックされた。
「はぁい! 誰やろ……今、手が放せへんのや、入って」
「お疲れ様、イサギくんと……お友達さん? 向日葵駝鳥の種が切れたところやったけん、助かる。一瓶、貰って行ってよか?」
「レン様!?」
大きな鉄鍋で種を乾煎りしていたジュドーの手が止まって、イサギは「焦げる、焦げる!」と叫び声を上げた。火から鍋を降ろしたジュドーは、突然現れた憧れのひとに驚いて声も出せないようだった。
「マユリとヨータとジュドーさん。魔術学校で同じ学年やねん」
「イサギくんの従姉の夫のレンです。よろしくね」
「ジュドーさんは、コウエン領で魔術具作りの工房で働いとって、レンさんの工房に入るのが夢なんやって」
「ちょっと、イサギくん!?」
ここぞとばかりにアピールしておくと、乾煎りして粗熱をとった向日葵駝鳥の種がたっぷりと入った瓶を手に取ったレンが、紫色の目を細めて照れ臭そうに微笑む。
「光栄やね。それやったら、これ、使うところ見せちゃるけん、今度みんなで工房に見学に来んね」
「レン様の工房に!? いいんですか?」
「改築の途中やけん、片付いてないところもあるけど、来る日、イサギくんに伝えとって。準備しとくけん」
穏やかに言って部屋から出て行ったレンの背中を、ジュドーは呆然と見送っていた。
「ものすごいチャンスやないか! ジュドー、行こう!」
「そうよ、レン様の仕事が見られるのよ」
口を挟めない雰囲気だったヨータとマユリも、ジュドーがどれだけの志を抱いてセイリュウ領に来たのかを知っているので、応援して声をかける。
「イサギくんと友達になって、良かった。ありがとね」
「と、友達、なんか?」
「友達だから、手伝ってって言ってくれたんやないと?」
「友達……」
同級生と話したり、親しくしたりする日が来るとは思っていなかったが、ジュドーはイサギを友達と言ってくれる。ヨータとマユリを見れば、「当然」とばかりに頷いて見せてくれる。
「俺に、友達が……」
残りの作業を続けながらも、イサギはエドヴァルドが早く帰って来ないかとばかり考えていた。
収穫した向日葵駝鳥の種を全部処理して、瓶に詰める頃には、日はすっかりと暮れていた。学生にしては充分過ぎる額の一日のバイト代と向日葵駝鳥の身を貰って、寮の門限が近かったのでヨータとジュドーとマユリは足早に帰っていく。
薬草保管庫の鍵を閉めて、鍵を屋敷の管理室に返して、イサギも家に帰った。豪勢なお弁当の入っていた容器を洗って、晩御飯に向日葵駝鳥の身でカレーを作ってみる。学校のある日は毎日ジュドーのお弁当を見ているので食べたくなったのだが、スパイスが足りないのか、イサギの作ったカレーは水っぽくて味が薄かった。
薄焼きのパンは焼く自信がなかったので、買ったパンを準備しておく。
「ただいま帰りました。遅くなってすみません……いい匂いがしますね」
「向日葵駝鳥の身を分けてもらったから、カレーを作ってみたんやけど、水っぽくて、味が薄くなってしもた」
「小麦粉は入れました?」
「小麦粉?」
「とろみがつくように小麦粉を溶いて入れるんですよ。うーん、そうですね、ちょっと調整させてくださいね」
溶かしたバターで小麦粉を溶いて、エドヴァルドがカレーを仕上げる。食べてみると、水っぽさと味の薄さが消えて、濃厚なうまみが出ていた。
「向日葵駝鳥は、身が淡白で、脂もないので、バターと相性が良いんですよ」
「エドさんみたいに上手にできへんかった……」
「イサギさんが作ってくれたおかげで、すぐに食べられますよ。さぁ、食べながら今日のこと、教えてください」
友達ができたこと、向日葵駝鳥の収穫が大変だったこと、エドヴァルドのお弁当がとても豪華で喜ばれたこと、レンの工房に見学に行けるようになったこと、話は尽きない。
食べ終わって、お土産に持ってきてくれたバタークッキーを摘まみながらも、イサギは今日の出来事を話した。
「それで、エドさんは?」
「まぁ、いい顔はされませんでしたけど、クリスティアンが生まれた時点で、私は領地の継承権がありませんし、セイリュウ領に恩を売れたといった感じですかね」
言いながらエドヴァルドが取り出したのは、狼の横顔の彫られたカメオのカフスボタンだった。失くしたと言い訳にして、結婚を拒んでいた間、もう片方も失くすことがないようにと、テンロウ領の御屋敷の金庫に入れさせられていたという。
「結婚はまだ先ですけど、私の結婚の持参金のようなものです。イサギさんに貰ってほしいのですが、受け取ってくれますか?」
8年前に片方だけもらったカフスボタンは、その日、両方ともイサギのものになった。
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