第27話 ツムギの恋とイサギの口付け

 女王は縁起が悪い。

 領主は魔術の才能で後継者が選ばれる慣習だったが、国王がそうであると後継者争いが熾烈なものになる。アイゼン王国の初代国王は、北のテンロウ領、東のセイリュウ領、西のモウコ領、南のコウエン領、それぞれの領主は5親等以内で魔術の才能によって次期領主を決めるように法で定めたが、国王に関しては長子から第一王位継承権が発生するようにと定めた。

 女性が長子だったことも過去には何度もあったが、数代前の女王が宰相を愛人にして、いいなりとなって国土を荒らしてしまった。過去を持ち出して、女王は縁起が悪いと唆し、双子の王女しか子どものいなかった国王に近付いたのが後妻の魔女で、男子を設けて、そちらを次期国王にしようと企んでいたのだとローズとダリアの調べで分かった。

 吟遊詩人や、それらしい魔術師を雇って、各領地に行かせたり、王都を闊歩させて、「過去の女王の例から、女王は縁起が悪い」と語らせていた魔女。

 ローズ女王とリュリュの結婚式の御前で、ツムギの劇団で行った公演は、件の宰相を愛人にした女王の物語だった。


「この題材を演じて、わたくしたちが気分を害するとは思わなかったのですか?」


 公演前にダリア女王に食事を振舞ってもらった席での問いかけに、団長はツムギに答えるようにと視線を向ける。問いかけたダリアの視線がツムギに向いていたからだろう。


「確かに、演目となっている女王は、宰相を愛人とし、言いなりになって国を荒廃させました。しかし、国の荒廃を憂いて立ち上がった勇敢な領主たちによって説得されて、彼女は心を入れ替えます」


 国が荒れていた間に貧しさや争いで失われた命は戻らない。女王のしたことは決して許される行為ではないが、それでも、彼女は自分のしたことを悔いて、残りの人生は国のために尽くす。


「間違いが取り返しのつかないことになってからしか彼女はやり直せませんでしたが、それでも、女王は縁起が悪いわけではない、やり直して残りの人生を国に捧げたのだということをお伝えしたかったのです」

「領主に立ち上がってくれるように直談判する役でしたね、ツムギ様は」

「直談判する民衆の一人ですが、欠けてはいけない役だと思っています」

「素晴らしい演技でしたよ。残りの公演も頑張ってくださいませね」


 労いの言葉を述べたダリア女王が、そういえば、と言葉を続ける。


「ツムギ様のお兄様のイサギ様とエドヴァルド様がこちらにいらっしゃるとか?」

「はい、今日の公演を見てくれるはずです」

「デートですわね。ツムギ様、わたくしと今度、音楽会に行きませんか?」


 文化の復興に力を入れているダリアは、王都で女王主催の音楽会も開く予定だという。誘われて、ツムギの答えは「喜んで」以外になかった。



 転移の魔術で王都に来たイサギとエドヴァルドは、荷物を王都のテンロウ公爵の別邸に置いて、クリスティアンに挨拶をする。王都で魔術学校に通っているクリスティアンは、一般課程を終えて、更に上の研究をしているらしい。


「兄さん、イサギ、よく来たね。僕は今日は音楽会に出かける予定だけど、ツムギさんからチケットはもらっているから、明日公演は見に行くよ」

「それまで、クリスさんに公演の話はせんようにせなあかんな」

「そうだよ、イサギ、ネタバレはナシだからね」


 出かける準備をしていたクリスティアンは、エドヴァルドと似たデザインのスーツを着ていた。エドヴァルドが三つ揃いなのに対して、クリスティアンはシャツとスラックスとジャケットだけで、ベストはないが、タイの結び目を大きめにしているところなど良く似ている。

 現在はアイゼン王国のほとんどが正装を軍服かスーツにしているが、セイリュウ領は着物、モウコ領は襟高の長衣にスリットの入ったものを上半身に、下半身に細身のパンツを履くスタイルもまだ残っている。コウエン領では大きな布を巻き付けるようにして服にしていたのだが、それはもうほとんど見られなくなっていた。

 お互いに「行ってきます」と「行ってらっしゃい」を言って、廊下に出ると、使用人の目はイサギに向けては刺さるように痛いが、そんなことよりもイサギの頭はキスのことでいっぱいになっていて、ちらちらとエドヴァルドの唇を見つめてしまう。


「二人で劇を見て、良い雰囲気になってしもたらどうしよ……まずは、手を繋ぐんやろか」

「イサギさん? どうしました?」

「な、なんでもない!」


 考えていたことが口に出ていたイサギは、慌てて両手で口を押える。経験したことがないので、どうすればキスに持ち込めるのかよく分からない。身長差があるので、勢いでガバッと襲い掛かっても、イサギはエドヴァルドの胸に顔を埋めるような形になってしまう。成長期で背も伸びているのだが、エドヴァルドが屈んでくれないと、唇に届く気はしなかった。

 しかし、劇場は椅子で、隣り同士で座っているのである。手を握って、エドヴァルドがこちらを向いてくれたら、うまくいけばキスができるかもしれない。


「いやいやいやいや、あかん! 気持ちが大事なんや! 無理やりにガバッとか、あかん! でも、したい!」


 葛藤するイサギを余所に、いつの間にかエスコートされてエドヴァルドに劇場の客席まで連れて行かれていた。客席の番号も確認して、イサギの方を通路側に座らせてくれる。


「公演中にお手洗いに行きたくなったら、声をかけてくださいね。ローズ女王とダリア女王が即位してから、治安が良くなってきているとはいえ、まだ王都は危険ですからね」

「途中で席を立ったら、エドさんが全部見られへんやん。先にお手洗い行っとく」

「じゃあ、一緒に行きましょうか」


 文化の復興に努めているとはいえ、音楽や演劇がすぐに民衆にまでは浸透せず、今はまだ貴族や富裕層だけの楽しみになっている。それでも、ダリア女王は貴族や富裕層から始めて、いずれ民衆にまで文化や娯楽を浸透させようとしている。

 現在はお金持ちの道楽という見方しかされていないので、紛れ込んで金を奪おうとする輩がいないとも限らないのだ。


「ちょっと、あなた!?」


 用を足して手を洗っていると、エドヴァルドの声が聞こえて、イサギは反射的に走り出していた。


「何をしようとしました?」

「おっきいお兄さんだから、ソッチも立派なのかなと思ったけど……」

「見たんか!? 貴様、エドさんのエドさんを見たんか!」


 衝立で仕切られているだけの男性用の小便器のエドヴァルドの隣りに立っている青年は、どうやらエドヴァルドが用を足すのを覗こうとしたようだ。


「見られてません! イサギさん!?」

「見ようとしたことが許されへん! 俺のエドさんに何をするか、無礼者ぉ!」


 怒りの回し蹴りが炸裂して、言い訳をするまでもなく青年はお手洗いの床にキスをする羽目になり、呼ばれた警備員に連れ出されて行った。


「テンロウ領の長男が、セイリュウ領の領主の従弟と婚約したというので、誘惑して別れさせようという魂胆だったようですよ」

「もう一発蹴っとけばよかった!」


 客席に戻っても怒りの治まらないイサギの手に、エドヴァルドが水筒を握らせてくれる。公演の最中に喉が渇いたらこれを飲むと良いと、準備してくれていたのだ。


「こんなときにまで、エドさん、冷静で優しいし……」

「びっくりはしましたけど、イサギさんより長く生きてますからね」

「嫌やったやろ? 嫌やって言うていいんやで」


 自分が女性を愛せないことを誰にも打ち明けられなかったエドヴァルドである、結婚を断り続けていた理由を勘繰られて、こんな風に嫌がらせをされたりした経験もたくさんあっただろうが、それらも飲み込んできたのかもしれない。

 婚約者であるイサギには隠すことなく感情を吐き出していいと告げれば、ぎゅっと手を握られる。その手が熱く汗で湿っているのに、イサギは気付いた。


「戦うのをあんなに怖がっていたイサギさんが、私の代わりに怒ってくださって……助けてくださって、嬉しかったです……」


 お芝居の始まる合図のブザーが鳴って、劇場の照明が落とされて、舞台の緞帳が上がる。客席の視線がそちらに行った瞬間、イサギの唇を柔らかくて暖かいものが掠めた。


「き、キス!?」

「お静かに……したかったんでしょう?」

「したかったけど……」

「改めて、惚れ直しました」


 小声で囁くエドヴァルドと手を繋いだまま見た劇の内容を、イサギは開演の瞬間のキスのことで頭がいっぱいで、何一つ覚えてなくて、公演後に食事の約束をしていたツムギに感想を聞かれて、慌ててしまう。


「えっと、あの……」

「クリスティアンがまだ見ていないので、ネタバレは禁止になっているんですよ」

「そうなんだ。クリスさん、明日、見てね!」

「楽しみにしているよ」


 上手にエドヴァルドがフォローしてくれて、クリスティアンとツムギも加わってのテンロウ公爵家での夕食は、使用人の目も気にならず、リラックスしてイサギはしっかりと食べることができたのだった。

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